愛知ボラセンについて

被災者を仲間として「応援」しよう! ~言葉を大切にする愛知ボラセン~

愛知ボランティアセンターは2011年3月17日に任意団体として発足しました。 「被災者応援愛知ボランティアセンター」というシンプルな名前には、誰にでも分かりやすい「ボランティア」という名前で、東北から遠い「愛知」から、愛知の大勢のボランティアさんが「センター」として集まり、被災者を仲間として「応援」をしていこうとの想いを込めています。「応援」でも「支援」でもたいした違いはないかもしれません。しかし、言葉は考え方を示す大切なものと愛知ボラセンは考えています。 「瓦礫ってゴミじゃないですよね、邦子さんたち被災者が生活してきた大切な証なんですよね」と板切れを胸に抱えて語った中学生がいました。十八成浜仮設住宅に住む作家の阿部邦子さんは「愛ボラ素晴らしい点は言葉と感性。そして、その時々の私たちの思いに、細やかに添ってくれようとしてくれるところ。」(「阿部邦子のがれきに咲いた花」三陸河北新報社)と書いています。十八成浜の瓦礫撤去では「一緒懸命汗をかく」と大書した横幕を掲げて瓦礫撤去活動を進めました。愛知ボラセンが被災地から名古屋に帰る時、「さようなら」ではなく、「いってきます」と言うのも言葉を大切にしているからです。言葉を大切にする愛知ボラセンの姿勢はボランティアさんにも反映していると思います。 「市民を巻き込む」というような表現が市民活動やボランティア活動などでしばしば聞かれます。その言葉は自分たちが主体で、市民はそれに従い巻き込まれるものという考えの反映です。愛知ボラセンでは「巻き込む」という考えを否定しています。誰もがボランティア活動に参加する中で、自らの役割を見出して主体者となり、被災者応援活動を自らのこととして主体的に活動することが大切と考えているからです。そして、実際に実に多くの方々がそれぞれの関心や特技などを基にして、主体的に被災者応援活動に参画されています。 なお、愛知ボラセンは2013年3月にNPO法人として愛知県名古屋市から認可されました。

名古屋の行きやすい場所で、誰でもできる活動を

数字「0歳と2歳の子どもを持っている私でも、名古屋でできることがあるはず」という田中涼子(現愛知ボラセン専務理事)の被災地への熱い思いが愛知ボラセンの原点です。災害ボランティアは被災地で長期間の活動することが注目されがちです。地元で誰でも気軽にできる分かりやすい活動をすることが。長期間の活動を続けていくためには大切なことと考えています。そのためには活動の拠点は重要です。誰でも分かりやすく、広い場所をと考え、市民活動に理解が深い真宗大谷派の東別院さんに依頼。ご快諾を頂きました。東別院は地下鉄の駅名で、栄からも金山からも近く、短時間なら車の駐車もできます。仕分けその東別院ではじめたのが、「春物新品応援衣類」の募集と、仕分け・分類ボランティア募集でした。衣類を募集した場合に大量の古着が、それも相当の粗悪な衣類が押し寄せてくることを、阪神大震災ボランティアの経験から知っていました。それは東日本大震災でも同じでした。愛知ボラセンは1か月以上も放置され、誰も引き取り手のいない中古衣類約10トン分を引き取ったこともあります。段ボールをあけたとたんにすえた臭いがし、「こんなものでもありがとうって言わなきゃいけないの、私たちって」と涙ながら語った被災者もいました。愛知ボラセンの活動は被災者応援です。もらってうれしくなるものを届けようと考えました。その応援衣類を男性、女性、子供、上着、下、サイズ別に細か分類し、ほぼ同じサイズの段ボールに仕分け・分類しました。ほぼ同じサイズの段ボールに仕分け・分類することで、運搬の際のロスを少なくし、現地ではすぐに分かりやく応援物資を並べることができます。 一品ずつ心をこめて箱入れをしました。たいへんな手間でしたが、愛知ボラセンは贈ってくださった方々、受け取られる方々のことを想って、大切に取り扱ってきました。 田中は幼い子どもたちを連れて、ほぼ毎日仕分け・分類ボランティアの中心として、参加されたボランティアさんがやりがいを感じられるような配慮をして活躍しました。仕分け・分類のボランティアさんは昼間のあいた時間、会社帰り、土日など、皆さんがそれぞれご自分の可能な時間に、東別院に集まって活動されました。いろいろな創意工夫が多くの方々から提案され、改善しながら仕分け・分類ボランティアが行われていきました。その数はのべ約3,000人。被災地に届けた衣類は、約1万人の方々から寄せられた約27万着にもなりました。 要求があれば人は集まること、そして、要求を実現しながら、人とつながり、人のために役に立つことを、まじめに続けていけば、人は集まることを愛知ボラセンのスタ ッフ全員が高校時代に学んでいました。

スタッフ全員が高校生フェス実行委員&高校生災害ボランティア経験者

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3愛知ボラセンには前身ともいうべき団体があります。愛知県高校生フェスティバル実行委員会と、同実行委員会をもとにして、阪神大震災(1995年1月17日)後に久田が顧問となって設立した「阪神淡路大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を贈る中学生高校生の会」(奨学金を贈る会)です。 愛知県高校生フェスティバル実行委員会は、毎年5月に新入生歓迎フェスティバル、11月にビッグフェスティバルを開催。ともに約15,000人の高校生が参加し、私学助成や教育の充実、よりよい高校生活をつくるために、楽しく、そしてまじめに、愛知県内の多くの高校生が集まる場となっています。フェスティバルでは高校生の要求実現をベースにして、高校生がつながり、25年以上も活動を続けています。人に対する確信を共有していることは、ブレない活動を続けていく上で大きな意味をもっています。また、フェスティバルの中心を担うのは愛知の私立学校です。愛知私学の教員と父母と生徒が愛知ボラセンのホームベースです。愛知ボラセンが愛知私学会館に事務所をおかせて頂いているのもこの縁からです。 その愛知県高校生フェスティバル実行委員会を土台にして結成し、今も活動を続けているのが奨学金を贈る会です。奨学金を贈る会は毎月17日に「17日募金」と名付けて、震災孤児遺児応援金募金を続けています。19年間で、阪神大震災の孤児遺児は全員高校を卒業しました。19年間にのべ555人の孤児遺児に3144.5万円の激励金を贈りました。また、阪神大震災、中越大震災、東海豪雨水害などに高校生災害ボランティアを派遣してきました。神戸には2010年12月まで、夏と冬に今の被災地・神戸を学ぶ「ボランティア体験・神戸フィールドワーク」を続けてきました。芦屋市にある震災孤児遺児のための心のケアハウス「浜風の家」、激甚地域の長田区野田北部自治会やカトリック鷹取教会を訪問し、被災地の今を学び続けてきました。 将来、大災害が起きたら、この活動に参加している高校生たちが真っ先にボランティアとして立ち上がると私は考えていました。そして、その通りになりました。愛知ボラセンのスタッフ9人全員、高校生時代に奨学金を贈る会に関わり、東日本大震災にあたって大人になった自分たちができることはと考え、私とともに愛知ボラセンを起ち上げました。