阿部邦子のがれきに咲いた花

阿部 邦子さん(あべ くにこ)
作家・宮城県仙台市生まれ。79年から石巻市十八成浜(くぐなりはま)で夫の栄悦氏と民宿を営む。その傍ら執筆活動に情熱を注ぐ。幾度となく重い病を患いながらも前向きに生きる姿勢が読者の共感を呼んできた。主な作品は「うみべの小さなおきゃくさま」「マンマ質問箱」など。石巻河北新聞へは「おれは海の子」「十二支の童話集」「方丈さんものがたり」「キョーホー館へようこそ」「まなざし」の5作品を連載。講演の依頼も多い。避難所での生活を描いた最新作「がれきに咲いた花」を2012年出版。

(2012年10月7日追記)
ちょうど1年前の2011年10月9日から連載が始まった「阿部邦子のがれきに咲いた花」。今週の50回をもって、好評のうちに連載が終了しました。思い出したくないことを思い出し、身を削りながらの1年間だったと思います。邦子さん、お疲れ様でした。そして、私たちに多くのことを伝えてくださってありがとうございました。出版や次の連載を楽しみにしています。

(2012年9月10日追記)
半年の連載予定がほぼ1年近くなりました。連載の内容はなんとなく最終章の雰囲気が漂ってきています。好評の連載もそろそろ終わるかもしれません。しかし、もしそうなったとしてもそれは終わりではなく、「がれきに咲いた花」が一冊の本として、世に出る準備だと確信しています。そして、そうなった時には愛知で「阿部邦子のがれき咲いた花」出版記念講演会をする心づもりでいます。
この連載は私たちが被災したときにどんな気持ちになるのだろうか、どんな行動をとるのだろうか、というようなことの一つを具体的に教えてくれています。もちろん一人ひとり違うこともあるでしょうが、一つの具体例としてはとても示唆に富むものです。
仮設住宅での生活はまだまだ続きます。そして復興住宅での生活も続きます。ですから、きっと次の新しい連載がいずれ始まるのだと思っています。「がれきに咲いた花」が、「仮設に咲いた花」、「海の見える丘に咲いた花」…というようになることを期待しています。

(2012年7月1日追記)
9週にわたって掲載された愛知ボラセンの記事は先週で終わりました。今週からは仮設住宅編。仮設住宅での生活のたいへんさがよく分かる内容です。

(2012年4月29日追記)
愛知ボラセン関係の皆さん、お待たせしました。いよいよ今週から愛知ボラセンが紹介されます。まずは十八成での活動のきっかけとなった「焼きそば」事件から。そして、その後は…、皆さんお楽しみに!

(2012年4月2日追記)
石巻市の地元紙「石巻かほく」で好評連載中の「阿部邦子のがれき咲いた花」。昨年10月から始まり、すでに半年。

被災者の思いを見事に言い表しているという被災者の共感の声が多数寄せられています。
私たち応援者は「そうなんだ」とか、「そう感じるんだ」と、毎週が発見の連続です。とても貴重な連載だと思います。

愛知ボラセンの関係者の皆さんは、いつになったら愛知ボラセンが紹介されるのだろうと思われていることと思います。それは邦子さんのみぞ知るところ、と楽しみにしてください。

(2011年10月10日記)
十八成浜に着いて「ただいま!」、「おかえりなさい」と、挨拶を交わす十八成浜の皆さんと愛知ボラセン。その中心にはいつも邦ちゃんが笑顔でいます。
「ここに来ただけで、ボランティアの90%は終わってるからね」と、邦ちゃんから言われ、初めてボランティアに参加して不安だらけの人はどれだけ安心し、勇気づけられたことでしょう。

台風15号でも甚大の被害に遇った十八成浜。「牡鹿は何か所も山崩れがあって、陸の孤島となり、津波で被害のなかった家が、床上浸水となった。私は海に向 かって苦笑した。『勝手にしやがれ』神が、どんな意図か 私たちを試そうとしているなら 何度だって受けて立ってやる。どこか突き抜けた思い。決して投 げやりという意味ではない。そう思えるのは。心の中に。『だって私(たち)には、愛知ボラセンがついていてくれる』との気持ちがあるからかも??」という 邦ちゃんの言葉に、愛知ボラセンの被災者応援の活動の意味を改めて確認することができました。

邦ちゃんと三陸河北新報社の承諾のもと、十八成避難所日記「阿部邦子のがれきに咲いた花」、そして「がれきに咲いた花」の序論ともいうべき「あ。私、笑えるんだ」をHPで紹介します。

このページの最後にコメントを書き込むことができます。ぜひ感想をお書き込みください。

 

 

2012年10月7日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花50・完「わたしは生きる」

2012年9月30日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花49「これから」

2012年9月23日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花48「復興とは」

2012年9月16日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花47「風化させないとは」

2012年9月9日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花46「仮設住宅にて11」

2012年9月2日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花45「仮設住宅にて10」

2012年8月26日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花44「仮設住宅にて9」

2012年8月19日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花43「仮設住宅にて8」

2012年8月12日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花42「仮設住宅にて7」

2012年8月5日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花41「仮設住宅にて6」

2012年7月29日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花40「仮設住宅にて5」

2012年7月22日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花39「仮設住宅にて4」

2012年7月15日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花38「仮設住宅にて3」

2012年7月8日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花37「仮設住宅にて2」

2012年7月1日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花36「仮設住宅にて1」

2012年6月24日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花35「愛ボラ9」

2012年6月17日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花34「愛ボラ8」

2012年6月10日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花33「愛ボラ7」

2012年6月3日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花32「愛ボラ6」

2012年5月27日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花31「愛ボラ5」

2012年5月20日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花30「愛ボラ4」

2012年5月13日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花29「愛ボラ3」

2012年5月6日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花28「愛ボラ2」

2012年4月29日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花27「愛ボラ1」

2012年4月15日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花26「短期避難」

2012年4月8日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花25「自衛隊・警察の方々」

2012年4月1日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花24「避難所リーダーに」

2012年3月25日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花23「葛城ユキさん」

2012年3月18日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花22「風化させぬために」

2012年3月11日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花21「姑の死 下」

2012年3月4日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑳「姑の死 上」

2012年2月26日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑲「つらいことも」

2012年2月19日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑱「私を支えてくれた人々」

2012年2月12日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑰「ボランティアいろいろ」

2012年2月5日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑯「被災者症候群 下」

2012年1月29日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑮「被災者症候群 中」

2012年1月22日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑭「被災者症候群 上」

2012年1月15日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑬「牡鹿に腰据え献身活動」

2011年12月25日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑫「被災状況一覧」

2011年12月18日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑪「薬剤師さん」

2011年12月11日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑩「薬の管理」

2011年12月4日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑨「炊き出し係」

2011年11月27日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑧「災害時の危機意識」

2011年11月20日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑦「十八成に着いた夜」

2011年11月13日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑥「記録ノートより(下)」

2011年11月6日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花⑤「記録ノートより(上)」

2011年10月30日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花④「透明な笑顔」

2011年10月23日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花③「家が消えた…(下)」

2011年10月16日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花②「家が消えた…(中)」

2011年10月9日掲載
阿部邦子のがれきに咲いた花①「家が消えた…(上)」

2011年9月11日掲載
「あ。私、笑えるんだ」

今後も最新記事を本ページで紹介してまいります。

156 Responses to 阿部邦子のがれきに咲いた花

  1. 阿部邦子 より:

    メリークリスマス
    連載は終わりましたが 「何か書いてくれるかなあと 今でも時たま このページを開いています」と言ってくださる方々がおられるので 書かせていただきます~~
    つくづくと思うのは 被災者だけが大変じゃない  ということ。 みなさんそれぞれに 十字架を背負っておられる。 なのに 私たちに 笑顔と応援を本当にありがとうございます。 時折 その優しさに 涙が出ます。
    辛い時 悲しい時はあまり泣けません。 怒りになります。親が相次いで亡くなった時も 茫然自失のあとに 怒りの塊が心に生まれました。 「なんで?どうして?」
    大震災の時もそうでした。悲しいとか辛いとか そういう感情より 「なんで!!」との怒り。
    その固まりが心を詰まらせ その苦しさを忘れたくて 避難所時代 食事も睡眠もろくにできないほど 走り回っていました。
    その固まりを少しずつ溶かしてくださったのは 励まし・激励ではなく 優しさでした。ただだまって寄り添ってくださった優しさ。 自分には何ができるだろうと精いっぱい考えてくださった優しさ。私が望んでいるもの、ことを なんとか察知したいと 見つめてくださったまなざし。
    そのおかげで 今私はなんとか歩き続けられています。
    連載も 書き続けることができました。
    みなさんに 心からありがとう
    みなさんの心の中の目標が きっと花開きますように うみべのまちで 祈っています

    • のんきはは より:

      クリスマス前に、邦子さんの『うみべの小さなおきゃくさま』を手に取ることができました。
      どうやら私は良い子だったみたいです。
      だって、この本との出会いは、サンタさんからクリスマスプレゼントに違いありませんから。

      あのあたりに帽子やさんがあったのかも、あの通りの角はもしかして時計屋さんだったのかな。
      くぐなりの浜を思い浮かべながら、一気に読みました。

      小さなお客様たちの無理難題?にも、嫌な顔せずにかなえてくれる くぐなりの人々の優しさを感じて ほんわかした気持ちです。

      いつか、クラゲの子たちといっしょに お祭りのおみこしを追いかけたい。
      そんな日が、来ることを 心の底から願います。

      そして、愛知の皆さんにもプチ情報です。
      春日井市の市立図書館で借りられますよ。
      お近くの方は、ぜひご一読下さいまし。

      今年もあと二日です。
      私にとって、過去の足かせから脱却できた大きな一年になりました。
      本当に邦子さんとくぐなりの浜のお陰です。 
      ありがとうございました。

      今年は、素直な気持ちで 幸せを受け止められるように 土を耕すことができました。
      来年は 種をまき、小さな花を、白いくらげたちのような花を 咲かせたいと思います。
      これからもどうぞよろしくお願い致します。

  2. TOSHI より:

    こんばんわ
    のんきははさんと邦子さんのコメントを読ませていただいて涙が出ました。一つにはみんないろんなものを抱えて生きているんだなということと、もう一つは立ち直る姿って美しいなという思いでした。
    邦子さんの、「私はアマゾネス」には、大きなため息が出ました。すごいな、やっぱりかっこいいな、連載が終わったので、そういう宝石のような言葉をこれからはなかなか読むことができないというのが、寂しくてならない。
    本屋にはよく行きますけども、被災者自身が、被災の日々を書きつづっているという本は見たことないです。知った風な(失礼)作家とかが、わかった風なことを書いているのは、手に取る気になれませんです。被災者のことをインタビューしてまとめたのは、パラパラ見ましたけど邦子さんの視点は、そして文章力はすごいとしか言えない。
    きっとここにコメントを書かなくても、読み続けているファンの方は多いはずです。邦子さんを応援しましよう。口だけじゃなく、本を買って、サイン攻めにしましよう!!

    • 阿部邦子 より:

      TOSHIさま
      お晩です。
      コメントありがとうございます。
      今 住所録を作成しようかと 迷いながら 開いてみました。

      被災前は 850人の登録をしていたのですけど  パソコンとともに なくなっちゃったので・・・
      10月17日 誕生日でした。仙台の二人の弟夫婦が その日に合わせて 父と母の13回忌の法要と、恭一氏の還暦祝いを兼ねて 秋保温泉一泊で。
      両親と何回か泊まったことのあるホテルでした。
      で、私の誕生祝いに 住所録を作成できる『筆王』ってのをくれたんです。
      けど そういうのって 一気にしないと パソコンでの文章書きも気が向くとやっているんで まとまった時間が取れないとできないなと。
      今は 震災前に 5作並行で書いていた原稿(作品)を なんとか蘇らせようと 取り組んでいるので。
      皆さんに 本を買ってあげて と言ってくださって ありがとうございます!!マネージャーがいないので そういうことって自分ではなかなか・・・・態度が大きくて図々しいようですけど 実際は 気が小さくて人見知りなんですよ
      でも そうですね ここは素直に
      出版の暁には 応援 よろしくお願いします!

  3. のんきはは より:

    ありがとうございました。
    私のために命をつないで下さって。
    心からそう思います。

    私の来た道にも、いろいろな曲り角や落とし穴がありました。
    転んで、すりむいた膝の痛みだけを 自分の痛みだけを見つめるようにして過ごしてきたような気がします。

    がんもリストラも校内暴力も詐欺事件も、それらを起因とする誹謗中傷も…
    全部、自分ひとりだけの痛みじゃないか。

    邦子さんのお話を読んで、私は幸せの中にいることに気が付きました。
    家族が元気で笑っている。
    それ以上の幸せはありません。
    被害者という言葉に甘えて、すがってきましたが、そんなもの一刻も早く振り捨てて、自分の幸せを見つめることが、本当の幸せ、救いだと 今、はっきり分かりました。

    私は幸せです。
    本当にありがとうございました。
    私も、きっと くぐなりに帰ります。

    • 阿部邦子 より:

      のんきははさま
      コメントをありがとうございます
      私は思うんです。 人の痛みはその人にしか分からないと。
      大好きな母親 そして 9ヵ月後に尊敬していた父親が亡くなった時 一人ぼっちになった気がしました。 夫が支えてくれましたが その優しさに気づけたのはずうっとあと。
      毎晩 『お父さんに会いたい お母さんに会いたい』と、 お風呂の中でお布団の中で 呟き続けました。
      友人たちはみんな 「邦とご両親は本当に素晴らしい関係だったものね その気持ちよくわかる」 と言ってくれました。
      でも。 それはせいぜい 三か月のこと。 それ以上過ぎると 会った時の話題はもう 両親のことではなくなるんです。
      彼女たちは本当に気持ちのある人たちで 決して薄情とか そういうのではないんです。
      逆の視点で行くと この震災で奥さんを亡くした方のことを 「わかる!」と思っていました。 でも会うたびに奥さんのことだけを話し続けられ それが一年たっても  となると 会うのが辛くなった。
      ガンになり、がんになり、癌になって 「三度もやったら 慣れるでしょう」 と言われた時は 返す言葉がありませんでした。
      最初の乳がんで乳房を喪った時  明日手術と言うときに お風呂の中で「ごめんね 切っちゃうんだって あなたのこと 助けてあげられなくてごめんね」 と泣きました。
      でもそれも夫や友人たちに 「私 癌で大変なの 辛いの」 との言葉を 三か月以上は言えないなあと さまざまな体験をしている中で 思うことができました。
      そしてある日思えたんです。 「私はアマゾネスよ」と。
      ある国の奥地に住む 最強の女性軍団。 彼女たちは弓を引くのに邪魔になる乳房を切ることこそが 誇りなのです。
      私は癌患者だけが 被災者だけが大変だとは思っていません。 健康で家もあっても 世の中にはいろいろな大変なことがあると思います。 どっちが大変とか 比べようなどありません。 そして辛い渦中にいるときには だれに何と言われようと なかなか心には届かないものです。  自分でふっと 「こんなことでくよくよしていられないな」と 思えるときが来るのを 待つしかない。 私が 「私はアマゾネス」と 思えたときのように。
      そして人は 自分と人とを比べるのはやめたほうがいいなあと思います。比べてしまうと 自分にないものばかりを 数え上げるようになってしまう。
      私は子供は授かりませんでしたが 執筆の世界に出会えました。
      夫 恭一氏が逝ってしまったら私はどうなるだろうと思えるほどに 優しくて誠実な夫に出会えました。 家も何もかもなくなった代わり ・・・まあ 代わり というのとは違うんだけど・・・・友人たちの気持ちに改めて気付け、愛ボラの人たちに出会え そうしてこうして のんきははさんと コメントをしあえています。
      私って すっごい 幸せじゃんか  と時折思えています。
      自分にあるものを大事に大事に 歩き続けてまいりましょう  ね

  4. 近藤環 より:

    邦子さん、こんにちは。ご無沙汰しています。近藤環です。
    1年間の連載お疲れさまでした。
    毎週楽しみに読ませていただいていました。文字ではあるのですが、まるで邦子さんが目の前でお話していただいているような、勝手にそんな気分になって読ませていただいていました。
    ここで邦子さんが伝えてくださったこと、しっかり心に刻みます。

    明日久しぶりにくぐなりに帰ります。
    邦子さんにお会いできること、今からワクワクしています。

    • 阿部邦子 より:

      環さま
      コメントありがとうございます。 文字で 近藤環って初めて見たので、瞬間頭の中が真っ白になりまして!!そして環さんは今 九州のほうにいらしているって存じてましたので、「え!?明日十八成に帰って来てくれる?あ~~??あり得ない」と、勝手に頭が否定しました。
      なので、実際に憩いの家でお目にかかれた時 「そうだよね!環さんだよね!」と、ようやく現実的な嬉しさに包まれました。 
      改めて お帰りなさい  そうして九州に 行ってらっしゃい
      沢山のボランティアの方にお会いするたび みんなそれぞれ それぞれの人生を歩いておられるんだなあ  それぞれに 悩みも苦労もあるんだろうに こうやってきてくださってると 本当に 来てくださっただけで ありがとう  です。
      そうして いらしてくださったからには 私たち被災者の経験から きっと何かを得てね 震災とは限らず 生きて行く上で 必ずあなたのためになる何かがあるから  そう願います。
      人間いつかは必ず死ぬ。だからこそ 死ぬ時 そして大事な人が旅立つ時 悔やまないために いっぱい言葉をかけあってほしいです。
      環さん あなたの輝く笑顔 そうして凛としたかっこよさ  是非どうかまた・・・・・・
      十八成で お待ちいたしております

  5. 阿部邦子 より:

    ★木曽川中学校  小林玲菜さま  みなみなさま
    こんにちわ  阿部邦子と申します。
    昨年9月より 地元の新聞 『石巻かほく』に、昨年 3月11日の被災後の日々を 連載して、この10月で終了しました。
    新聞社から連載執筆のお話があった時、私は「書けるだろうか」と思いました。書けることなど、あるだろうか。
    もともと作家ではありますので、文章を書くのはそう難しくない、でも、あの大震災は、筆舌には言い表せないほどに、悲惨なものでした。  もう、思い出したくない!とも思ったのです。
    でも、あの体験を語り続けることによって、他の地域に大災害があった時に、一人でも多く、助かってくれたら・・・。
    そう思うことができ、私にできる講演や執筆で、体験を伝えようと決心したのです。
    その連載 『がれきに咲いた花』を、 玲菜さんが印刷して 皆さんに読んで戴こうと思ってくれた。執筆者冥利に尽きます。 ・・・本来でしたら 著作権がどうの などなどありますが。
    ボランティアと言うと、がれき撤去  とだけ思っている人もいます。 がれき撤去は本当に嬉しい、助かる支援ですが、 ボランティアの基本は、 被災者が今何を望んでいるか、 その思いに添うことだと思っています。 そして、「私には何ができるだろう」と考えてくれて、できることをしてくださることが何よりのボランティアだと思います。 
    東海中学校の あるクラスの生徒たちは、夏休みを使って、愛知中の役場、市役所に、 被災地の、親を亡くした子供たちへの支援、「ワンコインサポターズ」のチラシを 、歩いて置いてきてくれました。
    玲菜さんが、被災者 被災地のことを みんなに知ってほしいと思ってくれたことは、とても立派なボランティアです。 自分には何ができるだろう  その考え方こそが、 いざというとき、自分を救います。
    災害には、臆病になってください。危機感を持ってください。生き延びてください。そして、大事な人を助けてください。 少しでも、 この連載がお役に立てたら嬉しいです。
    平成24年10月9日   阿部邦子拝

  6. ホシ より:

    毎週毎週、言葉をかみ締め読ませて頂きました。本当にありがとうございました。
    十八成浜に帰るたび、元気を頂いて愛知に戻ること数回、
    邦子さんの連載に、恭一さんが出てくるたびに、何故か涙しています。
    凄く深い愛を感じます。
    その愛は、邦子さんを知っている人みんなに届いていると思います。
    本当に本当に、出会いに感謝しています。
    あー、また十八成浜に帰りたくなってきました。

    • 阿部邦子 より:

      ホシさま
      コメント それこそ 一言一言をかみしめて 拝読させていただきました。
      被災三か月後から 愛知ボラセンは十八成に来てくれています。
      つまり リピーターの多くの方は あの がれきに囲まれた十八成を 見て 肌で感じてくれている。 そうして 外作業の方たちが 「俺たちはもう がれき撤去班じゃない、チーム恭一だ!」と、誇りを持って言ってくださったまでの 十八成の流れを 身をもって 知ってくれている。
      リピーターの一人 ハタさんは 『避難所の前に重なっていたがれきを片付けたい、と言った時、恭一さんと邦子さんは、笑顔で よろしくお願いします と言ったけど 実はその眼は やれるもんならやってみろ って言っていた』と仰ったけど  それを聞いて まあ やれるもんならやってみろ というより そこまでやれるのかなあ とは確かに思いました (笑)
      旧牡鹿地区で 十八成は一番 がれきの整理が早かったと思います。改めて ありがとうございます。
      恭一氏への 私の深い愛 ・・・ですか (笑)
      愛ってそうそう意識はしていないけど 私は何度も死にかけて 心配ばかりかけていますから感謝の気持ちは確かに強いです。 そして、この震災で共に生き延びられたのは奇跡 と思えています。だから 連載で恭一氏の言動を書くたびに 「…生きていてくれて ありがとう」でした。
      被災と限らず いつかきっと どんな大切な人とでも 別れる日が来る。 だから今 身近にいてくれる人を大事にしてほしいです。 別れるときに悔やまないように。
      そして 十八成は今 新しく生まれ変わろうとしています。 この時期、新しい参加の方には 一人ひとりハグしたいほど 『来てくれてありがとう!!』です。 けど あの悲惨な十八成を知っているリピーターの方にもぜひ これからの十八成の生まれ変わるプロセスも見て行って欲しいです。
      ホシさん 無理は一番ダメ。でもさ お帰りなさいって また 言わせてください。

  7. 小林玲菜 より:

    はじめてコメントさせてもらいます♪
    第62回現地ボランティアに参加させてもらいました、中学2年のレナです。
    今回コメントさせてもらう訳は、邦子さんのがれきに咲いた花が完結されたので、印刷してファイルにとじて学校に置き、みんなにも読んでもらおうと思ったからです。「みんなにも知ってもらいたい!」と思って勝手にやってしまいました。スミマセン(~_~;)
    そこで!!みんなに見てもらうからには、邦子さんから「中学生のみんなへ」という形で一言メッセージをくださいませんか?自分には言いたい事が上手く伝えられないので是非お願いしたいです!!

    まだ、1回しか現地ボランティアに参加できていませんが、その分このような形で自分なりに行動をとってみたいと思いました。
    そして、またいつになるか分かりませんが、くぐなりに帰りたいです。その時は友達も連れて行きたいです。

    • 阿部邦子 より:

      レナさま
      コメントありがとうございます。
      とても嬉しく 読ませていただきました。
      印刷なさって 皆さんに読んでいただくとのこと 執筆者として 何よりの喜びです。
      で、その方々にコメントを とのことですが、
      『中学生のみなさんへ』では 対象が漠然としていて 書きにくいです。
      もし 差し支えがなければ  学校名と学年クラス 教えていただけないでしょうか。
      無理でしたら 中学生の皆さんへ で書かせていただきます。
      お返事 お待ちいたしております。 よろしく ♪ ♪

      • 小林玲菜 より:

        ありがとうございます!!
        木曽川中学校です。
        できたら学校中の生徒に読んでもらいたいと思っているので、学年とクラスは指定なしでお願いします!
        私たちの学校は生徒数約1000人の「千人力」が特徴なんです。1学年約10クラスのマンモス学校です☆
        そんな学校だから伝えられることもあると思います。
        よければ学校のホームページも見に来て下さい(*^^)v
        『一宮市立木曽川中学校』で検索してもらうと出ると思います♪

  8. 阿部邦子 より:

    ★なんとか『完』までたどりつけました。
    この連載があった時 私は「書けない」と思いました。そういう気持ちの余裕はなかったし、書くことなんかあるだろうかと思ったからです。
    それが、予定より半年長い連載となりました。その理由の大きな一つとして 愛知ボラセンとのかかわりがあったからと言えます。 その証拠に 三回ぐらいで書けるはずの 『愛ボラの章』が、 三倍の長さになりました。
    そして この 愛知ボランティアセンターのページに 掲載を許可してくださった 石巻かほくの朝倉さん 私の感性を最優先したうえで アドバイスを下さった大江さんのお力も大きく、 また 「阿部邦子に書いてもらえ!」と言ってくれた・・・・と伝わっている 石巻かほくの西川社長にも この場を借りて ありがとうございます!
    たびたび登場してくれ、一番最初の読者だった恭一さんにもありがとう
    そうしてもちろん 忘れてはならない(・・・・・キャラ としても忘れられないお方ですが) 久田ボス。 ここに掲載させてもらおう!との瞬間的な判断力 さすがでした!
    そのおかげで 沢山の方が 読んでくださいました。
    結婚式というのは けして ゴールではありません。 婚姻届を出した日からこそが スタートなのです。 ゴールと言うのは あの世に旅立つ時だけに 使える言葉かもしれません。
    私も 家が流失した時間のわかる時計を見つけた時 これは終わりではない 新たなスタートなんだ そう思えました。 
    ですから連載が終了したということは また新たなスタート  そう思えます。
    連載という形ではなくても 新たな  邦子・ワールド  よろしくお願いします。
    皆様方が 充実したうえで 穏やかな毎日を過ごせますように。

  9. 阿部邦子 より:

    ★おはようございます。
    4人の方から 
    え、そんなに身体が大変だったの!
    と メッセージを戴きました。
    心配をかけてしまってごめんなさい。
    痛くて苦しくてしんどかったんだよ!! ということではありません。
    もしそうなら はっきりとそう書いています (笑)
    自分では淡々と 実はこうでした と書いたつもりでした。 (汗)
    久田ボスは私が 「今、こういう状態で 講演 大丈夫かなあ」と言ったら 「マイクを持てば、咳も止まるし、痛みも忘れる」と 即答でした。 きっとご自分もそうなのでしょう。
    そして確かにそうでした。
    実は病院では 痛み止めを出す と言ってくれました。 「いらない」と私。「え?相当痛いはずだよ」『そりゃ痛いよ、息してさえ痛い。痛みに鈍感なわけじゃないよ」「だったら痛み止め・・・」「もう、これ以上、飲みたくないんだよ、薬は。私、三回癌をやってるから、痛いとか感じると、もしかして転移かなあ  再発かなあって思っちゃう。 転移でも 私の運命ってそうなのかあって  別に運命論者ではないけど まあ しょうがねえかあって思える。 ううん、そう思わなくちゃいけないの。 けど震災を経験して助かったからには、今更癌なんかで死んじゃいられないなあって。だから 痛みの原因を知って、ああ、骨折だったのかあ ってわかればあとは、自然とくっつくまで、痛みを我慢すればいいだけのことだもん。だから薬 いらない」
    主治医は言いました。 「阿部邦子は あと千年生きるって みんなに思われているのかもね。 ・・・俺はすでにもう、千年生きてるって思ってるけど」  ・・・・・わしゃ 妖怪か
    ガンコと言うより 一回そう言ったら「もうその話は終りね」 という私のことを知っている主治医は 妥協案として 「家にいるときは飲まなくていい。でも名古屋に行った時痛くなったら自分も大変だし、講演先に迷惑が掛かっちゃうかもしれないでしょ。だから 三日分だけ 持っていなさい」 と言ってくれました。  しょうがねぇなあ  そこまで言うなら もらってやるか
    でも お守りにはなってくれました。 迷惑はかけられない  でも薬は飲みたくない  だけど万が一の時には薬がある
    おかげさまで 楽しい四日間を過ごすことができました。  久世さんのお力は大きかったです。 名古屋をまるっきり知らず、 けっこうあっちからこっちへ、 それこそ時間内に移動するなんて 久世さんのお力がなければ  ぜ~~~~~ったいに 無理でした。  ありがとうございます。 そして 「久世さんに頼む」 と決断してくださった久田ボスに いつもお心を 感謝します。
    けど  カヅラカタ  かえすがえすも 残念です。  ただ 化粧をして衣装をつけた「俳優」たちと、 廊下ですれ違って、 「お==!!」だったんで、 まあ 雰囲気は知ることができましたけど。  願わくば  今の私には自腹は無理なんで (苦笑)  公演の前後の日に 講演の話が出て ・・・・ってならないかなあ。 

  10. 阿部邦子 より:

    由美さま
    TOSHIさま
    JINNさま
    コメントをありがとうございます。
    由美さま
    いつも温かなまなざしを 心から感謝です。  生きるということとか 人に教えられるほどの人間ではありませんが そう受け止めてくださるのは 由美さんの御心が広く 大きいという証だと思います。人は 自分の体験や器で物事を判断するものですから。 「ああ、なるほど」と言ってくださる大きさと優しさを いつも こちらも受け止めさせていただいています。 またお会いしたいです。声をかけて下さると お待ちしていました。 生徒数の割には保護者数 少なかったようですね。 でもあの子たちなら 家に帰ってからきっと 何かは伝えてくれたと思います。 そういうことを話し合える家族・・・・・親子 夫婦 兄弟なら 幸せですね。 どなたかのご家族のように。 ね。
    TOSHIさま
    しっかりと受け止めてくださって ありがとうございます。  意見を言わないでくれ ではなく あのコメントを書いただけで なんて言うんだろ からっぽになった?と思うほどに 吐き出したもので、 意見を下さった方に またあのテーマで 「いや、それは・・・」とか「それについては・・・」と書くのはできそうにないなと。  口頭でしたら大丈夫ですけど。  なんか本当に難しいなと。 いろんな考え方があるのは百も承知で 「自分はこう思う」 と言ってくださるのは嬉しいんですけどね。文章と言うのは口頭と違って 読まれる方のその時の気分でも判断が色々と言うこともありますから。 口頭ならその場で ひとつひとつ 解決していける。
    コメント とても嬉しく拝読させていただきました。 ありがとうございます。
    JINNさま
    連載終了を寂しいと言ってくださって ありがとうございます。
    私は・・・やっぱり寂しいだろうけど  ほっとする気持ちもあるかも です。
    無事に終わらせることができた・・・・・。
    愛知ボラセンのこと 3回ぐらいかな と思ったけど 書き始めたらその三倍。
    もっともっと書きたいこと 書きたい方・・・はあったのですけど。 それやっちゃったら 愛知ボラセンだけで 50回になったかもです。  もしかして 久田ボスはじめ スタッフの方  参加なさった方には 物足りない面もあったかもしrませんが  まあ 精いっぱいやりました  と受け止めていただきたく。
    参加してくれた皆さんのことを心に置きながら 書かせていただきました。
    出版講演 楽しみにしてくださって ありがとうございます。
    気持ちを 前に 前に 持って行ける方なんだなあと 嬉しくなりました。

    携帯のほうにメールを下さった方  この場を借りて みなさん 優しさを 感謝しています!! 連載が終わっても よろしくお願いいたします。

  11. JINN より:

    邦子さんこんばんわ。今日は忙しかったので帰宅してパソコンチェックは無理無理と思ったのですけど、邦子さんって目が離せないです。原発のシンポジウム、お疲れ様でした。そしてよく言ってくださいました。きっと反対の人は仲間を連れて行ったのではないかな。ではなくても「反対」ということが正義と言う会場雰囲気だったのではないかな。そんな中で「私は賛成とも反対とも言えない」ってすごく勇気は必要だったのではないかな。でも勇気を出していうべきことがある、それが若いまっすぐな心に響いたと思えます。反対の人、 人たちは、もしかして「こんなはずじゃなかった」と思ったことでしょうね。それよりも、もう連載が終わるとはっきり言われて、「うそでしょ!」でした。ずうっとずうっと続くように勝手に思っていました。うそでしょ!
    でも「書いてくれて、書き続けてくれて、ありがとうございました。お疲れさまでした」この連載は、とてもたくさんのことを教えてくれました。人生、生きるということ。そういうこともいっぱいでした。私にとって、生きるということの「聖書です」終わってしまうのは寂しくてしょうがないけど、ならば、早く一冊の本にまとまる日をお待ちしています。本当に、お疲れ様でした。最期をどう締めくくるのか、こういう言い方ごめんなさいですけれども、邦子ワールド、お手並み拝見です。今度の日曜日、ずううっと来なきゃいいのにという気持ちと同じぐらいに、楽しみです!

  12. 阿部邦子 より:

    連載  長い間お読みいただき ありがとうございました。
    平成24年3月で終了・・・のつもりが、半年延びて 50回 10月7日にて終了となります。
    昨年9月 この連載のお話を(新聞社から)戴いた時には お断りしました。 まだ 被災半年目で 「書けない」と思ったからです。そして「書くことなんかない」と思ったからです。
    でも今は 書けて良かったと思っています。 人間にはいろいろな考え方がありますから どなたにもわかっていただけたか 受け止めていただけたかは わかりません。 が 少なくても被災者の方々には 「やっと自分の思いをわかってくれる人に出会えた」「書いてくれてありがとう」 との反響が 本当に多かったそうです。
    同じ体験をしても感じ方は色々  ですから どう書けばいいだろう  そう思いながらの執筆でした。 わかってもらえないのは しょうがないと思えます。 ただ 傷つく人がいたら嫌だ その思いが一番でした。 ですから 「もっとはっきり書いてくれればいいのに」 と思いの方がいらしても・・・・・・ 。
    この中で私は 原発については触れませんでした。  顔をそむけたのではありません。 考えていなかったわけではありません。 一言でいえば 考えれば考えるほどわからなくなった ということです。
    つまりは 「賛成とか反対とか 単純には言い切れない」ということです。
    福島の事故があり 皆さんの状況 心情を思うと  賛成なんてとても言えません。 ですが 被災者として本当につらい思いをし続けた時のことを思うと エネルギー問題はとても奥が深いなと。

    9月28日。前林中学校で 講演をさせていただきました。

    9月29日。豊川高校で 講演をさせていただきました。  その午後に。 原発フォーラムに参加してほしいと言われたのです。

    私のほかに 「原発大反対」を訴え続けておられる 村田さん。 福島の子供たちとの接点を持ち続けておられる ボランティア・愛チカラの代表の方。賛否を住民投票で、という運動をなさっておられる鈴木さんが、参加なさいました。
    村田さんは オバマ大統領とか 前総理大臣とか そういった方々との接点がおありだそうで 「私の反対意見に感心し、認めてくれる人が多い。危険とわかりきっている原発にかかわっている人は みんな 正義や倫理観がない」 と仰って  まあ  それだけはっきり自分の意見を持っているのは ある意味 楽だろうな  それが私の感じたことです。
    愛チカラの方は ご自分たちの活動の様子。 鈴木さんは 一方的に決めつけるのではなく 住民の意向を重視したい  とのお考えをお話し下さいました。
    私は実は 自分が何をどう話すのか、 その場にいてもまるっきり 考えをまとめてはいませんでした。
    ですが実は 村田さんのお話をうかがっているうちに 「・・・・・危ないからやめよう ってだけなら 子供にも言えるよなあ」 と思ってしまったのです。
    例としては格が違うけど 「包丁を使っての怪我が多い。危ないから包丁は使わないようにしよう」 風な。
    「最初にお断りしておきますが、私は賛成とか反対とか そういう明確な意見ではありません。反対とはっきりしたご意見をお聞きして そうはっきりとした考えをお持ちの方は 気持ちがいいだろうなあと思えています。 でも 実際に被災者となり すぐそばに女川原発があり 危険と知っていながら なぜ反対とは言えないのか。 それはエネルギーというものは 命直結と 身をもって知ってしまったからです。 3月11日 とても寒い日でした。 実は マスコミにはあまり取り上げられないけど せっかく津波では助かったのに ライフラインの悪化で亡くなった人は多いんです。 ただ、実証できにくいので 数字として発表できないだけです。 私の姑も 5月30日に亡くなりました。 反対 と仰るのはなんか正義の味方のようでかっこいいし とても明確なご意見ですが、私は被災者として、原発をすべて稼働させないとなったら ならば代わりのエネルギーで 日本中を補てんできるのか、そういったことも明確にしてほしいです。 被災後 十日間ほどあの寒い中 電気もつかず ストーブも使えず、 どんなにみじめで絶望的な毎日だったか。 低体温症や体力悪化で身近になくなってしまう人を見続けても そういうことを経験なさっても 明確に 今仰っておられるように明確に 「原発はダメ」と言えるだろうか。  そして私は 三度 癌を経験しています。体中に三日間浴び続けたら確実に死ぬ それほどの放射線を 患部に一か月間 浴び続け それで私は今 この場にいられます。 確かに放射能は怖い。 でも使い方では救いともなる。 福島の方は 「ほら、だから危ないから反対って言ったでしょ」と言っても まるっきり救いにはならないんです。 唯一 中和を求めておられる。 危ないから反対 ではなく オバマさんとかと接点を持てるのでしたら 世界中の知恵を結集して 中和できる研究をぜひ 言ってみていただけませんか。 実際に女川原発のすぐ近くに住んでいる私たちの一番の願いは、 中和していただけたら です。 マンガに思えるかもしれませんが、 放射能に 真っ黄色の色がついていて 「あ、やだあ、放射能がきた」「スプレーちょうだい」「しゅーっ」「色が消えた もう安心」 という日が来ますように。 最初から 『難しすぎる』『無理だ』ではなく、 危険ではない使い方ができるように考えるのは 決して無駄なことではないと思います」
    ・・・・そのようなことを話しました。
    実は愛知ボランティアの参加の方が数人来てくださっていて  反対派のシンパの人たちが「原発を稼働させようとしている電気会社の人たちは 自分の給料を減らしたくないから」 とか 反対意見への援護射撃をする中 挙手して 「被災現地を直接見ると、本当に エネルギーの問題は 賛成とか反対とか 典純なものではないと分かった。 火力発電 水力発電で どれだけ補てんできるのか 提示してほしい」 と言ってくださいました!! ちなみに それへの返事はありませんでした!!!
    そして 反対派の方は 私の右並びにいたので その様子は見えませんでしたが 私が発言している時 あ~~と 頭を両手で抱えたそうです。 まあ あくびを隠しただけかもしれませんが。
    そのあとも他の方々は 何やら仰っておられましたが 私はただ ぼーっとしていました。 意識していませんでしたが 実は数日前 風邪??で 40度の熱があり、左わきのろっ骨の軟骨にひびが入っている  全治一カ月と 9月20日に診断されて ちょっと疲れていたのかも。 否 「もう皆さんが仰りたいことはわかりましたから」と言う気持ちだったのかも。
    終了してから 「あ!」と とても悔しかったのは
    「原発に関わっている人はみんな 正義も倫理もない  それについては申し上げたい。 3月11日  紙一重で津波からは逃れたものの とにかく寒くてしょうがなかった。 買い物に行っていて 帰りにガソリンを入れようと思っていたので、 エンジンをかけてヒーターを入れるわけにはいかなかった。今後いつ ガソリンを入れられるかわからなかったから。 そんな時 若い男性が声をかけてくれたんです。 自分の車にはガソリンが入っているからと。 温もりってこんなにも 心と体を温めてくれるんだなあと 感激しました。 6時半ぐらいになってから 近隣で唯一の建物の中学校から 入っていいと言われたのです。ただし 三階まで波が来ているから 屋上の視聴覚室一室だけを使う、 すでに住民が避難してきているから 座るところもないかもしれないし 寒い。 でも 夜風と 降雪に震えているよりは・・・・」
    その男性に 一緒に行こうといいました。でも彼はかぶりを振って 「職場に行かなきゃ」と言ったんです。 女川原発に行かなきゃと。 周りのみんなで必死で止めました。もしかして女川原発は もう被曝しているかもしれない。それに津波の傷跡はどれほどひどいかわからない。 こんな暗くなってから 危険な山道を一人で行かせるわけにはいかないと。 彼は言いました。「どうなっているかわからないから 行かなきゃないんです。 自分は微力ですが 仲間たちがきっとみんな 行っていると思います。 地域の方たちを 危険な目にあわせるわけにはいかないんです」
    私は電力会社のお偉いさんは知りません。その方々の言動で 反対派の人たちが 「原発に関わっている人たちはみんな 正義もなく倫理観もない」と言っておられるとしたら あまりにも短絡的です。 少なくても社員たちは 大きな責任感と倫理観を持っています。
    それも知らずして 何をかいわんや です。 
    彼らのその心意気を 私は話すべきだったと 悔しく感じました。
    でもシンポジウムが終了して 
    原発のことをずうっと学んできた 主催者である高校生が  まとめとして言ってくれたこと。
    「原発のことは 知れば知るほど難しくて だんだん 反対していればいいのか という気持ちになりかけていたが、 阿部邦子さんのお話をお聞きして 現場を知らずにただ危険だから反対するというのは、机上の空論とわかりました。危険だから排除する ではなく 中和と言うか 安全に使える方法はきっとあると思えました。ありがとうございます」
    私がそのシンポジウムに参加したのは無駄ではなかったと思えました。 まっすぐに受け止めてくれた人がいた!!
    会が終了してから 私はその高校生の男の人に ありがとうと伝えました。彼のまっすぐな視線を私は 忘れません。
    何人かが駆け寄ってくれて 「説得力があった」「とてもよい問題提起をしてくれた」と言ってくれました。
    私は控室で 反対派の方に握手を求め 「私たちは敵・味方ではないですよ。どうか世界中の知恵を よろしくお願いします」と申しました。
    愛チカラの方が 「阿部邦子さんのお話をもっとお聞きしたい」と言ってくださったので 「愛知ボランティアのホームページをご覧になり ぜひ 愛知ボランティアに参加なさってください」と申しました。 もし 参加して下さったら みんなで歓迎しましょう。
    これは そういうことに参加しました   という 活動報告です。
    もし ご意見がございましたら じかにお聞きします。  ここにご意見は勘弁して下さい。 感想は大歓迎ですが。上記だけで 精魂尽き果てています。 じかに話しあいましょう。

    3月に 久田ボスが 「阿部邦子のがれきに咲いた花 出版記念講演会」を と言ってくださいました。 久田ボスの企画力 実行力には ただただもう 脱帽で ただただもう ありがとう!!!!!みなさん よろしくおねがいします

    9月30日 十八成に行ってくれたボランティアの皆さんを東別院で「お帰りなさぁい」とお出迎えし、そのあと、東別院さんのご厚意とご理解で一部屋用意していただけて いつもは十八成でやる プチ講演をさせていただきました。

    そのあと 伊藤由佳先生の引率??で 恭一氏 久世さんの四人で東海中高校へ。 噂の カヅラカタ を 見せていただくはず・・・・が、台風で なんと文化祭そのものが中止。  飛行機も欠航で 久世さんの瞬間判断で 飛行機を翌日に変更  その日の宿も取っていただけました。
    そして由佳先生の瞬間判断で 久田ボスのクラスの出しものだけを見ることができました。
    貴重な夏休みを使って 生徒たちが自主的に 愛知県中の市町村をすべてあるいて回り 役場や市役所に ワンコインサポターズのチラシを置いていただいたと。
    その方々に 実際に会うことができました。 
    私のメッセージが写真入りで 大きく壁に貼ってありました。
    生徒の一人が言ってくれました。  こっそりとね。
    「阿部邦子さんだあ。なんでこんな写真使ったんだろう。ずうっと美人で すぐにわからなったよ」
    きゃあ きゃあ  なんて正直な子!!!
    みんなで写真を撮れたことが嬉しい。 

    一緒にモーニングを食べてくれた愛知ボラセンの皆さん  私のプチ講演を聞いてくれた愛知ボラセンの皆さん  ずうっと付き合ってくれて 足代わりになってくれた久世さん  色々心遣いをくださった久田ボス  前林中学校の皆さん 豊川高校の皆さん  ずうっと笑顔をくれた由佳先生  そして 付き添ってくれた恭一氏  愛知ボラセンに心添わせてくださっている 東別院の 友也さんはじめみなさま・・・・・
    ありがとうございました!
    ああ、私たちが留守の十八成を守ってくれた地域の方々にも お土産持参で感謝の念を伝えさせていただきました。

    本当に人間って 一人で生きているんじゃないんですね

    ・・・・あ~~ 長いなあ。 
     読んでくださって  ありがとうございました!!!!!!!

    • TOSHI より:

      邦子さん、こんばんわです。確かに長かったですけれども、一気に読みましたです。小論文です。意見なんて言えませんです。直接なんてとてもとてもです。ですけれども黙っていられなくなって勇気を出していますです。邦子さんに説得力はもう十分に知っていますけども、原発反対大反対どうだ自分は正義の味方、と言いきっている人に、毅然と意見を言ってくれている邦子さんはかっこよかったと思う。高校生は多感なんで、そのかっこよさをびびびっとまっすぐに受け止めたのでしょうと思う。自分が招いた、おそらく反対意見に問題提起などできる人はいないと高をくくっている人に、「机上の空論」と言ったのですか。邦子さんすごいことをやっちゃいましたですね。会場の全員が息をのんだのではないですかね。ですけれどもその反対の人、邦子さんの意見を聞いているうちに「やばい!!」と思ったのではないですかね。同じ反対意見の人でも、ちゃんと被災地に行って、そして原発に勤めている人たちの心意気も把握している人の反対意見だったらば、高校生も「机上の空論」とまでは言わなかったと思いますです。それにしても熱があって骨にひびが入っていて、邦子さんのパワーはどこから出てくるんだろう。とんでもない人です。敵にしたくない人と思ったです。10月6日も愛知、と聞いたんですけれどもそうなんですか。愛知に引っ越したら嬉しいですけど、無理ですかね。出版記念講演には何があっても行きたいです。仕事や家族の関係でくぐなりには行けないけど、愛知ボランティアには関心がある人たちは多いし、邦子さんに魅力を感じている人は多いんで、そういう人たちがみんな結集したら壮観だろうと思いますです。久田先生実行よろしくです。

  13. 秋田由美 より:

    邦子さんへ

    大変!!大丈夫ですか?愛知までの道のりは遠いし、振動で肋骨痛みますよね。
    心配です。  でも、待っています!何か変な書き方ですが・・・。
    どうかどうか、お気をつけてお越しくださいね。

    復興・・・人がたくさん関わって、つながって、考えて、笑って、泣いて、うまく表現できないけれど、
    とにかく人の力で人が復興できると、街も世の中も復興していけるのかな。
    そこには”心”が必要なんですよね。
    心と心がつながったら、きっとみんな元気になれますよね!

    いつも大切なことを教えてくれる邦子さん、ありがとうございます!

    • 阿部邦子 より:

      由美さま
      コメントをありがとうございます。
      心配してくださって 本当にありがとうです。
      私の周りの人たちは ちっとも心配してくれません!!
      主治医でさえ 『全治一カ月』と診断し、「痛いだろうなあ」とは言ってくれたけど「阿部邦子はあと千年生きると思われているんだ。俺は すでにもう 千年生きてると思ってる」と!! わしゃ 妖怪か!!
      復興について 私の言いたいことをまっすぐに受け止めていただいて ありがとうございます。
      多くの人が 町が生き返ること 元気になること どういった企業を誘致できるか どういった計画でいくか・・・・・を前面に打ち出すことを 復興と思っている。
      私は違うと思っています。 いいえ 町が元気になるのはもちろん復興ですよ。 でもそこに住む人たちが元気になることこそが その上での町の再建こそが 復興だと私は思います。
      町が元気になればおのずと住民も元気になる  ということなら  まず 住民ありき  ではありません。 住民が元気になって 自分たちで「どうすればこの町を」と考えるべきだと思います。
      そのためには 一人ひとりが 心の 負 を 解放しなければならない、 そこから始めなければならない
      被災者が 高台の一角に寄せ集められ 再建した区画にはまるで縁がないかの如くで その賑やかな所には外部から入った人たちだけが笑っている  ・・・おかしいでしょう??
      町の住民たちが笑いの中心にいる  そうであってほしいと思っての執筆でした。
      わかってくださって ありがと!!!
      これからもよろしくお願いします

      • 秋田由美 より:

        妖怪ではない?!邦子さんへ

        今日の前林中での講演会、またまた心に響きました!
        邦子さんっていつも”人”のことを想っていらっしゃるんですよね~~~。根本はそこなんだと、つくづく感じました。
        だから、この連載もずしっと伝わってくる。
        だから、今日の講演会でも女の子が感極まりながら「お父さんにお疲れ様って、お母さんにありがとうって言わなくちゃ」と素直に言える。邦子さんの想いが伝わっている。
        そんな気がしてなりません。

        そして、邦子さんと恭一さんと、それから久世さんに手を振りたかったけど、どうしても勇気が出ませんでした(笑)あまりにもお行儀が良い中学生たちだったので(笑)
        それにしても、保護者が少ないのには驚きました。大人もいろんなことに関わっていけたらいいのに・・。大人の私たちはもっとこどもたちから学ぶべきですね。

        すみません、ここに書くべきことではないかもしれないけれど、どうしても伝えたくてコメントさせていただきました。

        邦子さん、肋骨は痛みますよね。どうぞお大事になさってくださいね!不死身かもしれないけれど、妖怪ではないのですから(笑)

  14. TOSHI より:

    邦子さん、お晩です。急に寒くなりましたけども、うみべは寒くなるのも早いと聞いていますです。風邪などひいてませんですか。自分がくぐなりに「帰った」のはちょうどいい気候の時でしたので、今度は超暑い時、と思ってましたらば、涼しくなってしまいましたです。その時、つまり自分が参加した時のことですけど、一日の活動を終えた中から何人か指名を受けて避難所だった時の建物の壇上に上がり、その中の一人が、「機会ができたら、また来たいと思います」と言ったら邦子さんが「機会は待ってるものじゃなく作るものなんだもんね」と言って、その人と邦子さんはもうおなじみだようで、なんですけど、その時の言葉をほんとに時々思い出していますです。哲学的な深い言葉です。それで今回の『復興とは』もとてもとても深い文章でした。被災地に住み続けて、被災者の言葉を一番きける、それで邦子さん自身が被災者だからこそ書ける文章だと思います。邦子さんの文章はとても読みやすいんで、さああっと読めますんですけれども、自分は日を変えて何度か読み返していますです。そうすると最初読んだ時には気付けなかったことが「ああ、そういうことだったのか」と気づけて、耳元で邦子さんが「わかってくれてありがとね」と言ってくれた気がしますです。本当に内容が深いです。これに意見は言えないなと思いますです。邦子さんの経験と環境と感性、その三つがおりなしていますですね、この連載はね。いよいよ終盤と書いてましたですけれども、これでおわりではないですよね。少なくともあと百回ぐらい続いてくれると嬉しいんですけれどもね。邦子さんには 「ぶれる」というのがないんで気持ちがいいし、人生を教えてくれてますよ。この連載は邦子さんにしか書けません。それを読める自分は幸せなんです。幸せをありがとうです。

    • 阿部邦子 より:

      TOSHIさま  コメントをありがとうございます。
      時間を見て びっくりしました。  今朝がたの  3時 ですか。
      時折起きていることもありますが  さすがに今朝はその時間  寝ていました。
      ・・・・過分なるおほめのお言葉 ありがとうございます (汗)
      でもそうですね  自分自身も被災者で  被災地に住んでいるからこそ被災者の日常を見、真の思いを知り、 そしてまあ 私の感性で  その三本柱にてこそ 書ける  そして だからこその視点もあり 思いもある  ・・・・はっきり言いますけど それはたしかにあるでしょうね。  もし私が仙台在住で 実際の経験がなかったら  書くことはできなかったろうし、書いたにしても、確かに、 それなりの視点から、 ということになったでしょう。
      少なくとも 被災者の方々からは (あくまでも 私の耳に入った限り、ですけど) 「こういう気持ち、どう表現していいかわからず、 辛い思い、悔しい思い、 悲しい思いをし続けてきたけど、 阿部邦子さんのおかげで そうだよ!こういうことなんだよ!と すっきり、納得できました!!」 と言っていただいています。  
      ・・・・・そこそこに有名な方なんでしょうけど 詩人とか作家と言う方が 「被災地」『被災者』への想いとか、  「彼らの気持ちってこうなんだよ!!」ってな 文章を発表したり 小冊子などを発行したいますけど  申し訳ない 私は殆ど 「・・・これって違う」「…自己陶酔?」「・・・こんなふうに断言されると困るんだけどなあ」 と思います。 でも 「そういうこと、書かないで」とか、 「被災者以外、被災地や被災者のことは 言わないで!!かかないで!!」とか、 「意見なんて言わないでよ」   そうは決して思っていません。
      まあ  愛知ボランティアセンターの方々には 「もし被災者が 何かを語りたい って思ってくっれたら お願いだから そういう人たちに 何かを教えようとはしないで  受け止めて 聞き上手になってね」  とは言ったいますが。  そうでしょう? 究極のつらい体験者に面と向かった時、 何かを教えようなんて できるはずがない。   もちろん、個人的な信頼関係が築けていて、 「どう思う?」 と意見を求められたら 多いに語り合ってほしいです!!
      でも少なくとも私は、 意見は大歓迎です。  あくまでも 作家としての私には ですが、 「ああ、こんな風に思われているのか」「へえ、そう受け止められているのか」 と、 意見をお聞きするたびに、 面白く、そして時には新鮮に、また 驚きや 表面だけ見たらそう思うでしょうね とか ああそれは完全にあなた個人の見解であって私たちの気持ちを知ろうとはしていないね とか  机上の空論 だねえ とか  その方々の意見に  私もしっかり 反論するときもありますけどね。 殆どは 「へええ そう思われているのかあ」 ではあります。 
      まあ  被災者の多くが 「これからも 邦子さんの感性で書いて!!」と言ってくれてますから  「狭い視野」での執筆ではない  と自信を持って言えますし TOSHI さんがおっしゃってくれたように なぜこういう書き方をしたんだろう  と思える個所については そう書く必要があった  と  まあ 素直に受け止めていただいたうえで 「なぜこういう書き方を?」 と考えてくだされば 「・・・あ!!そっか!!なるほど!!」が 見える場合もあるかも です。
      復興については  大きな発展は大事だし 必要だし 大歓迎ですけど  私は 被災者の一人ひとりの 心の復興  まずはそれこそを  望んでいます。  いくら町が発展しても 被災者一人ひとりの心が元気でなければ  と思っているからです。 それこそが 「住民主体の復興」とも直結すると思っているから。
      TOSHIさん  そこまで読み込んでくださって ありがとうございます。
      けど ただ 楽しんで読んでくださっていいよ・・・ですので。  そしてどんな意見でも 意見大歓迎ですので  これからも よろしくお願いします。
      「見えるものだけが発展したり蘇っても それは被災地 被災者にとっては 真の復興ではない  まずは 被災者の心の復興を  心のケアを」
      愛知ボラセンではそれをわかってくれているからこそ 「こころ配り」として 十八成中の家を 一軒一軒 回ってくださっている  それに感謝です。  
      寒くなってきましたので とにかくまずは 自分自身をそれぞれが ご自愛ください

  15. 秋田由美 より:

    邦子さんへ
    お久しぶりにコメントさせていただきます。
    後藤区長さん、心よりご冥福をお祈りします。ボラセンのブログで区長さんのご訃報を知り、即耕大には伝え耕大から林たいき君、1~2度十八成へ一緒に伺っている学校の友人たちに連絡がいきました。彼らの中でもいつも朝と帰りにユーモアを交えた挨拶をしてくださる区長さんは。ちょっと特別な存在だったようです。本当に悲しんでいました。
    そして・・・今日、あらたに耕大が友人と℡で区長さんのことを話していたときに華子が聞いていて「え??区長さんって後藤区長さん?亡くなったの??」
    そうだ、私は大事な近くにいるもうひとりに伝えていなかったのです。
    私がブログを覗くのは大抵夜。華子はもう夢の中の時間。
    ついつい言い忘れてしまっていました、大事なことを・・・。
    邦子さんの連載を読んでいて、身近な人、何かの縁で出会った人を大切に想う心を忘れてはならないとあらためて感じることができました。
    邦子さん、いつも私に大切なことを教えてくださってありがとうございます!
    華子は今度十八成に帰る時に、区長さんのために弾く曲を選曲し始めました。

    そして、来週前林中にいらっしゃるんですね!?
    前林中は我が家の隣の学区なんです!耕大の幼稚園時代からの友人も通っているんです!
    今日、その子のママが教えてくれました!いつも由美さんが言ってる”阿部邦子さん”だよね~~って(笑)
    私も一緒に保護者のふりして伺おうと思っています!
    十八成に帰る前に邦子さんに会えそうで、何だか嬉しい!

    • 阿部邦子 より:

      由美さま
      ありがとうございます。
      華ちゃんの演奏 是非 後藤前区長の奥様にも 聞いてほしいです。
      伴侶が亡くなるって 半身が引き裂かれた思いなのかもしれませんね。 夫、恭一氏を大事にしたいって (今更ながら??改めて??) 思っています。
      実はひどい風邪が続いて ようやく咳が止まりかけた???と思った一週間前に 左わき腹に鈍痛。 乳がんの定期検診は 11月だったのですけど 主治医に 「なんか気になることがあったら 前倒しでおいで」と言われていたので なんとか 20日 予約が取れて ( とんでもなく忙しい先生で、 奇跡的にとれた) 行ったら 「見事にろっ骨にひび。 これじゃあ痛いだろうなあ」と 。 全治 一か月だそうです。 でも 痛みの原因がわかったら 「なぁんだ。 だったら痛みを我慢してれば いつかは治るよね」 と言って 呆れられました。 痛いのだって 生きてる証拠。 ただ 今月末 28日 29日 30日と 愛知なんで その時に 痛みに顔をしかめてはいられないんで その時のために 痛み止めを処方してもらいました。 
      いらしてくださるなら 精いっぱいの笑顔 お見せできるように 努めます。 主治医が 「みんな、阿部邦子は 不老不死って思っているんだろうなあ」 としみじみ言ってくれました。 ・・・そうなの??  何度も何度も 死にかけて でもまあ 生きてる私を 「不死鳥」と言ってくれる人は多いですが。 私だって人の子  なんですけど。 (苦笑)
      由美さんご一家が これからも仲良く みなさんが 充実した日々をおくれますように
      そちらに震災など ありませんように  心から 祈っております

  16. 阿部邦子 より:

    後藤正信さんのお見送りに伺って 息子さんが挨拶で、「身体がこんなに弱っている姿を、誰にも見せたくない、と言ってので、どなたにも、病状とかお話しできず、失礼しました」と仰って、「わかる」と思いました。私も抗がん剤治療の時などは、誰にも会いたくなかったからです。そういう気持ちも汲んであげることが、思いやりだと思います。
    そうして友人代表の方が、「息子さんのお嫁さんに、おじいさんとおばあさんは、ずうっと私たちと一緒だよ、と言われて、俺は幸せ者だなあと言っていた」と言っていらして、よくぞその言葉を言ってくれたと、本当に嬉しく思いました。
    私は大事な人に、たくさん旅立たれています。逝ってしまったことは、とても寂しいです。でも、『心残り』や『悔い』はありません。それはたがいに、元気なうちから、ちゃんと気持ちを伝えあっていたと信じられるからです。 私は連載の中やにもそれを書いたし、講演やプチ講演で、何度も皆さんに、強く、訴えています。 「大事な人にこそ、ありがとう、嬉しい、大好きだよ、そういう気持ちを言葉にして、伝え続けてください」と。
    正信さんの息子さんのお嫁さんは、ちゃんとそれを伝えていました。そして正信さんもそれを嬉しいと、受け止めていました。正信さんのご家族は、とても寂しいでしょうが、悔いはないと思います。遺された人の心の空洞を埋めるのは、「でも私たちはわかりあえていたよね」との思いだと思います。逝ってしまってから悔いることはしたくないので、夫 恭一氏にも、できる限り 気持ちを伝えて行こうと、改めて思いました。
    久田ボスが、「名古屋とはかなり形式が違うね」と驚いていましたが、 宮城では、お通夜の時、 「通夜ぶるまい」をするのは普通です。 ところによっては、「精進落とし」でしたか、みんなで生前の故人の思い出などを語り合いながら、多いに飲み、食べ、語り合います。
    一昔前までは、お葬儀はすべて、隣近所の人たちにより、営まれました。近所の人たちが集まって、「しろぶかし(餅米で 色をつけない) ご飯を炊き、 寒天流し、刺身、お煮しめなどの料理を作り、一晩、故人の寝ている枕元で語り合い、夜が明けて、ご住職が拝みに来るのを待った、その風習の名残かも知れません。 でも今では家によっては、遺骨にしてから通夜ぶるまいをするところも、増えてきているようです。
    この震災がなければ、私はたぶん お通夜やお葬儀には行かなかったのではないかな。 私の家は 十八成でも 「東地区」にあり、正信さんの家は、「西地区」でしたから、殆ど接点はなかったからです。  そして区長さんと言うのは、実はそれほど、一般住民とは直接のかかわりはないものだからです。
    それが東日本大震災で、大きな接点ができました。暑さと寒さにとても弱いそうで、時には 愛知ボラセンのお迎えやお見送りを 「とても無理だ」と言う日も多々ありましたが、 挨拶の時に礼をこめて脱ぐためだけに 帽子の存在は欠かせないと 苦笑交じりに言っていらした、 その照れ臭そうな笑顔を愛した人は多いと思います。
    愛知ボラセンが十八成に通い続けるようになったには、多くの人の思いがあってのことで、その中に、後藤正信さんの存在は欠かせないと思います。
    ただ、新しいボランティアさんの中には、会ったこともない人も多いことでしょうが。 
    ですから「新しい歩み」をしていかなければならない時期だと思います。 正信さんのことは心に残し、時には語りかけ、そして、正信さんが愛した十八成りを生き返らせることが、遺された私たちの使命だと思います。正信さんが逝ってしまったからこそ、尚のこと、ますます十八成と愛知ボラセンの関わりを、絆を強めて行こうと思うことこそ、正信さんの生きてきた証を残すことだと思います。
    そしてみな様には、実感としてわかっていただけたと思います。 どうか、大切な人、身近にいる人にこそ、沢山、 言葉をかけましょう。 そして大切に、関係を育んでいきましよう

  17. 阿部邦子 より:

    元 十八成区長の 後藤正信氏がお亡くなりになりました。 実は亡くなる十日前でしたか、 急に気になって 夕方でしたが、恭一氏とお宅に伺いました。 座椅子にぐったりと横になっておられて でも顔を見ると起き上がって 思いのほかはっきりと話しだして ホッとしました。
    愛知ボラセンが来てくれるたびに、「話すの苦手でなあ、邦子さんのように話せるなら、楽しいだろうがなあ」と仰っておられましたが、本当に初めのころは、いかにも 役場の朝礼 のような 真剣で堅い口調だったのが、次第にユーモアがにじみ出てきて、さも 楽しげな口調になってきて いつしか私は 父親を見る娘のような視線で話すのを聞いていました。
    愛知ボラセンの活動を温かく見守り、沢山の協力をしてくださいました。憩いの家の厨房を使えるようになったのも、正信さんのおかげです。
    「久世さんなあ、来るたびによってくれるんだ、早く嫁を貰えって言うたびに、笑ってごまかす」、そう言って笑った時の笑顔の、優しかったこと。
    老夫婦二人きりの生活を早く卒業して、高台で、息子さん夫妻や、お孫さんたちに囲まれて、隣近所の人たちと、楽しくお茶っ子のみの生活をなさりたかったでしょうに。
    でも、正信さんが、長年 行政区長として守ってきた十八成は、きっと大きく 生まれ変わってくれると思います。どうかこれからも、力を貸してくださいね。
    ところで。 数日前、いきなり、パソコンが固まってしまい、そうしてなぜか ガス警報器が、ガスなど使っていないのに、鳴り出しました。 もしかして、「恭一さん、俺はあんたの誠実さが、本当に好きだよ。邦子さん、あんまり疲れをためるなよ」って、口癖のように言ってくれたことを言ってくれに、最期にいらしてくださったのでしょうか。
    長い間 ありがとうございました。 お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。 あとでみんな、そっちに行くからね、また いっぱいおしゃべりしようね

  18. 阿部邦子 より:

    ★沢山の方から 「十八成プロジェクトの成功をお祈りします」との連絡をいただきました。ありがとうございます。
    久田ボスは企画力  沼倉さんは統率力  及川さんは行政へのパイプ役  後藤さんはち密な会計力  そして 恭一さんは細やかな、地域の人たちへの思い  邦子さんは判断力とぶれない筋の通った信念と相手を魅了するオーラ  それぞれがそういうその人ならではの力を出し合って それを認め合えば きっと成功間違いなしです  とまで 言ってくださった方までいらして  私は過分過ぎるお言葉だと大いに照れながらも  自分にできることはしようと 思うことができました。
    それほどまで 認めてくださって そして 十八成のこれからに 関心を持ってくださり 応援してくださって  本当にありがとうございます。
    プロジェクトが成功したら 日本中の垂涎の的 の街 になるのは 間違いありません。
    よろしかったら 一緒に住みましょう(笑)

  19. 阿部邦子 より:

    ★河北新報と 中日新聞に 『十八成ビーチ・海の見える丘』プロジェクトが 紙面のとても目立つところに 囲み記事で 大きく取り上げられました。
    それについて 久田代表が ブログにて 記事掲載のお知らせとともに プロジェクトの概要を書いておられましたけど それについて私のほうに 「え!?」という問い合わせが (今現在で) 13件 寄せられました。 
    久田代表のブログのほうに その質問に対してのお応えをさせていただきまして それを久田ボスは掲載してくれたのですけど、そのあとにも問い合わせが来ているので ここにも書かせていただきますね。
    どういう意図かはわかりませんが その会について  会長 沼倉氏 ・副会長 及川氏 ・ 監査  後藤氏 ・そして 事務局長の 私 久田です
    とだけあって  それを見た方々から 「邦子さんの連載で ちょっと触れていた プロジェクトですよね。 恭一さんと邦子さんも関わっていると思っていたのに 名前がなくて え!?と思いました。 どういうことなのでしょう」  との問い合わせがあったのです。
    沼倉さんと及川さんと久田さんは 理事 です。 後藤さんは 監査。  ・・・そうですね。そう指摘されると この4人だけの ちまちました会に思えるんですけど  とのご意見も わかるような気がしますね。
    大丈夫ですよ。 恭一氏は そもそもの会発足から関わっている 役員で  他に 平塚さんと言う女性の方 そして私も 役員となっており  他に 「委員」として  10名ほど。
    委員に関しては それこそ 会のほうから 「知恵と力を貸してほしい」とお願いして、 会議のたびに ガソリンを使い 時間を作って 駆けつけてくれています。
    そういった方々もいてくれる  と丁寧な紹介をすべきだし その方々が 「自分の立ち位置」を把握してくれるように 努めて行かなければならないかもしれません。
    会の代表としての 4人だけを 重視している と思われるのは  そうですね  まずいように思えます。 「この会に 別に自分は必要とされていない」 ・・・そこまで短絡的に思う人はいないと思えますけどね、 皆さん大人ですから。
    ただ 私たち 住民にしたら 今現在の一番の関心は 『高台移転』なのです。 プロジェクトは 将来においての 唯一の 希望  ではありますが  住民はまず どういう家が 自分の 終の棲家となるか  それが一番 どきどき はらはら なのですから。
    ですから プロジェクトと 並行で 並行と言うか イコールで 高台移転も 大事なことで  それをわかってくれていたら 少なくとも 十八成住民の代表としての 役員名も 明記すべきでしたね。
    地域民が その 4人だけの名前を見たら 『恭一君は 関わっていないのかい?』と 言ってくれる地域の人は 決して 少なくないと思いますよ。 恭一氏自身は 「俺の名前なんかなくてもいいさあ」と ゆったりと言うでしょうけど。  でも 「地域民の真意が一番重要」 と言ってくれている限りは そこまで丁寧な紹介は当たり前ですよね  との ご指摘 なるほどでした。 本当にありがとうございます。
    何かに関わっていると その中にいる人は つい なあなあ・まあまあ とか なりがちなので これからもお気づきの点は どうかご指摘を よろしくお願いします。 
    みなさんが 十八成のこれから について 大きな関心を持っていてくださっている それが本当によくわかりました。 ありがとうございました

    • ジーコ より:

      初めてメールするんでドキドキっです。私、久田先生のブログを読んで「あら?」と思った一人です。あそこを読むのは愛知ボランティアに関心のある人と、十八成浜に関心のある人が殆どですよね?だったらばなんで恭一さんの名前を書かなかったのか不思議だし変ですよね。沼倉さんとか及川さんとか後藤さんなんて読む人のほとんどは知りません。そして、役員と言うのも立派な幹部ですよね。たった二行ほどあれば、書けることですのにね。面倒うだったのかな。重視していなかったということなのかな。だったらボランティア参加者の思いや、地域の方々の思いをまるっきり受け止めていなかったということですよね。恭一さんの名前を出せばボランティア参加者も、地域の人たちも納得するのにね。変だって思いました。だから邦子さんが「大丈夫ですよ」と書いてくれて、安心しまくりました。多くの人がそうだと思いますでっすよ。私は何度か参加していて、愛知ボランティアセンターが今まで続いたのは恭一さんのおかげと思っています。他にもたくさん、この人のおかげと言える人はいますけれども、恭一さんのことを軽く見たら罰が当たるぞと思います。地域の人が何人も恭一さんに「いつもお世話になって」『頼りにしてうよ』と言っているのを実際に聞いてますですしね。恭一さんに手そう見てもらってないし、ハグも恥ずかしくてできてないけど、顔を見るとホッとしてます。恭一さん、少しおなかの脂肪を落とせば、もっと若くかっこよくなりますし、長生きできます。長生きして下さい。S4参加の人に聞いたんですけど、恭一さんに会うためだけにボランティアに参加しているそうです。久田先生が思っている以上に、私たちにとって恭一さんは大事な存在ってことをわかってほしいです。もちろん邦子さんのこともみんな大好きです。きりっとしていて、筋が通っていて、でも笑顔になると観音さんです。お二人がいてくれるから、私はこれからも時間を作って十八成に帰ります。今度ハグして下さいね、恭一さん。あっ言っちゃった、恥ずかしっつつ

      • 阿部邦子 より:

        ジーコさま。
        コメントありがとうございました。
        何よりの応援メッセージで、本当に嬉しかったです。
        久田ボスが、恭一氏と私のことを 無視したり 軽く見たりしている ってことはないと 私には信じられます。
        私たちの名前を書かなかったのは、
        一つには、 プロジェクトをさらっと紹介 ってつもりだったので、 別に深い意図はなしに、 理事だけを紹介。. 
        それともしかして 私の連載で プロジェクトが動き出そうとしている とだけ紹介した中に 恭一氏は役員  私は広報と言うことで参加している  と書いたんで それでもう 少なくとも私の連載を読んでくれている人には  恭一&邦子 の立ち位置はわかっているだろうと思った
        そしてあるいは あまりにも忙しい日々が続いて疲れ切っていたので 役員や委員たちのことまで紹介する余裕がなかった
        まあ これらのうちのどれかでしょう
        今回の新聞連載については 石巻***新聞社の ***氏の理解と好意、そして応援の気持ちがあったからです。 おおいなる という言葉を付け加えなきゃと思えるほどに。
        幾分かは 広報担当として 任を果たしている と 思っています。 うぬぼれとか 自己主張ではなく。 
        それはいちいち 「邦子さんのおかげ」と言われなくてもいいことです。 
        ただ ガソリン代を使って 時間を作って 会議のたびに来て下さる 委員の方々には おいで下さるたびに 礼を尽くすべきだと思っています。 来てくださってありがとう。 言葉に出して 言うべきだと思っています。
        『互いに認め合える』『たがいに感謝し合える』 そういう会として 歩んでいきたいと思っています。 
        これからも 「え?」ということがありましたら どうかご意見を よろしくお願いします。
        恭一氏はそもそも 目立つことは好きじゃないんで 地域の方の思いを一番きっと受け止めているということを 久田ボスがわかってくれている それだけでいいと思っているのかも。
        今度ぜひ 手相(だけではなく 全体のイメージからも判断している)を見てもらいに 帰ってきてくださいね。
        ジーコさんって もしかしてたぶんあの方? と思えているんですけど きっと 今度はお声をかけてくださいね、 ありがとうございました。

        • 久田光政 より:

          代表の久田です。
          すでに「十八成ビーチ・海の見える丘協議会」の役員、委員の全員の名前をブログで紹介していますので、今更意味のないコメントの感じがしないでもありませんが、私のことがトピックになっていますから、一言申し上げおきます。
          邦子さんのご指摘の「一つには、 プロジェクトをさらっと紹介 ってつもりだったので、 別に深い意図はなしに、 理事だけを紹介。」の「さらっと紹介」はその通りです。「深い意図はなしに」は少し違っています。名前をネット上に出すことに少しだけのためらいがありました。恭一さん、邦子さんについては今更ということでしょうが、名前を出すなら、恭一さんと邦子さんだけではなく、役員全員ということになります。そうなると、個人情報としての実名をだすことに些かのためらいがありました。従って、一切名前を出さないという考えもあると思いました。しかし、愛知ボラセンの活動に参加されている方々があまりご存知ないであろう沼倉さんや及川さん、後藤さんの名前を紹介することで、ボランティアさんの見えていないところで愛知ボラセンの活動が広がっているということも紹介できるのではないかと考えて、沼倉さんと及川さんだけの紹介にとどめたということを申し上げておきます。

          • 阿部邦子 より:

            同じことでも 立場や思惑で 受け止め方は色々です。個人情報になるから名前を出すのを遠慮してくださった久田ボスには そこまで考えてくださってありがとうございます・・・ではありますが、 役員になる、 委員になる ことを承知した時点で、 自分の名前を出されるのは困る ということはないと思います。
            理事、役員については、そのすべてが 『住民の代表』ですから、理事だけを発表となると 住民主体 という視点に 少々違和感がある ということは確かです。 
            と言って別に 会の中に そして 住民たちに また 愛知ボランティアに対して 不満分子がいるということではありません。 ただ 丁寧に進めて行くことは大切だというだけのことです。 皆さん心配してくれている そして大きな関心を寄せてくれている  その思いにも 丁寧に応えて行きたいと思っています。 久田ボスがコメントを下さって 安心してくれた人も多かったと思います。 大丈夫ですよ ちゃんとかなり話し合っていますから。 ただ 『その中にいると気づきにくいこと』もあると思いますので これからも 「これってどうなのかな」と思ったことは 発信をよろしくお願いします。

  20. JINN より:

    こんにちわ。私は毎週楽しみに読んでますけど、でもコメント書けなかったんで、お久しぶりです。コメント書かないんではなくて、とてもとても、書けないんです。邦子さんの書いてくれたとこtとに、どんなコメントが書けるというんでしょう。私は自分では想像力あるって思ってますけども、想像力などかなわない世界があるって、邦子さんのを読むたびに思います。邦子さんの体験を読んだり聞いたりしていて、自分には想像力があるからある程度以上はわかる、なんて、傲慢と思えてしまった、だから書けなくなった。ですけれども、邦子さんは受け止めてくれると思えてるんで、勇気を出して書いています。邦子さんもきっとっ勇気を出して書いてくれていると思います。ありがとうとしか言えません。出版ってなったらきっと、実家とか友達とかにこの本は読むべきだよと、身近に置いておくべきだと、言います。邦子さん何もかも背負わないでください。何でもできるから、どんな人の言葉でも理解できるし、信頼があるから、みんな邦子さんに頼って甘えて、やってくれることが当たり前になっているんじゃないですか。邦子さんきっとイイコトありますからね。あるって私は信じてますからね。

    • 阿部邦子 より:

      JINNさま
      コメントありがとうございました。
      過分なるお言葉を戴き ただただ恐縮です。
      連載 いよいよ終了間近で 感慨深いです。
      昨年9月 連載の話があった時には  書けない と思いました。全てもう 忘れたいことだったし、 3月までの予定で 24回分も 書くことなんかあるだろうか と思ったからです。
      一度 お断りしたのですよ。
      でも、 大原小学校にお世話になっていたときに、「邦子さんの役割は、今のこの状態を書きとめておくこと』と言ってくださった方がいらしたなと。 そして、毎週通い続けてくれている 愛知ボランティアセンターのことを 書き残しておきたいなと思ったこと そして  自分と周りの時の流れと心の推移を 作家としての目で 見つめてみたいと思ったこと
      そして 一人ひとり 一つひとつのことを書くことはできないだろうけど 沢山の方々に 連載を通してお礼を申し上げたかった・・・などの理由で 書くことを引き受けたのでした。
      それが 半年長くなりました。自分で 良く書き続けられたなと ・・・。
      すべて 応援して下さる方々のおかげです。
      想像力についてですが 計測などできるものではないですし 人と比べる  つまり「あなたより自分のほうが想像力持ってるよ」 なんて言えないと思いますし、 大体において その人に想像力があるかどうかは 自分ではなくて 周りの人たちが感じることなんじゃないかな。
      ただ すっごく辛いことがあった時は 想像力が自分を救ってくれるのは確かで、 その視点から言わせていただくと、 のたうちまわるような癌の闘病を何度も体験していますし 子供を産めなかったり そして今度の大災害 それと一応は 『無から世界を創り出す 作家』ですので  まあ 私に想像力はあるもんね~~ なので。
      何だかこの頃 とっても疲れやすいです。 3晩ぐらい徹夜しても平気だった私は どこに行ってしまったんでしょう。
      まあ そうなったからこそ 気づける 見られる 世界もあるので そして 作家に定年はないので 何度も言っていることですけど とにかく歩き続けます。
      連載が終わっても 出版です。 これからも応援して下さい

  21. 阿部邦子 より:

    平成24年9月1日。
    今日は・・・何回目かな 『十八成ビーチ・海の見える丘協議会』の会議がありました。
    住民の意見を重視して 高台移転の図面を描いてくれる アーキエイドの方(大学の先生)や 市会議員、行政の人たち 石巻かほく新聞の総局長・・・も来てくれて 沼倉会長はじめ役員たち 委員たち 総勢20名ほど。  12時半に 避難所だった 憩いの家に集まり 13時から。
    私は朝の『お出迎え式』の挨拶の時 「私は皆さんに助かってほしい。だから一人でも 命をかけた私たちの体験を聞いて いざというとき 助かってほしい、大事な人を 守ってほしい」と 今年の3月16日から 言っています。 来てくれてありがとう。 その皆さんにせめて私にできることを と思ってのことです。 誰に強制されたことでもない。 本心から 「助かって。一人でも理不尽な死に方をしないで」 と思ってのことです。
    だから私は 「話、聞いて」とは言いません。あくまでも 「一人でも聞きたいって思ってくれたら 私は精いっぱいお話しします」という姿勢を貫きます。
    私は 広報担当として 役員となっていますが、 今日も 会議を抜け出して 14時から 1時間ほど 話させていただきました。 『出発式』、そのあと、 に沢山の方が、「話を聞けて良かった」と言ってくださり、私は ああ、話せてよかった と思えました。
    おかげさまで 最初のころ・・・今年3月あたり は どこか・・・話すほうも 聞いてくれるほうも なんて言うんだろう 手探り・・・って感じでしたけど 今は 驚くことに 「前に参加した友達から 邦子さんの話のことを聞いて 私も聞きたいと思って ボランティアに参加しました」 と言ってくれる方々まで。
    本当に嬉しいです。 

    連載 いよいよ終盤です。 長いことお読みいただき ありがとうございました。
    正直言って 全て忘れてしまいたいことを 心の奥から掘り出しての執筆ですので きついなあと感じることもありました。でも書けて良かったと思っています。自分の心の推移も冷静に見ることができましたし、 体験者だからこその感じ方 そしてわかったことなど 書きこむことができたと 自負しています。
    それもみんな 応援して下さる方々のおかげです。心から感謝しています。
    何度も言っていますが 人の感性は色々です。 同じことを言っても、 伝わり方はいろいろだと思います。 でも私の思いは 言いたいことは 
    お願い、 みんな、 助かって!!!
    来年3月ごろ 出版予定です。その時は 皆さんお一人お一人が 自分の中で風化させないために よろしくお願いします。
    久田リーダーは 3月10日に 愛知で 『出版記念講演会を』と言ってくれています。
    あと7か月後。 それまでに 十八成の復興プロジェクトも、形が見えていればいいな。
    そして 何年か後、ボランティアに参加してくれた方々が、今度はご家族と、生まれ変わった十八成に 遊びに来てくれたら嬉しいな。
    嬉しいな、 ではなく そうあれるよう 歩き続けたいと思っています。
    連載が終わりましても 応援して下さいね。

  22. 阿部邦子 より:

    8月30日今朝がたの 震度 5 の地震のこと 沢山の方にご心配いただき ありがとうございました。 寝入りばなだったので 半分寝ボケていて 焦りました。
    この仮設住宅は まあ たぶん 津波被害はないでしょう・・・が (ここまで津波にやられたら 十八成は 全滅ですね)  何しろ土台ではなく 丸太を立てて並べて その上に とん と置いてあるだけなんで 住宅そのものが 崩れ落ちる ということはあるかもしれないなあ。
    被災前に住んでいた家は、 築 100年。 しっかりした土台。 太い柱。 欄間には見事な彫刻が施され、 天井にはのぞき窓。 一昔前、 その下に囲炉裏があって 煙を出す窓だったそうです。 雪が降る日 月の見える夜 空が夕焼けに染まった時 その窓は 『一枚の立体的な 画 』 になったものでした。
    そして 民宿用の建物。 それから 恭一氏が 両親のために建ててあげた 可愛い家。 大きなお風呂、トイレ、洗面所、そして収納がたくさんできる押入れのついた部屋が二つ。 小さな冷蔵庫も設置して、おやつや飲み物でいつもいっぱい。
    出窓が素敵でした。 不器用そうに見えるかもしれないけど、 カーテンぐらいは縫えるので、ちょっとしゃれたレースのカーテン。 外から見ると、 「どんなかわいい女の子が住んでいるんだろう」って雰囲気。
    私の書斎は圧巻でしたよ。 こつこつ買いそろえた 世界の児童文学が壁を埋め尽くしていました。 読書好きの人だったら、 一歩そこに入ったら 言葉を失ったと思います。
    一生 居続けられると思っていました。
    本当に 自分の運命 どこでどうなるかわからない。
    逆にいえば これから フィーバーできるかもしれません ということですね。

  23. 阿部邦子 より:

    ★こんばんわ。 今日もなんとか 無事 夜を迎えることができました。仮設住宅は 使い勝手は悪いけど 狭いながらの利点はあって エアコンで すぐに涼しくなります。  けど 被災前 民宿を営んでいた時は 「エアコンのない民宿」として人気があったんですよ!!窓を開けると潮風がまっすぐに入って来て 夕方からもう涼しくて。 明け方なんか寒いぐらいの真夏でした。
    海から近いということでの笑い話。
    ラジオ局から電話でのインタビューがあって 「邦子さんのお宅は、海から本当に近いんですよね』「ええ、近いです」「じゃあ、部屋にいて潮騒が聞こえる?」「風向きにもよりますけど、時にはあまりに波の音がうるさいほどで、音量スイッチがほしいぐらいですよ」「あはは、音量スイッチですか、・・・あ?」「はい?」「・・・今、波の音が聞こえませんでしたか?」  え?聞こえませんよ  と言おうとしたら 「あ、また、聞こえた」・・・・道路を走るトラックのエンジン音でした。でもアナウンサー 「あ!また!ねえ、ちょっと ちゃんと聞いてみましょうか」 まさか今更生番組で 「トラックが通る音ですよ」ともいえず、 困ったな と思ったら幸い またトラックが通って。
    「あ!ほら!聞こえた!この番組を聞いてくれている方にもはっきり 聞こえたと思いますよ、ああ、いいなあ」・・・・。今となってはもう叶わぬ思い出です。
    閑話休題。 
    今日は 通院の後 レストランで!!お食事をして 本屋巡りをしました。 本屋さんに行くと時間を忘れますが 久しぶりで行ったせいか、 背表紙を見ているだけで眼がちかちかしてきて 二件で帰ることに。
    そこに続けざまに 4件の電話が入って 今市街地にいる と言ったらそれぞれが、 ちょっとでいいから会って、 と言うので それぞれ 20分の約束で 会いました。
    そうしたら 奇しくも 3人の人から 「大川小学校、行ってみましたか?」 ・・・と。
    大川小学校 ご存知でしょうか。 今 正確な数字ではないですけど 学校にいた教師 助かったのは一人だけ。 そして 70人ほどの小学生が亡くなり 4人の児童がまだ 見つかっていません。
    「私は行っていません」と答えました。 行けないんです。 私も恭一氏も霊感が異常に強いので それほどの命が一瞬で喪われたところには 行けないし  行ってどうするんだろう との疑問もあります。  子供を亡くした母親の友達が言っていました。 「そういうところを見てどうするんだろうねえ、死んじゃった子供のことを思って合掌しながら涙をこぼして、 泣ける私ってなんて優しいんだろう って思いたいわけ?」
    とてもきつい言葉のように思えるかもしれませんが、彼女は強い口調ではなく、 しみじみと、 本当につらそうに言ってくれました。
    被災地観光ツアーのようなものがあるそうで、そういった マスコミで取り上げたところを見て歩くとか。
    風化させないためにはもしかして とても大事なことなのかもしれませんが 私から見て 「あそこはそっとしてあげて欲しいなあ」と思うところは 多々 あります。
    拒否とか 気持ちが小さいとか そういうことではなく、 でもどう思われようとも 「そっとしたあげて欲しいなあ」 と言うしかない。 理屈じゃないんです。 「お願いだから そっとしといてあげて」
    でもまあ 感性は色々ですから 「でも私は***との理由で ちゃんとまっすぐに 向き合うべきだと思う」 との思いの方もおられるだろうな。 まあ それはそれで 「ああ、そうですか」と言えますが。
    時々 自分が被災者であることに 疲れます。 何もかも 投げ出したくなります。 何もしないで お布団に潜り込んでいたくなります。  被災者の多くは まだ 突然そういう思いになる自分に 疲れていると思います。  それが被災者なんです。 本当に 理屈じゃない。
    被災地観光ツァーで 被災者のそういう思いまで感じてくださったら そう思います。

    • TOSHI より:

      邦子さん、こんばんわです。宮城では、お晩でござりす、でしたでしょうか。今夜のメールを読んで、邦子さんと震災前に会いたかったと思いました。海の波の音が部屋にいて聞こえる民宿ですか。前に読みましたけど、部屋で水着になってすぐの泳げて、海から上がってすぐにお風呂に入れる民宿だった。そして、クーラーなんかいらない民宿だった。夜は邦子さんと恭一さんんとお茶かおちゃけか(お酒です、すいません)語り合うんですか。宿のお客さんたちから恭一さんの手相占いは絶対的な(絶大な、でしたか)信頼がありましたそうですね。頭がよくてセンスがあって感が鋭い人は料理上手と聞くんで、邦子さんは絶対に料理上手で・・・そういう民宿でしたら、流行らないわけがないです。自分も絶対に、お得意さんになっていて、見年夏になると、「ただいまあ」って邦子さんの民宿に通っていた可能性大でありますね。こういうこと書くと辛いかもですね。すいません。だけれどなんだかとても悔しいです。海が邦子さんのそういう日常を奪ったとそう思うと、悔しいです。ですからなおのこと負けないでくださいねと言います。悔しい思いのままで痛くないから、自分が、ですけれども。邦子さんには被災前より大きな何かをつかみ取ってくれると信じられる何かがあり案す。大川小学校のことですけれども、新聞だかテレビでだか知っていました。両方で見たんだったかな。邦子さんが思いきって書いてくれたんで、自分も行きませんです。行ったら自己満足の無神経な自分になると思えますです。邦子さんがよく言っている、人間の感性と人生観は色々だからそれはそれで認めたいとは思う。それは邦子さんが大きいから言えることです。邦子さんの大きさに甘えてしまう自分にはならないようにしようと思った。甘えるのではなくて、認め合える自分になります。本当になります。一日に一つ学べば一年で365も学べます。少しでも邦子さんに近付きます。できたら十八成浜に自分が民宿建てて恭一さんと邦子さんに教えてもらいながら一生を過ごしたくなりました。今度帰ったとき、そういう目で面接して下さい。頼みます。

      • 阿部邦子 より:

        ★TOSHIさま こんばんわ。 お晩でござりす、にはちょっと笑いました、嬉しくて。 実家の祖母が、良く使っていた 言葉です。 私は 『お晩です』ですね。
        民宿の日常が あの当時のことが まざまざと蘇りました。  たぶん 私も恭一氏も、基本、 人間好き なのかもしれません。 ですから姑から民宿を継いで三十数年、一年たりとも休みませんでした。 乳がんの時も 「しこりがあるな」『右わきが痛くなってきた』 と思いながらも 民宿は 6月から8月いっぱいは忙しかったので、 そのあと片づけをすませてからの 入院でした。 何度も入院してますけど、ですから10月の誕生日には病院のベッド  ってこと 結構ありました。
        夏をそう暑く感じなかったのは とにかく忙しかったからでしょうね。 朝の5時から 夜の11時まで。 でも恭一氏が、 12時半から13時半まで 実はお昼寝をさせてくれました。何があっても起こさずにいてくれました。
        そして夕食を出すのは17時で、自分たちも同じ時間に食べて、18時半にお茶わんをすべて台所に下げてから、希望するお客さんを誘って、夜の海で泳いだものでした。 楽しかった!!! ぷかりと浮いて空を見ると、満天の星が まるで降ってくるようで、  ほんの時たまですけど 夜光虫が発生すると、 パシャパシャと海面をたたくと、白かった波が、ネオンサインのような輝きの青に光るんですよ。  頭上を トビウオが飛んで行ったり。
        ・・・・・・海の馬鹿。なんで怒ったのさ!!
        けど、そうですね、もしかして 久田bossのおかげで また 海水浴客用の民宿を 再開できるかも・・・ですね。 もう肉体労働は無理なんで 口うるさく色々言うかもしれませんけど そうですね 民宿は間違いなく 楽しいですよ。 
        ・・・・・楽しい夢を見させてくださって ありがとう。 夢で終わらせないように もうちょっと 生き続けて見ますか。

  24. JINN より:

    こんばんわ。初めてコメントしますが、心の中では邦子さんの連載を愛知ボランティアが更新してくれるたんびに、いいや、それにプラスで邦子さんがコメント書いてくれるたんびに、私もコメントしてました。でも実際はさっぱし書けないでだも今回の写真見て記事読んで、邦子さんとはやっぱしただもんじゃないなって思ったら黙ってられなくなって書いたおります。ただもんじゃないです。実は邦子さんのお友達のみぃさんと私友達で、邦子さんにも何回も大地震前会ってるんですけどわかったくれるだろうか。小柄でショートカットでメガネかけて帽子大好きな奴であります。みぃさんが二回言ったことがあって、「本物の大人は邦を絶対に面白がる。中途半端なのは邦を煙たがる。小物は自分が小物って気がつかないでなんとか邦を引きずり降ろそうとする。邦を降ろせる人なんかそうはいないよ。第一本物の大人だったら降ろそうなんて思わんしさ。それより本気で怒らせたくない、敵にはしたくないね」と言っていました。私は小物ですけれども、初めてみぃさんと一緒にほら国分町の所の二階の喫茶店で会った時、邦子さんの目って普通の人の目と違うと感じました。大地震でくぐなりが壊滅と聞いてみぃさんに、邦子さんの安否確認したらみぃさんはきっぱりと、「絶対に助かってる。助かってたら邦は絶対にそのいるところで中心になって活躍している。邦はそういう人なんだってば」と、自分に言い聞かせるように、ううん、信じ切ったように行っていたのがもう、一年半年前のことなんですよね。そして邦子さんはやっぱし、みぃさんが行ってたとおりの人でした。ううん、もっと大きくなったくれていました。辛いことがあるたんびにかえって大きくなってくれる邦子さんのこと、不思議な人としかいえず、宮脇先生もきっと、自分と似たものを邦子さんに感じたのだと思います。まさに大物は大物を知るです。邦子さんばんざい。

    • 阿部邦子 より:

      ★あああ! Jさん!!覚えていますよ、もちろん!! 時たま ミイから、大震災の時、あなたがとても心配してくれたとか、伺っていました。 実はパソコンもですけど 出かけた時 携帯電話も家に置いていたので、全ての記録が消滅し こちらからはどなたにも 連絡は不可能でした。 電話が通じてすぐに 仙台の弟に 私の携帯電話を以前の契約のまま 復活してくれるように頼み、 ですから私の携帯メールや電話番号を知っている人は、もしや、と思って連絡を入れてくれて、弟が、それをすべて登録してくれ、ミィとは結構早く連絡を散りあうことができました。 真っ先に言われましたよ、「邦は絶対に生きている、生きてさえいればその場所で 絶対に輝いていてくれる」と。 輝いているどころか 実際は しょぼくれて 息も絶え絶えではありますが まあ あの大混乱の中、人さまのお役には立つことはできたと 思って 自分を 勇気づけています。
      コメント 本当に嬉しです。 本当に帽子の似合う チャーミングな方。 私 お世辞は照れ臭くて言えないたちです。
      連載 いよいよ佳境です。 今後とも よろしくお願いします。
      9月15日 仙台で講演で 仙台に行きますので できたら ミィも一緒に お会いしたいです。 あの、 国分町の入り口近くの 細長く高いビルの二階の喫茶店 今でもやっているでしょうか。 あそこのチョコパフェが好きでした コーンフレークとか邪魔なものは入ってなくて。 また食べたくなったな、他愛のない話をしながら。
      以前の携帯メール 大丈夫ですので よろしかったら 連絡下さい。 ミィにも絶対に会おうねって言います。
      本当に 可能でしたら お会いしましょう。 コメント 本当にありがとう!!!

  25. 阿部邦子 より:

    こんばんわ  明日愛知ボラセンが来てくれるので 執筆を中断して どなたか拙宅にいらしてくれた時のために 『お部屋に座る場所』を今からつくっておきますね。
    実は数点のご指摘がありました。
    「カウント」というのがあって どれだけの方が愛知ボラセンのページを見てくれているかがわかると。
    で、愛知ボラセン・ファンで 今までずうっと開いてくれていた方々から 「邦子さんの連載を掲載してから、 ぐん!!と開く人が増えましたよ!」と。 一日に 千回開く・・・つまり (まあ。お一人が数回開くこともおありでしょうけど) 千人の人が、 このホームページを開いてくれているんですよ、と。 で、 累計で 五十六万人になっている。 その中でも かなりの人が 連載を読んでいるのは間違いないです、と。
    で、奇しくも他の方々からほぼ同時に
    「邦子さんの連載ももちろんそうですけど、コメントも 近頃どんどん重要にかつ難しい内容になって来て そういうこと書いてくれるの 日本広しといえど邦子さんしかいないと思い、 さすが!すごい!ありがとう!なるほど!  ・・・ではありますけど コメントが書けなくなっています。 思うことは山ほどあるんだけど 文章にできないし あんまり軽いことかくのはずかしいし・・・・との ご意見がありました。
    すみません!!まあ 真剣には書いていますし できる限り 誤読がないようにとか ちゃんと伝わりますようにとか なので かたい感じになっているかもしれませんが  真剣ではあるけど 楽しんで 書かせていただいております。
    どんなことでも・・・・飼い猫が子猫を産んだよ  でも  はじめて上司に褒められた でも 実は彼氏ができた でも この頃親とうまくいってないでも 
    つまり 日常の呟きでいいんで 大歓迎ですので コメント よろしくお願いします。  五十六万回  愛知ボラセンのページが開いていますが 少なくともその三分の一は この連載の読者ですよ  ・・・って嬉しいことを言ってくれても ぴんとこないんだもんね~~~
    どうか 皆さまの呟き 一行でも よろしくお願いしますね 何よりの励みですので

    • TOSHI より:

      書いてください。語ってください。阿部邦子さんの感じたことを考えたことを思ったことを、阿部邦子さんの感性のままにお願いします。あなたの感性は本物だと思います。あなたは十人の人が話したことを、みんなそれぞれの思いをすべて理解できる人だと思います。そのうえで判断することができる人だと思います。連載を何度も読み返し、そして実は数度お話しを聞いたことがありますけども、訴えたいと言っていることがまるでぶれていないことに本当に感心しました。思いが本物だからだと思います。連載はしみじみと読めます。語りはずどんとこちらの心にまっすぐに入ってきます。何度読んでも何度聞いても決して飽きることはなく、それどころか常に新鮮で、いつも新しい発見があります。愛知ボランティアセンターで、愛知での講演を実現できないものであろうか。カウントのことを書いておられましたが、自分は、連載を読んでいる人が多いのでカウントの数が増えているのだと思いますよ。連載がいつまで続くのか心配になっています。久田先生が連載を開催しました、のお知らせの所に、本当の楽しみと書いておられましたが、それってなんであろうあと勝手にいろいろと想像しています。愛知ボランティアセンターの人のための講演ですかね。だったら知り合いに沢山声をかけてかけつけますですよ。ただ、仕事が夜勤とかもあるので早くに日時は公表して下さい、って、これは愛知ボランティアセンターのほうにお願いですね。みなさん、どうかコメントを書きましょう。自分は下書きを何度も書き直して書いていますです。そういうことを面倒だとは思わないでくださいです。阿部邦子さんだっていくらプロだって鼻歌交じりで書いてくれているのではないと思います。応援は心の中だけで言ってもダメです。ちゃんと言葉に出しましょうよ。自分もまた書きたいです。ずうっと迷っていたというか、恥ずかしい文章をさらけ出したくないと思っていましたけど、書けて良かったと思っていますです。阿部邦子さん TOSHI は 応援しておりますです。

      • 阿部邦子 より:

        TOSIさま!
        ありがとう!
        どなたからのどんなコメントでも 本心から嬉しいのですが、 TOSIさんのコメントは 「ああ、コメントを書かない、 書けない人たちでも こんな風に思ってくれていた??」 と、 本当に、 勇気と気力をくださいました!!!
        なんかあまりに嬉しくて ありがとう しか言えない
        ほめすぎだ~~(汗) だけど ちょっと 心身ともに弱っていたので 今夜は めちやくちゃ素直にならせていただくね  ありがと!!!

        • 阿部邦子 より:

          ごめんなさい!! TOSI さまじゃなく TOSHI さまでした!! 名前を間違えるのって 忘れちゃうより失礼なことって 常々思っていますのに。 本当に失礼しました。
          今度お帰りになられたら 声をかけてくださいね

  26. 阿部邦子 より:

    ★こんばんわ。
    日々.いろいろな そして沢山の相談や質問が寄せられています。
    この一週間の間に多かった 「聞きたいんですけど」 は、 「邦子さんは ワンコインに関してどう思っているんですか?」 ・・・でした。
    結論を言いますと 「賛同しています」  ・・・です。
    ボランティアと言うのは、 かなり色々なジャンルがあります。 「これがボランティア」 という定義は難しい。 私は 『被災者の、 その時々の状況を実際に見て、 思いを拾って、 その時々によるニーズに応えてくれる それが生きたボランティアだと思う』 と言い続けています。
    でも、 「何かしたいと思っているんだけど (体調 経済 仕事 家庭 さまざまな理由で) どうしても被災地に行けない」 と仰る方も沢山おられます。
    ですから そういった様々なご自分の事情を踏まえたうえで それぞれが ご自分にできることをやればいい  ・・・ではないでしょうか。
    ですから ワンコインも その中の一つと私は思っています。 被災地には行けないけど 近隣の人に声をかけることはできる、 募金ならできる  そういった方々の協力と力を信じられるから 久田ボスも 「19年間続けます」 と決意できたのだと思います。
    今までの言動で 私が ワンコインに関しては あまり積極的には認めていない??と そう思えた方もおいでと思います。 私は決してワンコインに関して 懐疑的ではなく それどころか 長生きできたら 久田ボスと 19年後 「やったね、おめでとう!」と言いあいたいと思っていますし、 もし 思いがけない収入があったら 月々で19年間は自信がないので(体調) 19年分一括で協力したい そうまで思っています。
    ただ、私は、 私自身が被災者であるということに加えて 被災者の声が とてもたくさん耳に入ってくる立場にいます。
    被災地にいて、 被災者で、 たくさんの状態の被災者の生の声を聞き続ける   ・・・それをしていると まさに あちらを立てればこちらが立たず ということが多いんです。

    「あなた 夫婦で生き残れてよかったわね」「でも子供が死んじゃったんです」
    「あの人 家が流されなくて ハッピーだよね」「ところが 土台がずれちゃってて 保険に入ってなかったんで 建て直すこともできないんだって。台所なんか 床が斜めになってた」
    「親を亡くした子供って 一番支援しやすいってんで、寄付金 かなりキープできたみたいよ」「・・・私は 子供を亡くしたのに 支援とか 心のケアとか ない。 親を亡くした人と 子供を亡くした人と 働き盛りの夫や息子を亡くした人と、 どの人が一番大変とか 一番つらいとか 決して比べられることじゃないのに 支援しやすい つまり 募金をしやすい明確さがある方向にばかり 世間の目って向きやすいよね。 公平感がないと思う」

    被災地では日々 そういう会話が あちこちで囁かれているんです。
    ですから例えば ワンコインに対して 「私には関わりがないから」 と誰かが言ったとして
    被災者ではない人が言ったのと 被災者が言ったのとでは 同じセリフでも その思いはまるで違う ということを 知っていただけなければなりません。
    被災者には 「心」 がないのではない。 心身ともにそして今と未来に 「余裕」がないのです。 遺児孤児がかわいそう、 これから大変だろうな そんなことは 被災地以外の方より、よくよくわかっているんです。 でも 生き残ったその子を見て 子を亡くした母親が 「私 ワンコイン したい」とは まだまだとても 言えないのが真の思いだと思います。
    私も今はまだ 参加する までには至っていません。 気持ちは 最初に申したようにあるのですけど つまりはまだまだ被災者には 自分のこれからがまるで見えない不安がある ・・・長い目で見ていただきたいと思います。
    被災地の方々から 「邦ちゃん、ワンコイン 関心があるんだけど どうすればいいのかな」 と 何度か相談を受けました。  でもそれは 被災者から見て とても 「恵まれた」人たちなんです。 家族の誰も亡くならず ちゃんとしたけっこうな収入があり 将来の目標も定まっていて ・・・だからこそ そういう人たちは、自分より ずうっとずうっと辛い思いをしている被災者を見ているうちに 「・・・なんかしなきゃ」と 思い続けていた人たちなのです。 あくまでも 私に相談してきた人たちは、ですが。
    ですから私は 多くの人の生の気持ちを 毎日毎日 聞き続けているからこそ まだ動けないということなのです。 これでけっこう 周りに影響力があるそうで。 もちろん自分自身にも まだまだ心身ともに余裕がないですし。

    私が ワンコインに寄付させていただく  そうできる時が来た時こそ 私の真の復興なのかもしれません。
    被災者は 被災からもう 16ケ月以上 過ぎていますけど まだ 心折れている人も多く 生まれたばかりの子がすぐには決して歩けない それと同じ状態の人がまだまだ多いと それだけはわかってください。
    「え~ 何度も被災地に行っているけど 皆さん明るくて かえって私のほうが元気もらいましたけど」 ・・・その話を聞くと 私は被災者って 「けなげ」だなと思います。
    来てくれてありがとう! 暗い顔なんか見せちゃいられないよね!  って。
    でも明るくしているうちに 少しずつ 本当の明るさを取り戻してくれている人も多いと思えますんで だから私は 「みなさんは 被災地に来てくれただけで もう ボランティアの 90%は してくれているんですよ」 と言っているんです。
    ただ さっきまで明るく話していた人が ふいに暗くなって部屋に閉じこもる  それも被災者だって わかってください。
    こんなことじゃいけないって みんな 自分のことが 悔しくてならないのに。 突然 何もかもどうでもよくなってしまう。 それが一番 被災者自身 つらい。
    ですからどうか 長い目で 見守っていてください。 被災者は、 「あっちよりこっちのほうが大変」と、 比べることなどできないということも。  感性と人生観はそれぞれですから まるっきり同じ経験をしても 辛いと感じる感じ方は それぞれなので。  これからもどうか 「ただいま」って 明るくて元気なお顔とお声を よろしくお願いします。

  27. 阿部邦子 より:

    沢山の私信 ありがとうございます。 すみませんがこのところ体調が悪く でも不思議とパソコンにだけは打ち込めますので ここでお返事させていただきます。
    十八成・海の見える丘推進プロジェクト ・・・動きだそうとしています。 もともとは 避難所の初代リーダー(ちなみに 二代目が私です) 沼倉氏が 『地区の意見をまとめたい、 それには原案が必要だ』と、私と恭一氏を仙台まで拉致(笑??)し、黒田さん、上原さんと仰る素敵な友人に引き合わせてくれて、一晩語り合ったのが そもそもの原点です。
    で、『高台移転プロジェクト』が発足し、 会長に沼倉さん、 そして 夫 恭一氏、 当時区長だった後藤氏、行政に明るいと思われる 阿部敏夫氏  実はアーキエイドの教授に、 私も、 と推薦していただきましたが、 まさか夫婦ではと辞退し、 女性の意見もと 平塚さん、 そして、被災者以外の意見もと、 現・区長となった及川氏の 6名でスタートしました。
    実は ワンコインサポターズに力を入れてくれている 愛知ボラセンに 「すごいことしてくれてるね」は当然の感想ですが、 やはりそこが被災地の辛さ 「確かに 親を失った子供は大変だろうけど、でも国からの補助もあるよね、 年老いた母親が、稼ぎ手だった一人息子を亡くして これから食べて行くこともできない、生きる気力もないと、自殺未遂をしたってこともある。 伴侶を亡くした妻もそう。 子供を亡くした親は 支援もないし 将来の希望もなくした。 そういう人たちへのケアって 考えてくれてないよね、国も誰も」との訴えが 毎日のようにありました。 (いや、実は 昨夜も二件、ありました)。
    その方々に 私はどう応えればいいんだろうと、 毎日毎日 頭を抱えておりました。 近頃 かなり体調が悪いのは そういう思いをみんな受け止めているからじゃないのと、 友人たちが心配してくれるほどに。 だって 本当にその気持ちがわかるから。 私には 受け止めてあげることしかできないから。
    愛知ボラセンの久田リーダーの今回の プロジェクト構想は、 それらを解決してくれるかもしれないと 私は期待しています。
    震災遺児孤児だけに留まらず、 まず 現地採用。 そして 高齢者や障害者が住みたいと言ってくれる街づくり。 それこそが、一定だけの被災者だけにじゃない、全ての立場の被災者に満遍なく  これこそどの被災者たちにも 大きな希望となってくれるはずです。
    このプロジェクトにおいて 私は久田ボスに 「立場をはっきりさせてほしい」と言いました。 会長の沼倉さんにも言いました。 立案者であり 推進には欠かせない存在の久田ボスがどの立ち位置になるかをはっきりさせておかなければ これから関わってくれる方たちが 戸惑い、 落ち着かないと思えたからです。
    本日 7月29日 10時より、 高台移転の委員たちで 会議があり、 その時に ①道路をどうするか そして②関わったくれる方々の 役割図式を明確にする ③行政などに陳情する場合 民意の団体では 書類すら受理されない どういう団体として立ち上げるか  ・・・を早急に取り決めてほしいと、会長に申し上げました。 否 私が言ったというより ある新聞社のトップの方と沼倉氏、私たち夫婦が話し合った中で 「それはどれも早急に決めなければならないことだ」と 会長が決断したのでした。
    今 会議に参加した夫恭一氏が帰宅 今日は 道路のことだけで 精いっぱいだったと。どこに生活道路を作るかについて、 三つの案が出たと。 
    役割図式については 会長 沼倉氏。 副会長 及川氏。 会計 阿部敏夫氏。 まずはこれだけを明確にしたということで 一応内定として 私は『広報担当をぜひ』と言われてはいます。
    団体立ち上げも早急に決める ということにはなったそうです。
    8月4日に 久田ボスがいらしてくださるので その時に 少しは話も進むと思えています。
    「久田さんが提案?・・・したらしいプロジェクトって 現地の人たちは納得しているの??」 について  今回は 久田ボスがプロジェクトを提案前の現地・原点を 書かせていただき まあ別に 反対する必要はないよなあ、 万が一失敗しても 俺たちに損失はないんだよな??が 大方の意見だと思えます。
    でもやるからには 何も 失敗を目標にすることはない。 やるからには成功させて この小さな十八成浜が やがては 健康、経済、教育 老後・・・・において 日本中の垂涎の的 になれるようにと そう思っています。
    町をゼロから いや マイナスから作り上げて行こうとしているプロジェクトに 沢山の力を よろしくお願いします。

  28. いわさまみ より:

    邦子さん 久しぶりの書き込みになってしまいました。ずっと読ませていただいてましたが、言葉がうまく出てこなくて。いいことを書こうとかではないのですが文字にするって難しいですね。本当にこの連載をされている邦子さんは凄いと思います。
    読ませていただくたびに 何ができるのだろう?何をしたらいいのだろう?って。
    東京もかなりな暑さで ’うわーーー’って過ごしています。仮設での夏はどうでしょうか?
    今日は素敵なおばあさまが声をかけてくれました。東京に来てから初めての出来事でした。嬉しかったです。人とのつながりってちょっとしたことでも何だか良い1日になった気がします。十八成に帰れた時は飛び切り嬉しく感じます。皆さんの優しさがそう感じさせてくれるのだろうなと。きっかけは・・・ですが、帰る場所がある 感覚です。また帰ります。とりとめのない文になってしまったのでこの辺で。

    • 阿部邦子 より:

      まみさま
      お久しぶりです
      お元気そうで 嬉しいです
      久田ボスがまたとんでもないことを考えてくれまして 十八成浜もしかして生き返るかもしれません。
      『高台移転委員会』(委員6人 もちろん恭一氏も入っています)・・・が 『海の見える丘協議委員会』となりまして 私は 『広報担当』として 活動することになりました。
      もしかして何年か後 ボランティアにいらしてくださった皆さんに 「今度は観光でいらしてください」と言えるようになるかもしれません。
      「何をしたらいいのかわからない 自分には何ができるのだろう」  そう思ってくださる方はとても多いですけど 焦らなくていいと思います。
      被災者の心が癒えるのには まだまだ月日が必要です。
      風化してしまう日も来るでしょう。 そんなころ また ひょっこりと笑顔をくれるのも嬉しい!!
      個人的には この連載が出版となった暁には どうかお買い上げを 応援を よろしくです!!  
      宣伝 ではなく この連載の本を持ってくれている方には 私たちのこと 忘れられない そういう気持ち。  
      そして 「どうすれば被災の状況や 被災者の気持ちを伝えられるだろう」 と思っている方にも この連載の存在を教えていただければ ちょっとはわかっていただけると 自負しています。
      何をしていいかわからない・・・・私たちのこと 伝えてくださるのが一番です。
      とにかく元気でいて!

  29. 阿部邦子 より:

    ★なんかこのページ、 自分だけが書いているようで ある意味 寂しい感じが・・・かもしれませんけど (苦笑) 私にはたくさんの感想が寄せられていまして その一部を。
    ★AKI さま ・・・これからも ご自分の思いと体験を そのまま素直に書いてくれるだけで これは絶対に 広く そして後世にまで残すべきものだと 思っています。 文体も 内容も こめられた思いも 邦子さん自身も 大好きです。 ・・・邦子さんにお会いしたことはないですけど・・・・大好きです。
    ★HIRO さま・・・プチ講演?を聴かせていただき そのうえでこの連載を読ませていただくと、 確かに 「あ、これ読んだ」とか「あ、これ聞いた」ってところはあるけど それって 邦子さんが最も言いたいことなんだろうなと 文章で読むと しみじみ・・・だし 言葉で聞くとそのまっすぐな思いが 胸を貫く思いです。 こころ配り班 けっこういいです。 食堂班 結構おもしろいです チーム恭一班 これこそがボランティアの基本 そう思えます  ですけど 自分は 邦子さんの話を聞きたいから 聞かせて戴きたいから また くぐなりに 帰ります。 その日 講演とかで留守ではありませんように。
    ★TOSIさま・・・仙台在住です。地震の被害だけでしたが ライフライン悪化のときは 食事もままならず トイレにも自由に行けず 風呂にも入れず大変でした。そんな時、意見が二つに分かれました。 津波被害の人だけが被災者じゃない という意見。 水と電気が止まっただけでこんなに大変なんだもの 津波で何もかもなくなった人はどんなに大変だろう、という意見。 自分は どちらもあり だとは思っています。 ですけど、その大変さの深さと長さを思うと、 小さな子と寝たきりの年寄りがいるのでボランティアは無理なので そういう私たちにはどんなことができるのかを 本当に教えて欲しいです。 募金は なんだかちゃんと渡されているのかはっきりしないので・・・・邦子さんに会えたら たぶん 明るくてはきはきした口調で そして優しい目で 教えてくれそうな気がしますが ちょっと 怖い気もします。 私の 無知による 想像力の欠落による 無神経さを見抜かれそうで。
    ★・・・・・・もっともっとありますけど 今回はこの辺で。
    新聞社に電話をして 電話番号とか住所を知りたい と仰る方が多く 新聞社では すべて 「こういう方なんですけど 教えていいですか?」と聞いてくれたり 感想を伝えてくれます。
    石巻圏内で 「阿部邦子さんって 作家って聞いたけど 自称だよね、 だって私 書いたもの読んだことない」と言った人がいると 大笑いの笑い話として噂が広まっているようです。 「自分が 新聞も読んだことのない 視野が狭く学ぶ気もない おバカって 自分で暴露していることにも気づいてない人」と。  あ、なるほど と 妙に感心しました。
    人間は 自分の弱い部分を 自分で暴露していることに 案外気づいていない生き物なのかもしれないなあ、と。
    先日 まあ ご立派さまってことになっておられる方と まあ市民がすれ違う場面を見ました。市民が頭を下げて挨拶したのに ご立派さまは ただ横目でじろりと見ただけで 行ってしまいました。 ご立派さまが 私には 小さくて貧弱で薄汚い小動物のように見えましたね。 
    ★いろんな考え方があるからこそこの世は面白い。 そう思い続けられたら それが私にとっての 幸せかな。 だって私は 書くことを天職と思えているから。
    少なくとも 20数作は世に出していても 自称作家 になるんでしょうねえ。 私もまだまだだな  さあて パソコンと一緒に海にのまれた 書きかけだった作品たちと 語り合うことに専念しようっと

  30. 阿部邦子 より:

    ゆーさま
    お電話ありがとうございました。
    今日は「相談がある」と連絡が入って 出かけましたので 留守電への電話で、お返事がほしいとのこと 11時半まで待ちましたが 明日も予定があり 体調があまり良くないので すみません 今夜は休ませていただきたく このページを時々開いておられるとのこと 読んでくださることを願って ここに返答させていただきます。
    「テレビで見て すごく変なことがあった。 がれきを見て涙をいっぱい流している人たちが 被災者の人たちにはちっとも気持ちが感じられず、それどころか 勝手に被災者の人たちを憶測で いつまでも犠牲者のつもりなの とか言っていて 訳がわからなくなり 邦子さんの意見を聞きたい」
    とのメッセージが 留守電に入っていました。
    はっきり言って 難しい問題です。 ちょっと厳しいことを言えば、 人は 泣くことを気持ちがいいと思える。 がれきを見て泣く自分に 陶酔している可能性もあると思います。
    なのに人にはそういう 『優しい』気持ちになれないのは がれきは何も言わないので こちらの感情をただ 見せられるけど 人)被災者)には個々 感情や思いがあり それに応えることができないので 「こんなはずじゃなかった」 風な思いなのかもしれません、 好意的に見て。
    ゆーさん 「そういうのって変だよ」 って思ってくださって ありがとうございます。
    なんか そういうことにもう 疲れています。被災者の大変さは 津波に壊された家の画像だけを見て わかってもらえるわけがない。 
    ただひとつだけ言えることは そういう人たちがいるからこそ ユーさんのように考えてくれる方がおられる。 つまり 反面教師と思えばいいのでは?

  31. 阿部邦子 より:

    『優しい』『志』の 叡智な 東先生。
    いつもほほ笑ませてくださって心からありがとうございます。
    『えっち』先生・・・ならまだいいよね~~『な』がついたらちょっとね~~ と 呟きながら にやにやしました。
    『がれき・・・』 お読みくださっている証拠をありがとうございました。
    実は昨日も今日も 色々と走り回らければならない所用が 4件ありまして 愛知ボラセンがおいでにならない日はちょっとはのんびり・・・とはいかず、愛知ボラセンの場合は確かに忙しいけど ある意味 秩序のある忙しさで でも他の日は無秩序なる雑多な多忙渋滞で 今 ちょっと疲れたなあと 実はお風呂に入るのもおっくうな気分でした。
    そしてがれき・・・は実はこれからが少々 今までとは違った大変さがありまして。
    今まで 書きにくいなあ どう表現すればいいのかなあと思い続けていたことに メスを入れる決意をしました。 本日 7月17日の原稿も その一つです。 どう感じてくださったか教えていただければ これからの  そういったことをどう書こうか・・・の励みになるかも。 あ? かえって自信喪失? お手柔らかに。
    自分で言うのもナンですが 私の作品は『暗いテーマなのに どこか明るい、救いがある』と言われ続けてきました。 それを最も知ってくれているからこそ 石巻かほく新聞社では この連載を私に、 と任命してくれたと 自負しています。
    ただ反面 読みやすい を最も重視しているがゆえに 鼻歌交じりにと言うか そう感じる方もおられるかなあと。  そう思うんならあなたが書いてみてよ ではあります。
    先日 あまりにも面白い!!!噂が耳に入りまして。「阿部邦子さんって 作家ってことだけど 自称だよね。 だって書いたの 読んだことないもん」 だそうで。
    まあ、 例えば 自費出版だろうと 原稿を出版社に持ち込んで、だろうと 同人誌に発表 だろうと 公募の何かに佳作入選だろうと 一冊でも世に作品を発表すれば 作家と名乗られてもいいんじゃない?とは思っています。  だから私はプライドは高いですけど そういう噂には笑えます。 いろんな人がいるなあ、と。
    まあ一応は 世に発表している作品は 少なくとも 20作はありますので 余裕で笑えるってことかも知れませんし ( 自費出版でも 原稿をこちらから持ち込んだのでもなく ) 第一に、  今の今 連載中なのですから そういうことを石巻圏内の方が仰るということは 「私って新聞も読んでないの」 ということを 自ら暴露なさっておられるだけ ってことですしね。 
    本当にいろんな人がおられる。 でもだからこそ 小説も売れている ってことでしょうけど。 みんな感じ方が同じだったら 小説もドラマも 必要なくなりますものね。
    今はとにかく 前のパソコンとともに 海に消えた 書きかけの作品を なんとか蘇らせようとし始めています。 どの子も我が子。 この世に産んであげたいなあと。
    一冊でも作品を売ってこそ作家 ってなご意見もありますけど 私はそういうカツカツしたところはなく どうしても書きたいテーマが心に浮かぶと嬉しくて それをどう料理しようかと その過程が一番楽しい。 そして 「面白かった」と言ってくださる方が 一人でもいてくれればそれでいい。  ハングリー精神があったらもしかして 流行作家になっていたかもしれない ってなチャンスはありましたけど  私は実は ほわほわ~~と行きたい ぷわぷわ~と生きたいタイプだったもんで。 多くの方の (応援してくださっている) 期待を裏切り続けてきたのかもしれない。  でもまあ  作家には定年はありませんので。 いつか 書きたいことが噴出してくれるかも。
    英知先生 すみません。 このところ心に鬱積していたことを 整理させていただきました。
    人間 一人でも 理解してくれている?と思える人がいてくれると それだけで生きていける ってことなのかもしれません。 この場を借りて 応援してくださっている皆さん あなた方のおかげで私 なんとか歩き続けていられます。ありがとうございます。
    22日はH先生にお会いできるのですね。 また 四人の子たちがご一緒なのですね。 この時代 被災地に我が子を送り出そうとしてくれる親御さんたちに 敬意!!です。 そのことをどうか皆さまにお伝えください。 このページ印刷してお渡しいただいても本当に構いません。けど 東先生への信頼がいかに大きいか ということでもあるのでしょうね。 そういう信頼関係って 口先だけ 小手先だけ では生まれませんよね。 すごいです!!
    ・・・ところで この文中に 東優志先生への呼び方を かなり色々書きましたけど 読んでくださった方 こんがらかりませんように。

  32. 阿部邦子 より:

    ★本日は7月14日。愛知ボラセンがお休みの日です。
    ★けど いろいろと所用が・・・。今一休み。
    ★ボランティアさんが けっこう「連載にコメントしました」と言ってくださって でもコメントがないんで ??・・・だったのですが もしかして ツイッターとか フェイスブックとかに??
    そちらのほうはしていませんので お読みすることはできません。 やればいいでしょ かもしれないけど・・・。
    ★ちょっと小雨ですけど 今から三つ 所用を片付け、 時間があって 何より気が向いたら 洗った洗濯物 ただ重ねておいていたので 整理する・・・かな。
    ★少しずつ ができないタイプなんです。 一気に  タイプ。
    ですから狭い仮設 足の踏み場もない状態と もう 舐めるようにきれい状態とが 交互です。 一度出したものは すぐに元の場所に置けばいいんですけど  弁解じゃなく事情説明をさせていただくと 原稿関係をやり終えて ハサミやホチキスなどなど 片づけようってところに来客。 それはひとまず脇に置いて 接待して その時また 資料とかを引っ張り出す必要があったりで。お見送り ってところに電話。 それが済んだところにまた来客で しかも どっかに行かなきゃないってことになって 帰ってくれば即刻夕食の準備。 食べて片づけて 気が向いて原稿を見直したりして でお片付けはしょうがない明日・・・。って日が続くんで 
    ふと気がつくと 予定なしでの来客には 「あ、ごめん、今座る場所作るね」
    被災前は 書斎もあったし プライベートのお部屋もあったし 私的な居間もあったし 突然のお客にも大丈夫な いつもきれいな応接間もあったし。
    でも基本きれい好きな人はどんな環境になろうときちんとしている ・・・けど 私は忙しすぎるんで お部屋掃除はつい後回しになっちゃうんだもん・・・ なんて書いている暇があったら 所用をさっさと済ませちゃって 洗濯物整理しちゃえばいいんだよね  ・・・はぁい

    • 東 優志 より:

      ご無沙汰しております。Hこと東です。
      「えっち」と言わないでくださいね。「えいち」と言ってくださいよ。「英知?なんか賢そうだな」なんて思ってくれる人がいるかもしれませんから。
      ちゃんと「がれきに咲いた花」読んでますよ~・・・って証拠にこちらに書き込みさせていただきます。

      今週は愛ボラはお休みだったんですね。邦子さんにとってはたまにはこういう土曜日も必要ではないでしょうか?いつも朝から夕方までお付き合いいただいているので。
      とはいっても、いよいよクライマックスの「がれきに咲いた花」の原稿執筆などでお忙しそうなので、のんびり・・・ってわけにはいかないかもしれませんね。
      部屋の片付けのことを書かれてましたけど、邦子さんの部屋にお邪魔すると、随所に文筆活動の様子が見て取れて個人的には「やっぱこうだよな。こうじゃなくちゃな。」・・・って、勝手に納得してます。仮設には収納スペースがないというのもあるでしょうけど、思考する人(ものを書く人)って、思考の材料や必要な資料がすぐ手の届くところにないと困りますよね。
      かく言う東も仕事机の上はかなりの状態になっております。で、たまに豪快に片付けたりすると、後で「あれ?あの書類どこへしまったっけ?」と困ったことになったりします。

      来週、東はひと月ぶりにそちらへ帰ります。初めて単独で行けて「のびのびやれる~!」と思っていたら、中学生が4人「行きたい!」といってついてくることになりました。まあ、それはそれでうれしいことなんですけどね。
      とにかく週末が待ち遠しいです。また、いろいろとお話を聞かせてくださいね。

  33. 阿部邦子 より:

    由妃さま!!
    8日のコメントに 「7月 平日に休みが取れたので 行ってみます」とあって、
    私たちは今日は 今朝がたまでかけて洗った 家にある 全ての毛布と 毛のシーツを 石巻市街地のコインランドリーに持って行って 乾燥。 そして 羊毛かけ布団やこたつ関連のものもすべて洗って 乾燥させて・・・。 6月に入ってから ずうっと 「しなきゃ!」って思っていたことを 昼過ぎから数時間かけて完了させて 息も絶え絶えで戻って来たら・・・。
    え~~!!『スカイツリー・レモン風味』のお菓子と、S4 のみんなとの写真!!
    近頃で こんながっかりしたことはそうはない ってぐらい がっかりでした
    そうかあ  今日 いらしてくれたのかあ
    恭一氏が慌てて電話したら 「今運転中なんです~」とのこと。 三陸道 かなあ。
    本当に残念ですけど 一回来たからもう来なくていい じゃなくて 一回来たから 今度は安心して来られる ってことで
    きっときっと また絶対に お会いしましょう!! できれば 狭いけど拙宅に お泊りで。
    お一人様なら なんとかできます。
    S4 は 本当に仲良しのようで みなさん出会えたことで 世界が広がったようですね!!被災は辛いけど なんかでもちょっぴり そういう話を聞くと 救われます。
    連載 出版!!らしいんで できればS4企画で 出版記念パーティ こちらでよろしくお願いします!!! お金と時間かけさせちゃうけど~~~ 被災前なら 「大船に乗ったつもりで 任せといて!」って言えたんだけど  今はごめん 言えなくなっちゃった 阿部邦子でした
    ああ、けど 決してかわいそう・・・なんて自分のこと 思ってませんよ。 みじめな思いはしていませんので それはご安心ください
    みなさんに どうかくれぐれもよろしく お伝えください
    今日は残念だったけど 楽しみが伸びた って思えば。  ね。
    気をつけてお帰り下さい。 ありがとう!

  34. 阿部邦子 より:

    ★7月7日七夕の日。 かなり大変な一日でした。
    ★イベント大好きな(はずの) 久田ボスでさえ、「七夕ですねえ、笹を飾って、短冊などいかが?」とも言えないほどに。
    ★なにしろ、暴風雨警報が発令されたのですから、こころ配り班は少々腰が引けていました。そして恭一班・・・も無理。 川の作業を止めることにし、鹿対策の草とりも、無理。何人かの勇気とやる気満々の方々が、「合羽を持って来たからやりたい!」と言ってくれましたが、雨の中の草原は、『ヒル』と『ヘビ』が怖いので。
    こういうアクシデントの時こそ、慌てず騒がず暗くならず、が、何かあった時に自分を救うための訓練になります、と、私は胸を張ってみなさんに申し上げました。
    結局。 掃除は時折してたけど、大掛かりな大掃除はしてなかった、仮設の談話室のお掃除を頼み、あとは後藤さんの車で、近隣の集落を見ていただきました。
    ★さて、私はと言うと、 朝のお出迎え式で挨拶をし、こころ配り班の方々へ、注意点やアドバイスをして、一番遠いところを回るA班四人を車で送り、憩いの家に戻って久田ボスを拾って! 仮設団地の我が家へ。 石巻かほく新聞の総局長を迎えて、 久田ボスと語り合ってもらい、そのあとボスは、鮎川ののれん街に、高台移転委員会の会長である沼倉さんに会いに行き、私は総局長と、原稿の細かな直しや、どんな写真を使うかをじっくりと話し合い、 そして12時半に総局長と 会議会場である憩いの家へ。
    そこで 久しぶりにあった地元の人や、会議で重要な役となる方々と挨拶をし、会長の沼倉さんや区長に総局長を引き合わせ、あわただしくお食事。
    そして久田ボスによる 地域民へのプロジェクト説明の最中、 石巻市議会議員で 議長の阿部氏が 「連絡もらって、今日はあけてたんだけど、葬儀委員長になっちゃって、遅くなってごめん」とご登場。 任命を受けた、広報役、なんとか滑り出しは良好です。 
    住民たちが心なしか、眼に輝きを浮かべて帰ってから、委員たちが残っての話し合い。
    2時半になって、私の話を聞きたいと待ってくれているボランティアさんの所へ。1時間ちょっと、講演となんら変わりない、私としては全力投球の話を済ませ、 また、会議に戻りました。
    で、5時まで。 沼倉さんのお友達であり、大切な委員の黒田さん、上原さんと名残を惜しんで、 私は急きょ 自宅へ。 日中、 新聞社の総局長と話し合った箇所について もう一度原稿を見直し、 そしてまた憩いの家に戻って 出発式の挨拶をして、 ボランティアバスをお見送り。 家に戻って夕食の用意をして 食べて 片づけて お風呂を洗って ・・・。 
    話し合いの時 泣いてまでくれた人たちと、出発式の後、一緒に写真を撮ったり、握手したり、ハグしたり、 まあ そういう一日でした。 
    ・・・愛ボラがおいでにならない日も まあ いろいろあります。 
    きっと 私は、みなさんに生かされているのでしょうね。
    けど・・・、神様 せめて 三泊 温泉ぐらいご褒美あってもいいけどなあ・・・・( あは! )

  35. 濱島由妃 より:

    S4のゆきです。邦子さん、恭一さんお元気でしょうか?
    4月から就職し、看護師として頑張っております。つらい時、この愛知ボラセンから邦子さんの記事読んで頑張っております。
    十八浜に戻りたいんですが仕事が休めなくてほんとごめんなさい。ゆきは地元でこの震災を風化させないよう自分が見てきたもの感じたことを伝えています。その中でみんなが驚くのは写真です。実際、言葉だけはわからないことが写真ではもう少し詳しく伝えることができていると思います。でも。やっぱり、いってみないと分からないことがたくさんと思います。今、私ができること、考えてみたら、今の宮城を自分の目でしっかりとみていくことだと思いました。
    今日はハカセと会い、十八浜のこと、宮城のこと、これからの日本について話しました。ボランティアで知り合った仲間は今でも仲良く早くみんなが震災前の暮らしに戻れる日を待っています。
    この7月に平日に休みが取れたので仙台までバスでいき、レンタカーで宮城を一日かけてみたいと思います。十八浜にも行きたいと思っています。お時間があえばまた会って語りたいです。そのときはまたよろしくお願いします。

    • 阿部邦子 より:

      由妃さま
      お久しぶりです! 実はこの章になってから 書くのが辛いというか 難しくなっていて 疲れるとすぐに声が出なくなったり 胃が痛くなったりで 私はそんな弱いはずじゃない!と 悔しく思っていました。 うぬぼれて言わせてもらえば、 けっこういろんなことを 平気そうにやっちゃうんで、 私ならそれぐらいやって当たり前…みたいな感じで。  本当は ほめられるのが大好きなのに。 ・・・・というより 「ああよくやった」って言っていただければ 「私 これでいいんだよね?」と 大きな励みになるのに。
      愛ボラが来てくださって 丸一年。 S4からじゃないかな 本当に言いたいことを言えるようになれたのは。 だってねえ 同じ部屋に休んで 同じもの食べて 食後 じっくり話せるようになれたのは その時から ですものね。  その前の方々のことも もちろん心に残ってますけど 『ボランティアさん』と『被災者』でした。 お互いにまだ どこまで踏み込んでいいかわからず 手探り状態。 でもその方々のおかげで S 実行を 久田ボスは 決意したのでした。
      ハカセ・・・。 あのね 「身体に良い煙草」を発明してくれないかなあ。 吸えば吸うほど肺がきれいに元気になって 煙には 安らぎの効果がある 素敵な香りのタバコ。 特許をとれば 世界一のお金持ちになれるよ きっと。
      今年の 3,11 大イベントの会場で ハカセに出会って 私 「・・・似てるけど でも・・・」でした。 嘘じゃなく 雰囲気と言うのかなあ オーラが出ていたというのかなあ 瞬時に 「ハカセ!」と なぜか思えませんでした。 ちょっと話してその声を聞いて 「やっぱりそうだ!」と思えたのですが。 弁解じゃなく、忘れていたわけではありません。
      実はボラセン そういう方が多いです。 面影は確かにあるんだけど でも いや まさか  って人が。 きっと いろんな体験をして 色々いっぱい考えて 成長してくれてるんですね。
      私も負けちゃいられないなあ いつまでも 被災者なんかでいられないなあ・・・、
      でも 連載を書いている間は 被災者であることを忘れてはいけない。 書きあげても 忘れることはできないけど 連載終了を ひと段落と 一区切りと しなければならない。 そのうえで 講演などをする場合は もっと大きな視点で 語り継いでいこうと 思えました。
      看護師さんになられた 由妃にお会いしても きっと一回り大きくなられていて 一瞬 ポカンとするかもです。 その ポカンとした顔を見に いらしてくださる日を お待ちいたしております

  36. 渡辺友紀  より:

    お久しぶりです。渡辺友紀です。
    連載,いよいよ仮設住宅のお話になったんですね。
    私のような被災していないものにはわからない気持ち、今だからこそ伝え続けてほしいです。
    邦子さんは、いつも被災者代表とは思っていないとおっしゃっています。
    でも、語り続けてほしいです。
    続けることは並大抵のことではありません。
    でも,まだまだ終わっていないですよね・・・
    邦子さんが,語り続けてくださるから,私もがんばろうと思えます。

    • 阿部邦子 より:

      友紀さま
      こんばんわ!
      お元気でしたか!
      講演などにいらしてくださって 時たまお顔を見せていただいていますが ちょっとお疲れのようで 気になっていました。
      時折思います。 生きて行く上で大変なのは 何も 被災者だけじゃないんだよなあ、と。
      でもやっぱり 被災者はその大変な中でも究極だと思うので、私たちの体験によって 一人でも多くの人が何かを得てほしい 得てくれてこそ 私たちの体験は無駄ではなかったと思える・・・。
      いつも 心にかけてくださって ありがとうございます!
      とにかく何があろうと 生きている限りは輝いて行きましょう
      エイ エイ オー==!!

  37. 阿部邦子 より:

    ★お晩です。連載 いよいよ 仮設団地の章に入りました。 実はこれからが 一番書きにくい でも書かなければならない ・・・そういう内容になります。 過去 かなりの執筆をしてきましたが その中で一番 難しい文になります。  百人いれば百通りの感じ方 思惑がありますから こちらの伝えたいことが そのまま伝わるかどうか・・・と考えると 足がすくむ思いです。 なにしろとてもデリケートな内容ですので。
    ただ 私は 「私は被災者の代表よ」 という姿勢で書いたことは一度もありません。 被災者だけど 否 被災者だからこそ被災者のことが痛いほどわかるからこそ 「被災者ってこうなんだからね」という 決めつけはできないと わかっているから。
    それを たまたま被災地にいたからということで 『被災者ってね!』と 決めつけた文章を投稿したり 困ったことに講演でそう言い切ったりする人が多くなっていると 情報が入りました。 「だったら 被災者しか 何も言っちゃいけないってこと?」 とどうかまた 決めつけないでください。 お話しをなさるのはご自由です。 ですがどうか『・・・と私は思った、感じた』と言う言い方にしていただきたい。
    ★とにかくここまで来たからには 数年後後悔しないように きっちりと 書き続けます。
    応援を よろしくお願いします。

  38. 秋田由美 より:

    先日母から「邦子さんの連載終わったの?」と突っ込まれました!
    母の日のプレゼントでプリントアウトした連載を渡した後、そう言えば続きを送っていないな~と反省(笑)早速ファクスしました。
    母も楽しみにしているようです。自分の知らない世界を知ることができること、そして連載に登場する方々と何となく逢ったことがあるような気でとても身近なこととして読むことができることがとても嬉しいそうです。
    皮肉にも大震災が起きたことでこういうつながりができ、何とも言えない気持ちです。が、人は人で成長するんだろうな~と最近強く感じるのです。だから、復興も人の力でこそ成せるのではないかと・・・。
    十八成浜でのボランティアが始まって一年。連載にでてくる多くの方々のことを改めて知り、この一年を振り返り、そう強く思うのです。
    机上の勉強だけではなく、本当の意味で成長できるのは人とのつながりかな~と。
    邦子さんの連載からは本当に多くの”人の匂い”を感じます。
    何か変な言い方ですが・・・(笑)でも”香り”じゃなくて”匂い”なんです・・・。

    先日の吉良&浜名湖、すごく近いところにいらっしゃるのにお邪魔できなくて残念でした。
    中日新聞では拝見しましたよ!
    体調大丈夫ですか?

    • 阿部邦子 より:

      由美さん お久しぶりです。
      この間の連載では 母上である由美さんに断りもなく 華ちゃんと一緒の写真を掲載しちゃって 失礼しました。
      本当に沢山の出会いがあり 皆さんのお名前をお一人お一人挙げることができないのが 本当に残念です。 取り上げなかった方々に思いがないのでは絶対になく きっと一生忘れないだろうなあ と思える方々。
      大震災は 私から何もかも奪った そう思い続けた日が長く 心 折れそうになりましたが けど ある意味 失った以上のものを 得ることができたのだと 一年以上たって ようやくちょっぴり 思えるようになってきています。
      それこそが 心の復興なのでしょうね。
      私は 被災者だけが辛いのではないと思っています。 生きている限り 誰もが重荷を背負っている。 ただ 感じ方一つで Aさんには死ぬほどの苦しみと感じられることが Bさんには案外そうでもない ということもあります。 やはり 気持ちの持ちようなのでしょうね。
      華ちゃんにはしなやかな心のまま 大きくなって 大りんの華を咲かせてほしいです。

  39. いわさまみ より:

    今回も連載を読ませて頂いて、改めて 震災きっかけではあるけれど、十八成のみなさんや愛ボラのみなさん もちろん、くにこさんや恭一さん に出会っていなかったら今 私はどんな気持ちで今 暮らしているのだろうか?東京での生活、障害を持って生きる 等々 今のように前向きに生活できていただろうか?とふと思ってしまいました。人との出会いや繋がりが気持ちを支えてくれてます。ありがとうございます。感謝

    • 阿部邦子 より:

      まみさま
      昨夜は台風6号 すごい雨風でしたけど、愛知は大丈夫だったでしょうか そして東京は?
      私はいよいよ 連載最終章の 「仮設住宅にて」の執筆に入り、今朝がたの4時まで 異次元空間?・・・に入り込んでいました。 眠いんですけど 同棟に住む 幼い三姉妹が 「邦子さん、起きて~」と やってきたので、しょうがない 起きたのでして、豪雨も豪風も 殆ど気にもせずにいました。
      被災後 そう・・・、沢山の新たな出会いがあって だから私は生かされている と感じられます。けど、出会いがあっても 発信する、 そして受信するアンテナが錆びていたら、 その出会いに気付くこともなく もしくは心通わせあえず ただ すれ違ってしまうことになると思います。
      この地球上で 縁あって出会えたその奇跡を これからも大事にしたいと思います。
      人と人との付き合いは どちらかから一方的に ということはあり得ません。 必ずお互い 何かを与えあっていると思います。 お互いに、出会えたことによって 2年後 3年後 きっと今より 大きくなっていますように

  40. 武田清美 より:

    邦子さん こんばんわ
    お返事ありがとうございました。
    あの「シチューに入った大きな人参」の話はわたしのお気に入りになりました。
    邦子さんのお話をお聞きする時は「しっかり聞いておきたい!」という気持ちが強く、緊張もします。
    そんなところに 「爆笑嫁・姑話」は肩の力をぬくことができ、リラックスできました。
    邦子さんに親近感もわいて(今まで以上に)嬉しかったです。
    次の脱線話はなんんだろう。楽しみにしています;(^・^);  

  41. 武田清美 より:

    邦子さん こんばんわ
    連載、何度も何度も繰り返し読ませていただいています。

    先週も十八成に帰ることができ、とっても楽しかったです。お世話になりました。
    「命をつなぐ語り合い」では(なのに^0^)、嫁姑話まで出て、可笑しいやら、感心するやら。
    楽しく生きるコツやヒントが盛りだくさん。ほんと、参考になります。

    お友達のお話をされた時には、思わず涙が・・・・。実はガンで亡くなった親友のことを思い出していました。
    当時、週末には必ず病室を訪ねていたのですが、突然、「もう来ないで欲しい」と連絡があったんです。
    これでひょっとして、もう二度と会えないかもしれないなあと、とっても寂しい気持ちになりました。

    会いたいと言っているからと、連絡をもらったのがちょうど1か月後でした。
    弱弱しく、でもしっかりと「ありがとう、楽しかった」って言ってくれたんです。

    かれこれ17年も前のことですが、久しぶりに当時の思い出が甦ってきました。
    涙は流れましたけど、気分はすっきりでした。

    せっかくある命、 生き抜かないと!

    明るく、楽しく、まじめに生きて行こう!!(どこかで聞いたことのあるフレーズですが)

    • 阿部邦子 より:

      清美さま
      コメントありがとう ♪
      お友達が、「もう来ないでほしい」とおっしゃった気持ち 本当に分かります。清美さんのことが好きだから、弱弱しくなっていく自分の姿を見せたくなかったんでしょうね。 大事な人には、輝いていたころの自分のことだけど 心に残してほしい…。
      けど私の場合は 三度がんやって そのたびに見舞いに来た人がみんな 「かえって元気をもらえた」「邦のこと見てると がんってそんな怖いもんじゃないって思えた」っていうんですよねえ。 はあ~~  被災者になっても なんかみんな 私が被災者だってこと 何もかも無くした喪失感や 目の前を津波が横切った恐怖など 私には 「ふん そんなことぐらいでは 負けやしないよ」 であるという・・・そう勝手に思われているようで。
      もっとなよなよとしていたら (実際はしたたかでも) かばってもらえるんだろうに。
      ところであの日 なんで 「嫁・姑」の話になっちゃったんだか 自分でも実はわかっていません(汗) ごめんなさい あっけにとられて あきれた???  けど告白すると 話してて 楽しかった   その心境 自分でもわからないです
      流れとしては 避難所にいるときの人間関係がうまくいくように  ってなことだったと思うんですけど  とにかく楽しむしかないと。
      またお帰りになられましたら 是非 お声をかケてくださいね。 今度はどんな脱線話になるか こうご期待ということで。  
      本当にありがとうございました

  42. 阿部邦子 より:

    こんばんわ。このページ 今まではコメントを下さった方へのお返事 ということで書いていたのですが このごろ お手紙やメールでの質問や相談が多くなり すみません お問い合わせの多いものについては 個々 お返事ができないときも 多々 ありますので、
    被災者の中にはまだ 私が勝手につけた名称?ですけど 被災者症候群・・・で なぜかわかりませんが お手紙の返事 何かをしていただいたことへの礼状 そしてお電話さえできない方が多くおられます。 かく申す私もその一人で まあ パソコンは打てるのですが、便せんやはがきを前にすると 強い緊張感が出て 一字も書けなくなります。  このことについては 正常生活をなさっておられる方には 理解できないだろうし、 「書くのは常識でしょう」でしょうが ごめんなさい としか言いようがありません。 「ああ嬉しい」という気持ちは人一倍ありますのに。私自信が一番悔しい思いをしていると わかっていただきたいです。
    チョコ おいしかったよ!虹色のマグカップ 大切に使わせていただいてるね!私に似合うと思ってと、ピンクのマフラー、嬉しかったよ!手作りジャム 朝のパン食が楽しくなっています!夜はまだ寒いので 温かなロングスカート 今夜も使ってますよ!「邦子さんはがれきに咲いた花だから」と、蝶の髪飾り、嬉し恥ずかしでした!!!書ききれなくてごめんなさい。他の色々 全てが心に残っています。
    この場を借りて 心から ありがとう♡ ❤ ♡
    閑話休題。
    今回の本題に入ります。
    近ごろ相次いでの問い合わせに 『恭一さんと邦子さんが 土曜日に 十八成を留守にする日があると聞いたのですが、 本当ですか? いつですか?』というものがあり、 う~~ん 私が留守の時こそ 十八成は任せて! と言っていただけたら嬉しいなあ なんですけど 「十八成に帰って お二人がいなければ 裏切られたような気がするかもしれません。 最初からいないと思って行くのと、行ってみたらいなかったというのでは、こちらの気持ちがまるで違うと思います」と言われてみれば ・・・そうかも  でしたので。
    6月15日・16日はおりません。浜名湖で『ディナー講演』をやります。主催者はリゾートトラストさんで、チケット売上金の一部を 愛知ボラセンのワンコインに寄付とのこと。わあ すごいと思わない?私 愛知ボラセンにすごい協力ができるんだ! できれば 中日新聞さんによろしくですね~~!! でも ディナーで講演?? 歌を歌っちゃダメかな
    それと吉良では 千人の聴衆。 ・・・どちらも久田ボスがついていてくれます。 でなきゃ 無事 会場に行けそうもないです。それにワンコインに協力 だもんね~~~
    それと、9月15日は仙台で講演です。 これは因縁がございまして 平成22年の9月に講演をするはずでした。でも 民宿と釣り船の仕事 ( 船頭は恭一氏。顧客から 絶大な信頼と人気がありました。 仮設住宅に移っても 船を出してほしいなあと 沢山の顧客が訪ねてくれています ) の予約が入っていて 実施日を変更して欲しいと言いまして、 平成23年の5月に ということになったのです。 ・・・で 震災。 もう、この話は流れたと思っていました。 そうしたら 2年たってのその日に という依頼がありました。 引き受けないわけにはいきませんよね。 ある意味での 復興の一つと思えました。
    実は 愛知ボラセンがいらして下さるようになってから、 土曜日は とにかく愛知ボラセンのみ と思い、 他のボランティアが土曜日にと言ってくれても 「その日はダメ」 と言い続け、そして 講演などの打診があっても 土曜日は行けないと言い続けてきました。
    でも 社会と関わっている限り そうはいかないときも ちらちらと出てきまして。
    10月6日もすみません、留守になります。
    石巻乳がん患者の会で 平成22年末に 「あゆみ」と言う冊子を作りました。 まあ 患者の会は体験談をまとめ、 あとは 顧問である主治医が尽力してくださって完成したのですが。
    とても評判がよく、 第二弾を。となったのです。
    主治医は私の現状をよく理解して下さっており、『特別編集員として また プロの力を貸してほしい』ということで、 前回は一カ月に一度だった編集会議を 完成まで2度だけやる と言ってくださって、 その一回目の会議がその日なので。 出ないわけにはいかなくなりました。
    恭一氏も留守なのは 6月だけで 9月と10月は なんとか私だけで行こうと思っています。
    「いてくれなきゃ困る!」と言われても ごめんなさいです。 まあ・・・・「いてもいなくても 別に~~」と言われたらちょっと 寂しいかな~~~
    私が そういうことに行こうと思えたのは 私の復興の第一歩
    そうご理解いただけたら 嬉しいです。

    • 渡辺友紀  より:

      こんなところで聞いてしまって申し訳ないのかもしれません・・・
      京都の渡辺です。
      邦子さんたち、吉良町にくるんでしょうか・・・
      私の実家です。
      うれしい限りなんですが。
      私は、参加できるのかしら・・・?
      詳しいことは、どこかで聞けるのでしょうか・・・??
      私が、吉良町を案内したいくらいです。

      • 阿部邦子 より:

        渡辺友紀さま。
        お久しぶりです。
        吉良には初めてなんで、ゆっくり観光を兼ねたいのですが、 牡鹿はとにかく 交通の便が悪い! 仙台にいた頃なら 東京は日帰りできましたが、 牡鹿からだと 下手すると東京一泊 仙台一泊になりますから。
        友紀さんと色々歩けたら楽しいだろうなあ♪♪
        吉良の近くの温泉に一泊のはずでしたが その前日は浜名湖で講演で そこに泊まることになったので、6月16日の早朝に 浜名湖出発です。 きゃああ 売れっ子女優みたい~~。
        吉良では学校行事のようです。700人弱の生徒と 400人強の父兄参加 だそうです。
        ところで 吉良では 吉良上野介は 「悪くない!」という意見が圧倒的と聞きましたけど? 私は「う~~ん 人からものを教わるのに、 お礼の一つもやらないって、世間知らずだし、いきなり刃傷沙汰って 短気で軽薄だったのでは?」と思っているんですけどね、 まあ もっと深い事情があってのこと なのでしょうが。
        物事って 立場が変わると まるっきり 判断も何もかもが違ってきますよね、・・・被災者と 被災地以外の人と ボランティアと。 やっぱり視野は いろいろなんだろうな。

        • 渡辺友紀  より:

          ありがとうございます!!
          予定を確かめたところ,自分の仕事が入っていたのでなんにしても無理ですね・・・
          あきらめもつきます。が・・・でもでもでも。残念ですね・・・

          吉良の人は,吉良上野介さんを誇りに思っています。民のことを考えてくれたお殿様として大切にしています。でも,確かに吉良さんも悪いところはあったのだと思います。でも,吉良の人は上野介さんびいきです。
          私,京都の福知山にいたこともあるのですが,福知山では明智光秀が同じように、大切にされていました。明智光秀も,同じように民のことを考えていたとのことです。
          歴史は強者のものですし,実際のことはわからないですが,でも,そうやって自分たちのお殿様を大切にする気持ちはいいなあと思っています。私も,吉良さんびいきなので。私たち,吉良の人間くらい,吉良上野介さんの味方でいないと。理性じゃないんでしょうね、きっと。情ですね。

          また,邦子さんにお会いするのがとても楽しみで待ち遠しいです!!ゆっくりできないかもしれませんが,どうぞ,浜名湖~吉良を満喫してください!!きれいな海・・・とまではいかないかもしれませんが,のんびりしたところです。邦子さんたちが来てくださること,楽しみにしていると思います!!

          • 阿部邦子 より:

            真夜中に こうやってコメントのやり取りをしていると、 思わず顔がほころびます。
            やはり 日中 多くの人と接するのは 緊張があるのでしょうね。 知らずに体に力が入っているのか、 夜になるとかなり肩が凝っています。
            ですからなおのこと こういう会話ができる人のことは、本当に大切な存在と思えます。 なんて言うんだろう、 そよそよと風が吹いている 野の花がいっぱいの野原。 そばに小川が流れていて 湖とかもあって そこで寝そべって ゆったりと流れて行く雲を見ながら 気が向くとおしゃべりして 時には本を読んで そして ふうっと居眠りをして。 そんな感じを与えていただいています。
            女には二種類がある と言った文豪はどなたでしたか。 男を癒す女と、 男を奮い立たせる女と。 男は癒してくれる女を妻にし、 奮い立たせてくれる女を愛人とするのが本望だと。
            まあ 勝手なことを言いますよね。  けど 友人関係でもそうかもしれないなと思います。 癒しの人 活性をくれる人。 どちらも大事。・・・というか、 その時々によって、 どちらにもなれるのが人間ですよね。 相手のその良さ、 魅力を引き出すのが 人の器量だと思います。 つまり 魅力ある友人を持っている人は その人にも魅力があるってことですよね。
            ・・・ところで このページ、 返信のたびに 細くなっていくんですよね。 なんで?? 返事ってわかるように??  最後には 字数一字だけの 行数がやたら長い  ってなるのかな
            友紀さん では おやすみなさい いい夢を。 私はもうひと踏ん張り  エイエイ オー♪♪

  43. 棚橋奈美 より:

    3月にくぐなりにおじゃまさせていただきました。チーム恭一の作業を通し、がれきが決してごみではなく、現地の方々の大切なものであることを痛感しました。がれきがなくなることで前へ進めるという考え方がある一方で大切な思い出の品をなくしてしまうという考え方はボランティアセンターの活動を通して初めて知ることができました。
    これからも邦子さんの記事を読みながらくぐなりのみなさんの思いを受け止め、私にできることを考えていきたいと思います。連載、楽しみにしています。

    • 阿部邦子 より:

      奈美さま。
      コメントをありがとうございます。がれきは決してごみではない  そのことをわかってくださって 嬉しいです。 被災地においでにならなければ 真にはわかっていただけないことだと思います。
      今後どうなるのか 今 被災者の心は 乱れています。 一言でいえば まだまだ 「正常心」ではない。  けどそれを 「それはそうだと思うよ、焦らないでいいと思うよ できるだけの応援はさせてもらうから まだまだ甘えてくれたら嬉しい」 と言ってくださる方もいれば 「もう一年以上も過ぎたのに まだ そんな グダグダしてるの、 いいかげん シャキッとしたら」 と仰る方もおいでになる。  そうですよね みんな 感性も人生観も価値観も そして想像力のあるなしも いろいろですから。
      どれがいいとか悪いとか それは私には言えません。 時には 「そう、ね、もう一年以上過ぎたんだから 歩きださなきゃね」 そう目覚める人もいてくれる・・・かもしれませんし。
      私はとにかくもう 被災者であることに疲れています。 できれば熊のように冬眠をして 目覚めたら 被災前の家と似た家が建っていて 「さあ 新しいスタートだよ」 ってならないかなあ、そう思ってしまいます。
      仮設住宅に移って 九か月。 避難所にいるときは 好きな時にパソコンに向かうなんて 夢のまた夢 でした。 それを思うと今は天国です。 たとえ いくら整理しようとしても 収納するところがないんで お客さんにはすべて見られるとか  まあ 色々不都合があろうとも。
      また十八成にお帰りになれたら 拙宅でゆっくり お茶っ子飲みしましょうね

  44. 阿部邦子 より:

    こんばんわ  
    5月20日に 昨年5月30日、 ライフラインの悪化も大きな原因となって亡くなった姑様の 一周忌。 田舎ではそういう行事?はけっこう大がかりで 家督の嫁は大変なんです!かく言う私が 家督の嫁。 前もっての準備はできないんで 明日から孤軍奮闘です。 こういうときって 殿方はあまり 役に立ちませんから~~  19日は せめて午前中に一段落させたいです。 だって 愛ボラがいらしてくれる日ですもの。
    「普段は何をしていますか?」 という質問がこの頃増えています。けっこう忙しくしています。
    談話室使用の責任者として ボランティアや行政からの依頼を聞き、使用日が重ならないようにします。 トイレットペーパーなど備品の残を時折確認し、掃除もし、使用者がいた場合には「使用申請書」を提出して戴きます。
    使いたい という申し込みはけっこう多く、 時には仮設団地住民から「法事に使いたい」との申し出も。
    ここ数日で言えば、15日は 全国の看護師さんや医療関係者の集まり、キャンナスさん。住民の健康管理や合唱、軽い運動など。毎月一回 来てくれます。
    そして今日は、 毎週日曜日に 仮設団地に来てくれる 移動八百屋さんの大森吉人さんからのご紹介で 神奈川から 声楽家の 柚季 (ゆずき) 純 さんが 楽器持参で 来て下さいました。 昨年5月17日から災害ボランティアをはじめ、 今日は記念すべき一周年でした。 石巻地区には作年7月より 14回目となるそうです。 みんなが歌えそうな唱歌も楽しかったけど、さすがに声楽家 アベ・マリア には ほれぼれしました。
    実は今日は他に予定があったのですが、今日やりたい とのお知らせを頂いたのがなんと数日前で 回覧板など回して 精いっぱい声かけをしたのですが、 まあ 人数にはこだわらずになさってくれるとしても 一人でも多くの人に ってことで なんとか予定調整をして 恭一氏と私も参加しました。 最初五人だけでしたが もう一度恭一氏が回ってくれて 結局は 15人の方が来てくれて 盛況でした。
    他にもこの地に来てくれるボランティアの窓口や 相談係などしています。
    他に 執筆。 この連載もですけど、 震災でパソコンが流失。 出版・との声もあった 書きかけの作品が全て 消え失せましたので 今 新たに 5作品を並行で書いています。 正直 かなり大変で あまりにのめりこむと 突然に具合が悪くなる時も 多々あります。
    そして 石巻乳がん患者の会で 患者のための 冊子、第二弾を作成 ということになり  第一弾の時も関わったということと 会の顧問 私の主治医が 「邦子さんが関わってくれなきゃ完成しないから」 とまあ くすぐりが上手で! 
    そちらの編集や執筆もすることになりました。
    そんな日々を送っております。
    丸一日何もない日は 被災後皆無です。 まあ これが私の天命かも。
    「私にはなにができるだろう?」 これからもその思いを基軸に 歩き続けます。

  45. いわさまみ より:

    Sには参加できませんでしたが、 Sの方々と0泊でご一緒に作業した暑い夏を思い出します。振り返ってみて時間の経過が早いのか 遅いのか わからない変な感覚です。くにこさんの文章を読み また改めて日々の生活で気をつけたい事ややりたい事 色々といい刺激を受けます。くにこさんの言葉の力ですね。
    ありがとうございます。また、十八成へ帰ります。

    • 阿部邦子 より:

      まみさま
      こんばんわ 個人的には感想 山ほど寄せられるのですが、 久しぶりのコメント やっぱいとても嬉しいです いつもありがとうございます。
      今回の原稿 ずうっと読んでくださっている方にはお気づきかもしれませんが いつもよりずうっと写真が小さいです。 実は11日の金曜日にゲラを受け取り 新聞掲載の形になると 原稿の時には 「う==ん?」ぐらいの違和感がとても増幅されて感じられ、 土曜日の早朝に 新聞社に「直したい」と 無理を承知で申し出たのでした。そうしたら一本の電話。総局長が「直しましょう!」と 決断してくださったのです。 もう紙面は出来上がっています。 なにしろ 発刊となる前日ですから。 そうして苦肉の策で 写真は小さくなりましたが 原稿の後半を そっくりと入れ替えてくれたのです。 それだけこの連載を大事に思ってくれている!そう思ったら 嬉しいというより 怖いと言うほどの旋律が全身を駆け巡りました。 まかせて!書くわよ!決して期待は裏切らない! との 武者ぶるいだったのでしょうか。
      書きたいことが山ほどあって、時折 大筋にそうはさし障りのない背景やプロセスなどは 「はしょる」こともありますが、全てがありのままです。 ただし あくまでも「私の目で見て 私の耳で聞いて 私の感性で」書いているので、「ここもっと 詳しく書いてくれればいいのに」って思ってくださる方もおいでかも?
      でも どれだけ精いっぱい書いているかだけ せめてこれを読んでくださってる方には 「お願い わかって」と 甘えちゃいます。
      被災者は まだまだ心 破れています。 『一年たってもそういうこと言ってるの』と 被災地以外の方に言われるのが 傷口に塩をなすりつけられる思い との被災者は多いです。 私たち自身が誰よりも、 もとの心に戻りたいと思ってるんだからね!でもあの時の恐怖と喪失感と絶望感が まだまだ私の中に居座っているんだもん!!! これが本当の私たちの思い。
      もしかして 最終章の 「仮設団地にて」で もっとも言いにくいこと。 でも言わなきゃないこと。 を書くようになるかもしれません。 それは今の私にもまだ わかっていません。 どうかコメントで 私に勇気を下さい。 そして今は 愛知ボラセンの章を お楽しみください。

  46. 阿部邦子 より:

    この頃毎晩 このページを開いてから入浴 という夜が 多くなりました。
    新しいコメントがあると嬉しくなります。ですがなくても 寂しいとか そうは思いません。
    なぜなら 新聞社のほうに かなりの感想が行っていると 本日総局長が 言ってくださったからです。 それも 「よく書いてくれました」「私も同じことを思っていました」 と。
    被災者は決して可哀想な人間ではありません。ですから 同情はいらない。
    被災者はでも 大変な状態ではあります。 何度も言いますけど 今まで当たり前に周りにあったものが 一気に何もかもすべてなくなるって どれほど大変なことか きっと想像力があっても 本当にはわからないと思います。
    私は実は プライバシーを重視するタイプです。 一人になれる時間がないとダメです。一人になれる場所がないと ダメです。
    なのに何カ月もの避難所生活を体験し・・・、 
    震災前には私の書斎を見られる人は 書斎に入れる人は そうはいませんでした。 夫でさえ 私が書斎にいると 遠慮したものです。
    それがいまや 食堂兼 茶の間兼 客室兼 そして書斎。
    その状態が 私にはどれほどきつい環境か いくら親しくても なかなか分かってもらえないと思います。 作家でない限り。
    でも私は積極的に このわけのわからない部屋と言うか 用途の多い収納場所がまるでないこの部屋を 仮設住宅というものを見たことのない人たちに お見せしようと思っている。
    なぜか。 それは将来 そういったものに関わる仕事に つく人がいるかもしれないからです。 関わりある人と 関わる人がいるかもしれないからです。
    最も隠してしまいたいものを公開してしまうのって 虫歯で痛い歯を 舌でぐいぐいと押すような 自虐的快感になっているのかもしれません。
    代筆さんは私を 一言でいえばかっこいい人 そう言ってくださったけど もしかして私の精神は 危ういところで踏みとどまっているだけかもしれない。  それは 自分でも わからない。
    ただ 何に関しても平気な人 そう思われると 「・・・違うもん」と 心の中で呟いています。
    その私の心の中の呟きを 感じ取ってくれる人がいてくれると 救われます。
    辛いんだってば! まだ 何をどう考えていいのかさえ 分かってないんだってば! もう一年もたったから少しは落ち着いたろうなんて 何を根拠に判断してんのさ!ねえ、お願いだから  決めつけないでよね! 経験したこともないのに 被災者の思いに 意見を言おうとしないでよね!  ・・・言っちゃった  
    語弊があるだろうけど その叫びこそが 被災者が最も言いたいことです。  語弊どころか 「なにそれ?」と 怒る人もいるかな。 「俺たちに意見言うなって? 何様のつもりだ」とかって。  意見を言わないでということではなく 経験したことのないことには 被災者の思いには まずは耳を傾けてほしい そういえばいいのかな。  わかりやすく言えば 一つの例として 私は幼稚園に行っていません。 入る年齢の時引っ越したんで もう その地域の幼稚園には空きがなかったってことで。
    だから私は幼稚園の子の言葉には 「へえ、幼稚園って そういうところなんだ」と 聞くばかりです。 意見を言うときは 「ねえ、 どう思う?」と 聞かれたときだけ。
    その考えを強制するつもりはまるっきりないけど でも そういう考え方もあるんだ  それぐらいは 受け止めてほしいです。
    面白いことに 愛ボラのリピーターには 大きく分けて 二通りの方がおいでになります。
    十八成には もうがれきはないけれど これからも十八成を 見て行きたいという方たちと  十八成にはもう がれきがないから 自分の出番はなくなったという方たちと。
    どちらにも ありがとうです。 前者の方たちとは 本当にわかりあえたねと 言いあえてるし 後者の方たちはきっと 十八成での経験を生かして 他地域にまた大きな災害があった時に 駆けつけてくれるのだろうと 思えるからです。
    人には 向き 不向き もありますし。  それぞれが ご自分にできること ご自分の意に添うことを してくだされば。 つまりは いろんなタイプの方がいてくださってるから 愛ボラは 他のボランティアとは違って やり続けてくれているということなのだと 本当に素直にそう 思えています。
    そしてやっぱり 「行ってきます」「ただいま」 と言いあえるようになれたのは がれきを一生懸命撤去してくださった方々とのつながりがあったからです。 けど・・・聞いてくれる?見えるがれきはなくなっても 私たちの心にはまだ がれきの山。  時には 「・・・ただいまって言いたくなったな」と思って ・・・思ってくれるだけで  嬉しいです。 

  47. 代筆 より:

    ここまで書いてくれたと、 毎週 感動です。被災者の細やかな日常と、その時々の気持ちをこんなまで書き残してくれる気持ちになられた阿部さんに、感謝どころじゃなくって、 感動です。これは後世に残すべきです。それにしても愛知ボランティアセンターに、この連載を掲載することを、 いいですよと言ってくれた、 阿部さんご本人と新聞社が、 いかにみんなに、 体験と思いを伝えなければと、強く思ってくれたかと思うと、 その思いに涙が出ます。 そのお気持ちを決して無駄にしてはならない 、他でもない、 自分と周りの人たちのためにです。 出版となるようなことを書いておられましたが 決定でしたら 絶対絶対 お知らせください。 パソコンなんて一生使わなくて済むと思ってたんですけど 、パソコンがないとこういうこともかけない、伝えられない時代、、 私の気持ちを代筆してもらっております。 邦子さんって呼んでね、 ってお聞きしたことがあって、 そう呼びかけしたかったんですけれども、 恐れ多くて私は阿部さんになってしまったけれども、 じかにお会いしたら邦子さんですね。 ご本人がそうしてねと仰ってくれたことにこたえることが、 せめてもの私の感動のあらわれであります。 連載だけでなく、 コメントくださった方への細やかな返信コメントもすごいです。優しい人だなあと思う 。被災者になられてもこの優しさはと思うと、 本物なんだなあと思う。 その優しさに甘えてしまって、 阿部さんのつらい気持ちを、 私たちは忘れてはならないんだよと、 私は皆さんに言っておきます。 阿部さんの文章は読みやすいです。作家としても本物なんのです。そして阿部さんは、 いつ誰に聞かれても、 筋の通ったちゃんとしたことを言ってくれると思うです。 それだけちゃんと、 筋が心にあるということです。 阿部さんを知らない人はほめすぎと思う人もいるでしょうが、 これでもたりないぐらいです。一言で言うとかっこいい人です。阿部さん体には気をつけて。 心の復興、 一日でも早くにと、 心から祈っています。応援してます。言葉だけの応援なんかじゃなくて私にできることがありましたら何でもします。

  48. 岩谷 治 より:

    めぐりめぐって、この連載を拝読させていただきました。なにげなく読み出したら、一気に最後までいきました。

    読後感をうまく表現できません。

    でも、阪神大震災の時から進歩していないこともあるのですね。阪神大震災の時も、救援物資を個人で送るときに、衣類の中に、おにぎりが入っていて腐っていたり、救援物資として送られてきたものの中に「これって…」みたいなものもあったと聞きます。「(心ない)救援物資は被災地を襲う第二の災害である」と、当時、教えられたことを思い出しました。

    今まで、被災された方の情報はあっても、ひとりひとりの想いみたいなものを理解できるようなものがなかったです。

    これから、しばらく拝読させていただきますので、よろしくお願いいたします。

    • 阿部邦子 より:

      岩谷治さま
      ありがとうございます。
      阪神大震災の時から まるで進歩していないこともある。 それは私も強く感じていました。 というより その阪神の 被災者の大変さ 被災地の惨状 現状を 伝え続けなかったマスコミの責任も大きいと思います。 伝え続けてくれれば 少しでもそのことで 学べた人もいたはずです。
      そして 被災地以外の人たちの無関心さも 東日本大震災での 色々な遅れにつながったと思いますし 阪神大震災での過ちを また繰り返す結果になったのだと思います。 もし 私を含めて多くの人が 過去の 他地域の被害にもっと心を寄せていたら、 危機感も薄れることなく きっと自分たちのためになったと思います。
      だから私は この連載の話を頂いた時 正直もう思い出したくないとか 書きにくいことも書かなきゃ無くなるとか 逡巡 躊躇しましたが 私が書くことで 少しでも風化せずに済むなら。 自分の体験を伝え続けることで 被災地以外の人が 少しでも危機感を持ち 一人でも多くの人に助かっていただけるかもしれないと 書く決意をしたのでした。 
      でっかいことを言うつもりも 偉ぶっているわけでも 高尚な使命感を持っているわけでもなく 私はただ 命をかけた私(たち)の体験によって お願いだから助かって! それだけの気持ちです。 
      そして 被災者はまだ 心救われてはいません。 それがあとどれだけ続くことか。 私たちの思いを どれだけわかってもらえてるか。
      「まだ 東日本大震災の特集なんてやってるよ」「もう昔のことでしょ 今更」 そういう世評が 視聴率を意識するマスコミの動きを鈍くします。 どうか 特集によって一つでも学び 自分と自分の大切な人を救う! そう思ってほしいです。

        

  49. 阿部邦子 より:

    ★こんばんわ。被災前には道路一本横切れば海、と言うところに住んでいたので、道路を通る車の音も聞こえない、ましてや 波の音も聞こえない ここ 仮設団地の夜は 本当に静かです。時折 ぴぃぃっ!という 鹿の鳴き声が聞こえるぐらいです。 まあ そのかわり 雨の音はすごいですけどね。
    あんまり静かで 時折 「本当は 私はもう死んでいて、 ここって 海の底なのでは?」と 思うこともあります。 ですから 体調が悪くて 話すのもしんどかったり がんの手術の傷口がぎりぎりと痛んだりすると 「あ、生きているんだなあ」 と思います。
    ★4月22日(日)の連載 お休みでした。 中学生野球が復活?したとかで その特集を組みたいと新聞社から言われて 「ああ、もちろん どうぞどうぞ」と応えました。 ですがこのページでは私 申し上げなかったので 沢山の方から 「大丈夫ですか!具合が悪くて書けないんですか!?」との お問い合わせがありました。 新聞社や役場に私の電話番号を聞かれた方も多く、 また NТТの電話局に 「石巻の十八成の 阿部恭一さん」と聞いて、結局わからなかった」と ボランティアにいらしてくれて 言ってくれた方も なんと 三人おいででした。
    この場を借りて 本当にありがとうございます。
    ★いよいよ 愛ボラ登場で 何度も申しますが 心に残っている皆さんを お一人お一人書くことはできません。でもお一人お一人に語りかけながら 書き綴ります。
    今思うと あの時こうすればなあ ああ言えばなあ と思うことも 山ほどありますが まあ 被災者には 心身ともに余裕がなくて ごめんなさい って 言うしかありません。 本当はもう 被災者であることに 疲れています。 愛ボラの章の次は 『仮設住宅にて』の章で、 それで 『完』とします。 連載の話を頂いて、 書き始めた時が 私の心の復興の 第1歩目としたら、 連載を書きあげた時が 私の心の復興の 第2歩目 なのかもしれません。

  50. 渡辺友紀  より:

    なかなかコメントできずにいてごめんなさい。でも、読んでました。
    この土曜日も,お世話になりました。ありがとうございました。毎回毎回,終わりのミーティングのときの邦子さんの言葉に感動しています。邦子さん,おっしゃってくださいました。「こんなにやさしいみんなだから,助かって。」って。「うちに帰って,ああこれが自分の幸せなんだって思って。」って。
    邦子さんの連載を読んでも,そのメッセージが伝わってきます。
    次回から,愛知ボランティアセンターさんとのことが始まるんでしょうか。楽しみです。
    また,読みます。また,十八成浜にも行かせていただきます。

    • 阿部邦子 より:

      友紀さん  お仕事で疲れてるのに コメントありがとうございました。
      実はこの頃 時折 被災者でいることに疲れているので 優しいお気持ちに また歩き出そう という気持ちになれました。
      やっぱり 震災前より 気持ちが弱くはなっています。だからなおのこと意識して 元気でいなきゃ!って どこかで無理をしているのかもしれません。
      先日 地元密着のボランティアの人が 他地域で講演を依頼されて数泊してきて 「ショックだった」と言っていました。 その地域では多くの人が 鬱状態なのだそうです。亡くなった家族や近所の人を どうして助けてあげられなかったのだろう と自分を責めたり 何もかも無くした虚無感に胸をふさいでしまったり。
      でもそれは 被災者だったら 誰にでもある感情です。 一年たとうが もしかして人によっては 十年たとうが   薄れることはあってももしかして 一生抱えて行かなくてはならない十字架なんです。
      それを友紀さんは感じてくれているんだと思います。 けど 優しすぎるのは困る。私たちの十字架を 「少しでも軽くさせて」なんて ダメだよ。 笑顔をくれればそれが一番嬉しいです。
      十八成という 針の先でつついたような 小さな集落に 花を咲かせてくれるのは 皆さんの笑顔です。 
      愛知ボラセンのことは 4月29日からの連載になります。 心に浮かぶ方々のことを みんな書きたいけど それはかなわず ごめんなさい。 でも お一人お一人に 語りかける思いで書き綴ります。

      • 渡辺友紀  より:

        お返事,ありがとうございます。なんだか,うれしい限りです。
        記事だけじゃなくて,このコメントを読むだけでも,思いが伝わってきて胸が熱くなります。
        教えてくださってありがとうございます。また,コメントさせてもらいます。

  51. 阿部邦子 より:

    ①いろいろと情報 ありがとうございます。
    私、ウィキペディア に 載りました。 インターネットの 百科事典だそうで。 どなたが載せてくれたかは不明ですけど、身が引き締まる思いでした。 微妙に違うところもありますけど (私は 絵本作家ではないですねえ) おおまかには 「よく調べたなあ」でした。
    ②お手紙を託して下さる 以前 ボランティアにいらしてくださった方 が多々おいでになります。 お世辞・義理・建前 抜きで 本当にありがたく、 嬉しいです。 で、お願いなんですけど できましたら お手紙を下さった方のお写真を 同封していただけないでしょうか。お会いすれば 「ああ!」なんですけど ごめんなさい 記憶があいまいな場合もありまして。 失礼なやつで ひたすら ごめんなさい! でも「ああ、あなたがくださったの」と 立体的な思いで拝読させていただきたく。 よろしくお願いします。
    連載に書きましたが 被災者症候群がまだ根強く、お返事が書けずにいます。けど お気持ちはしっかり受け止めさせていただいております。 ありがとうございます
    ③私とは反対に 手紙は書けるけど コメント つまり 多くの方の目に触れる文は書けない、そうおっしゃる方も多いですが、 確かに コメントを頂けると 手ごたえは感じますが、 でも 連載を読んでくださっているという しっかりとした視点は受け止めさせていただいています。4月22日は 新聞紙面の都合でお休みとなりますが 29日から いよいよ 愛知ボランティアセンターが登場します ♪♪ その章が終わったら いよいよ 仮設住宅でのことを書きあげて 連載は終了となります。 あと少しですので 最後まで よろしくお付き合いください。

  52. 阿部邦子 より:

    ★この一年 本当に あっ と言うまでした。
    連載 正直 書くのが辛い と感じる時も ありました。
    ですが書き始めたら これも書いておかないと これこそ訴えないと と 次々にでてきてしまって。 決して 「使命感に燃えて」いるわけではありません。 もっと 何というか 静かな気持ちです。
    先日 名古屋で講演させていただいた時 カメラマンの方が ご自分の画で どれだけのことがどれだけの人に伝わっているか 自信がない と仰いました。 これは ご本人に許可を戴いて書いているわけではありませんが きっとわかっていただけると信じられるので 書かせていただきます。  ・・・・・音楽 画 写真 文章 そして言葉。 そのすべて 感性も価値観も人生観もまるで違う方々全員に わかっていただくのは難しいかもしれません。誰もが ご自分の価値観と感性をもとに 判断しますから。
    でも私は今までと同じように 書き続け 語り続けます。 カメラマンの方にも 「続けることが大事と思う」と 申し上げました。
    人間 ご自分の体験と環境をもとに判断しますから 私の心情・体験を 「・・・何言ってんだか」ともし 思えたとしたら。、 そう思えるあなたは幸せなのですよ 当たり前に生きてることこそが 幸せなのですよ  そういうことだけ わかってくれればいい。
    十八成にいらしてくれるみなさんに  後藤さんは「精一杯生きてほしい」、恭一氏は「輝いて生きてほしい」、そして私は 「とにかく生き延びてほしい」 そのテーマでお話しさせていただいております。 それをわかってほしくて 時折 「例として」を話します。 その 「例」だけを心に残してしまったら、私たちが最も訴えたいことが 伝わらない危惧もあります。
    4月8日の 自衛隊と警察隊のお話は 写真を見ていただくとおわかりでしょうが 背景 一面のがれきです。 そこに まだまだお若い隊員の方たちが 名古屋よりもっと遠くから 何か月と言う長い期間 赴任してくるのです。 使命感に押しつぶされそうになることもあるでしょう。 そして 早朝から夜遅くまで 緊張の日々なのです。 そして私は避難所で 本当に今振り返ると 精神が病んでもおかしくなかった 日々でした。 そんな中 ふっと心通わせあえてつかの間得られた 安らぎ。 実はこの記事を新聞で見て「良かったね そういう時間が持てて そうできる人たちに出会えて良かったね」と 四名の方が 泣きながら電話をくれました。 ・・・わかってくれなくても 私は「ああ、そう受け止めたの、なるほどねえ、そういう考え方もあるんだねえ」と言えます。 作家ですから いろんな考え方に出会えるのは 私にとって 何よりの喜び。最高の学びです。
    でもやっぱり まだまだ 正常・平安な心に戻ってはおりませんから  「わかってくれる人がいる」 それが何よりのパワーの源です。
    あなたの 今 周りにあるものすべてが 一瞬にして消え去る  そして 一歩間違えれば 生きてはいられなかった そして つい最近笑顔で話した多くの人が 一瞬にして亡くなってしまった  そういう体験は 一年や二年で 忘れることなどできない。
    被災者は みんな そういう思いを抱えて なんとか歩きださなければと 歯を食いしばっているのです。 その できるだけ明るくいようとする姿に 「かえってこちらが勇気をもらえた」と 言ってくださる方もいれば 「違和感を覚えた」と 仰る方もおられるのは 世の常です。
    ですがここで今一度 被災者とはそういうものだと まずはおわかり戴きたいと思います。
     

  53. 阿部邦子 より:

    ★久田ボス  とんでもなくお忙しいのに 毎週 掲載してくださって ありがとうございます。
    ★最初の予定では 丸半年間  この3月で終了のはずでした。
    ですが 例えば 被災者症候群など これを書かなきゃ これこそ書きたい  ということが出てきて 石巻かほく新聞の 朝倉総局長が 理解してくださって ・・・・・。
    でも 朝倉さんが 突然転勤となり 「愛知ボランティアセンターのこと、邦子さんから話をたくさん聞いているんで どう描いてくれるか 見たかった」と、 とても残念がってくれました。
    その気持ちに応えるためにも 愛ボラの章 思い切り 筆をふるいたいと思います。
    皆さんお一人お一人に お話ししている思いで書きます。
    連載が完成したら 出版との話がありますので その節は どうぞよろしくお願いします(笑)

  54. 阿部邦子 より:

    まみさま
    返信 にすると段々細くなるんで やがて 一行・・・って想像すると 「え~」なんで 
    アドバイスありがとう  でも記憶力には自信があるんで(エッヘン!)・・・じゃなくて 挨拶も講演もコメントも メモは一切とらない  が主流になっています。
    本当に 被災者であること  に 疲れています。 もしかして 連載を書くことによって 忘れたいことをまざまざと 思いだしている ってことも関係あるかもしれません。
    でも 連載があるから 私は生かされている という思いは とても強いです。
    どんなことも 体調や気分で 百八十度違う視点で見てしまう という 証かもしれません。
    つまりは 心の平安は 自分次第 かも知れないですね。
    疲れた 面倒くさい つまんない  わけがわからない などなど  そういう言葉 思いこそ 海に捨てて  しゃきっと顔をあげ 毅然として でも笑顔は忘れずに 歩き続けているうちに 心の復興がいつかかなうのかもしれません
    被災者だけが大変なんじゃない 誰だって いろいろ背負って生きている。
    被災者の私たちから 何かを得てくれたらと 心底思っています。 

  55. いわさまみ より:

    くにちゃん♡こんばんは。
    先日は名古屋にて本当にありがとうございました。ハードスケジュールになってしまってすみませんでした。来て頂いた皆さんに感謝の気持ちをモリモリ詰め込みすぎてしまったかな?・・・

    皆さんと名古屋で時間を共有できてしあわせ者です。東京から行った甲斐がありました。

    ずっと連載を読ませて頂いているのですが、文字にできなくてやっと今日キーボードが押せました。
    でも、色々思いが巡ってまとまりません。なので、また十八成に帰ります!必ず という事が伝えたくて今は書いてます。

    縁あって出会った十八成の皆さんが一瞬でもホッとできる為に なんでもいいから 良かったって思ってもらえるように 一人では何もできないけど、みんなでやれば何か出来ると いつも思いを馳せています。

    連載楽しみにしています。では、また。

    • 阿部邦子 より:

      まみさま
      先日は本当に大変に何から何までお世話になって なんか もう10日もたつなんて信じられないような たった10日前のことだなんて信じられないような。
      「♡ いろいろと ♡」 お付き合いいただいて ありがとうございましたっ  ・・・楽しかったね
      沢山の方が話しかけてくれました。 嬉しかったのは 思っている以上の人たちが読んでくださっているんだなってこと。 ・・・・・ 「十八成に帰った時の 邦子さんの 大らかで大きくて でも本当は傷つきやすくて気を遣いすぎてて泣き虫で寂しがり屋・・・で、自分が死ぬような思いをしているのに 『いざというとき あなたたちに死んでほしくないから だから連載を書いてるし、こうして話してもいるんだからね、何か一つ きっと学んでね』って、泣きそうな顔で言ってくれたことが 時々脳裏に浮かび、そして 連載を読むたびに 心が震えます」 って言っていただいた時は  ああ、魂を削るような思いで書いているって、 わかってくれている人がいるんだ   って それこそ 泣きたくなりました。
      それと 多くの人が 愛知ボランティアに関わっていることに 誇りを持っておられるんだなあと 頭が下がりました。
      愛ボラも 発足して 丸一年。偉大なイベントが終了( 大成功 ) した今、 もしかして 今後の指針をもう一度はっきりさせるときなのかもしれないと 感じました。
      大局的なことは やはり 久田リーダーの思いを尊重してこそ まとまる ってことかも。 どんなことでも ものでも 最初の姿のままってことはあり得ないし 愛ボラのリーダーは独裁者ではないので 疑問や希望は どんどん言っていいよね。 私の思いとしては 『これ!』という 芯のある大木に 柔らかな瑞々しい青葉が いっぱい茂ってる って イメージかな。
      私はあくまで被災者で 愛ボラ側の人間ではないんで イメージを語ることぐらい それと お話を聞くぐらい 求められればちょっとした意見を言うぐらい  自分にできる精いっぱいの協力をするぐらいしかできないけど  この10ヶ月間 土曜日は決して 他のボランティアを受け入れずにきた  愛ボラにはそれほどの思いを持っている  それはわかってください。
      とにかく 難しいことは もう いいっちゃ  楽しいこと 考えっぺっちゃ  ね?

      • いわさまみ より:

        はーい!楽しい事☆ みんなで もーそー してますよ!そのうちまた楽しいイベントしたいです!

        昨日また返信機能使えなかった。今日は送れますように。

        • 阿部邦子 より:

          まみさま
          こんばんわ  やっぱり 返信機能とか 使いにくくなっていますよね! 匿名希望さんにどうしてもお返事したくて それもすぐにしたくて 結局 8回目でやっと とか 長文を段々削って 五度目にやっと とか。 送信!ってやると 文章が消えちゃうんで 「意地悪してるの 誰だ!」 と 天をにらみました。
          なんか 被災者でいることに 疲れてきました。 けど 復興ってなんだろう?

          • いわさまみ より:

            ここに長文書くときは 一旦、メモに書いて コピペしてます!くにちゃんも試してみてくださいね。

            復興・・・・。なんでしょう?もっともっと考えてみます、私たちに出来る事を。

            失敗することも ご迷惑をおかけすることも出てくるかもしれませんが、そんな時は直球でダメ出ししてください。

            それが、お互いの糧となり、教訓となり、何かが見えてくるのかも。

            みーんなが、あったかい心になれる日が早く来ますように♡

  56. 阿部邦子 より:

    現在 平成24年 3月17日(土) 午後9時 11分
    コメントを送れなくなり 送ってくれたものも届かなくなり どうしよう と思った今日 いしだかずひこ さんが いらしてくださり  なんと 送れずに消えてしまったコメント 2通まで 復活してくれました  ・・・が 油断はできません  改めて 打ってみます。
    この連載は 私が想像している以上に多くの方が 読んでくださっていました。 3・11 名古屋にて 驚くほど沢山の方が 「コメントできないでごめんなさい でも すっごく楽しみにしているし  邦子さんが語りかけてくれているようで 泣いたり笑ったりしています」と 言ってくださいました。 この場を借りて ありがとうございます。
    愛ボラと私たちは 10ケ月かけて 少しずつ歩み寄り、理解しあい、 そして今があります。 初めての方には おいでになるバスの中で そのことを 伝えてほしいと思います。 そして リピーターさんと 初めての方が 語り合える 座席にしてほしいと思います。 初めての人の不安をベテランが和らげ、そして がれきに囲まれていた私たちの辛さをじかに見てくれた その体験を話してほしいと思います。 そしてベテランは 初めての方から 初心を思い出していただきたい。 その二つがあいまってこそ 愛ボラの良さと個性が 浮き彫りになり 引き継がれていくのだと 思います。

  57. もえか より:

    邦子さーん(*/ω\*)
    いつも美味しいお茶と
    楽しいお話ありがとうございます(*>ω<*)
    大好きですっ(*/ω\*)
    これからもよろしくお願いします(*^^*)

  58. 阿部邦子 より:

    ★平成24年3月11日(日) 午後10時55分   無事 十八成に到着しました。
    本当に何から何まで 至れり尽くせりで 招待された全員が 「行って良かったあ」と大感激でした。 中学生・高校生の スピーチコンテスト、 表彰式までいられなかったのは残念でしたけど、今まで私のほうが『訴え続けて』きて 初めて 被災者ではない方々の 『伝えたいこと』を拝聴して とても気持ちが救われました。 1等 2等 3棟  そして リゾートトラスト賞 三陸かほく新聞社賞 牡鹿がんばっちゃ賞 愛知ボラセン賞  とありますが、 どなたが 1等になってもおかしくない と思えました。 おそらく タッチの差の 接戦だったと思います。
    ★マラソンのみんなを迎えたときは 言葉が出ませんでした。 マイカさんのご厚意で 夫・恭一氏と私も、 壇上で、ゴールのテープを持たせていただきました。そして この喜びは十八成みんなでと、勝手に15人の方も 壇上に呼び、それぞれがランナーの肩を抱き、感動を分かち合えました。
    ★キャンドルはとても優しい光をくれました。 うふふ・・・という 聞こえない笑い声が あたりに満ちました。
    ★そして あの寒い中、 順路のボードを持って立ち続けてくれた方々。 たくさんのテントのそれぞれを受け持ってくれた方々。 どの一人が欠けても 成功しなかったろうなと いま しみじみと思っています。
    ★葛城ユキさんのコンサートを聞けなかったことも残念です。 縁あって 恭一氏がお願いしての実現なので お聞きしたかったけど 「大丈夫、少なくとも 200人は聞いてくれて盛り上がったからね」と 久田ボスからご報告を頂いて よかったあ と呟きました。
    ★沢山の方が 声をかけてくれました。「8月以降 行けなくて」と 涙ぐんでくれた人も。
    泊まり込みのボランティアをしてくれて 恭一氏に「きっと博士になります」と言ってくれた ハカセが 「工学博士になれます、約束を守れました!」と報告をしてくれた時、 恭一氏は「そっか、やったか、やってくれたか」と 博士論文を胸に抱いて しばらく目を閉じていました。
    で、会場で会えたのですが、 なんだろ 私のイメージは お顔は間違いないのに もっと細い…身体も腺も細いって感じで  「あ?間違いないよな?ハカセって・・・」と もごもごしてしまい、会えてすぐに 「やったね!」と 抱きつくはずが…。照れ臭そうな笑顔で 「ほら、ほら、やっぱり!ハカセだ!」とすぐに思えたのですが。 なんでだったんだろ。 目標を達成して 一皮むけて ちょっとイメージが変わったのかもしれません。 改めて おめでとう
    ★スタッフの皆さんもでしょうが けっこうハードなスケジュールで なんか一日  走り続けていたような気がします。 その分 密度の濃い 一日でした。  久田ボス 次は何を考えてくれるのかなと わくわくしています~~。
    帰りの飛行機の中で お弁当を戴きました。 震度 3 の地震があったそうで そのせいで 飛行機がかなり揺れ、 サービスのリンゴジュースが、紙コップから パシャン、パシャンと飛び出すほどで、でも誰も悲鳴を上げず、 典子さんは平気そうにお弁当を食べ続け、 飛行機は怖くて 実は大嫌い と言っていた美奈子さんも 平気そうにしゃべり続けていました。
    ★本当に お疲れ様でした。感動をありがとうございました。楽しかったです。

  59. 阿部邦子 より:

    匿名希望さん
    なんでだろう 送信が不可になって 少しでも早くお返事したいと思いつつ、8回目にようやく 送れました。 『コメントを送信』ってやると、文章が消えてしまうんです。
    実はこのコメントも 4回目のチャレンジです。
    東日本大震災で 私たちの一番の悔いは、「津波を甘く見ていた」 危機感が薄かったのは確かです。 全ての人が危機感をもって行動していれば 亡くなる人はもっとずっと少なかったはずです。 亡くなった方々を責めているのでは絶対にありません。 私自身 危機感はあまりありませんでした。まさかこんな大きな災害になるなんて。 夫の咄嗟の判断で助けられたと あとになって思えました。
    風化させないということは「私たちのこと忘れないで」ということと 「命をかけて体験した私たちから、きっと学んで いざというとき役立てて」と いう 二つの意味があります。
    匿名希望さん きっと 助かってくださいね 何があっても。 お父様の分も生きてください。
    お父様のご冥福 お祈りいたします。
    11日は 震災で亡くなった方への思いはもちろんですが、両親や 舅姑にも 「私、きっと、歩き続けるから安心してね」と 決意を報告しようと思っています。 そして「けど ちゃんと 見守っていてよね!」って。
    一緒に合掌しましょうね。

  60. 阿部邦子 より:

    ★災害が発生したら 身一つで とにかく早く 逃げてください。 それが一番助かる道です。
    普段から 家の周りやよく行く場所の周りを見ておき、「大きな地震が来たら?火事になったら?津波が来たら?」どこが一番安全かを見ておきましょう。
    ★私の体験から言えば、あれほどの被災でも、薬は案外早くに手に入りました。自衛隊の医師団や薬剤師、看護師、被災を免れた近隣の病院が、立ちあがってくれました。薬を取りに戻って亡くなられた方は多いです。薬はなんとかなります。 ただ 常備薬の名前は暗記しておいたほうがいいです。薬名さえわかれば すぐに手配してもらえますが、わからないと、症状を詳しく聞かれ、「とりあえず この薬で」ということになりますので。
    ★インシュリン・抗がん剤・酸素・透析の治療を受けておられる方にも、いち早く手は差し伸べられました。透析の場合、自衛隊のヘリコプターなどで、治療受入れ可能な病院に搬送。 酸素に関しても、提供している業者は 被災を想定して大事に保管しているカルテによって、最大級の努力をし、酸素を運び続けたと聞いています。  そういった治療が必要な方は 普段から 「もし災害が起きたら どう対応してくれるんですか?私はどう動けばいいんですか?」と確認しておいたほうが安心です。
    災害が起きたら 考えるのはあとにして とにかく早く 安全なところに逃げてください
    車は安心できません。渋滞に巻き込まれたら身動きがとれなくなるし、小回りが利きません。走っていれば 崖をよじ登ったり ベランダの手すりにしがみついたり けっこう助かる道はあるようです。 考えるのはあと! 災害が起きたら 慌てず 迅速に とにかく逃げてください

    • 今回は匿名で より:

      あれほどの未曾有の災害時に、医療関係の方々が素早く対応されたというのは、持病を持っておられるこの地方の方々には心強いお話だと思います。

      そして、被災者である邦子さんから災害に関するアドバイスをいただけるのは本当にありがたいです。被災された方からこのような話を聞ける機会はなかなか無いですし。

      薬の話はとても参考になりました。
      私のまわりにも薬を常用している人間がおりますので、薬の名前等を書いた紙を非常袋に入れておくように言っておきます。
      しかし、邦子さんのおっしゃるように「逃げる」を最優先に考えると非常袋さえ持てない可能性があるので、私も薬名を聞いて覚えておきます。

      今回の邦子さんのアドバイスを読んで、自分の生活圏を「もし大地震が起きたら」という目で一度見直す必要があると感じました。
      せっかく頂いた貴重なアドバイスなので、周りの人間にも伝えて、最大限活用させていただきます。

      コメントありがとうございました。

      • 阿部邦子 より:

        今回は匿名希望さんへ
        ごめんなさい とても大切なことなので 即刻お返事を と思ったのですが、なぜか送信不可になって 8回書き続けたものがすべて 送信できなくて。 また消えてしまうのかなあ と思っての文が やったあ 送れた ・・・なので ちょっと ぶっきらぼうな感のある文章になってしまいました。
        実は私は糖尿病でもあります。遺伝や不摂生ではなく、三度の癌を始め どれ一つをとっても死んでもおかしくない病気を何度もやって その強い薬の副作用かも?と ちらりと言ってくださった方がおられました。
        で、買い物中の被災で薬など持っておらず、もう 言葉には言いつくせぬ異常な日々で ストレスもあって 自衛隊の医師団が来てくれたときには、血糖値がとんでもなく高くなっていて「今すぐにでも入院が必要な状態」と言われました。 で、薬の名前など覚えていなかったので、「とりあえず」と たぶん 常備薬と同じような効き目のある薬を頂き、「一週間だけ(入院は)待って下さい」と言って、そのころよく支給されていた カップラーメンや菓子パンをあまり食べないようにして、薬はしっかり飲んで、一週間後 入院はしないで済むぐらいには 血糖値を落ち着かせることができました。 夫が センターに入所してくれている姑のことで心を痛め、また、「俺と結婚したばかりに、こんな海の近くに住むことになって、こんな目にあわせてしまって ごめん」 と言ってくれるような夫なので、自律神経が悪くなってしまって。 そういう夫を一人 避難所に置いて 入院なんかできませんでした。
        この震災で 本当に思えること、みんなが言うことは、「自分の命は自分で守ろう」
        自分は安全なところにいたのに おっとりとしている奥さんが家の二階に残って、窓から下を見て、逃げている人たちに 「ここまで津波なんか来ないわよ」と言っていたと聞いて 助けるために家に戻って 共に亡くなってしまったご夫婦。とても素敵な人たちだったので 残念で悔しくてなりません。 
        津波は 地形によっては 3キロ先まで到達します。 20数メートルの高さまで・・・。波なんて生易しいものではありません。有害なものをぎっしり含んだ まっ黒なコンクリートの壁です。 海側から来るとは限りません。渦を巻いて 右から左から前から すごい速さで押し寄せてきます。 個々 危機感を持って 自分の命は自分で守る  そう思うことがとても大切だと思います。
        風化しないということは、「私たちのこと 忘れないで」ということと 「命をかけての私たちの体験を忘れずに、私たちから学んで!」という意味もあります。 こんな目にあうのはもう 私たちだけで終わってほしい。 それがかなわないなら どうか 災害を最小限に食い止めてほしい!!
        もし、非常袋を用意なさるなら、枕元と車中に。 車で逃げないほうがよかったのに ということは多いですが、所在がはっきりしているところに置いておくほうが安心できます。 
        私が 欲しかったのは タオル、下着、スニーカー、乾パン、水、そして寒かったので 寝袋か毛布、そして 常備薬。 胃薬、消毒薬、カットバン、マスクもあればよかったな。この中で可能なものを 揃えていてほしいです。
        匿名希望さん  お父様のご冥福 お祈りいたします。 11日は 震災で亡くなった方へはもちろんですが、両親、舅姑たちへも、「私、ちゃんと歩いて行くから 安心してね。でもお願い、 見守っていてね」と 思いを届けようと思っています。  一緒に合掌しましょうね。
        ・・・これ 送信できるかなあ  

  61. 今回は匿名で より:

    私の父は肺の病気で、家に大型の酸素ボンベを置いて、
    そこから酸素を吸いながら生活をしていました。
    そんな父がある日「大地震でも起きたら避難さえできないな」と言いました。

    家に置いてある酸素ボンベは持ち出せるような重量のものではありません。
    携帯用のボンベに詰め替えることはできますが、父に必要な酸素量では
    数時間しか持ちません。
    避難せずに家にいたとしても、当時、数日おきに家に届けられていた
    酸素ボンベが災害時にちゃんと届くとも思えません。

    私はそれまで父がもし災害に遭ったときどうなるかを考えたことが
    ありませんでした。今、考えると、私は想像力に欠けていたと思います。
    何年も前から大地震がいつ起こってもおかしくないと言われている
    この愛知県に住んでいながら。。。

    きっと大災害時には救急車の到着も当てにならない。
    となると自分たちでどうにかして病院まで連れていくしかない。
    でも、本当にそんなことできるのだろうか。。。

    父はそんな大災害に遭うこともなく、その後、他界しました。

    東日本大震災でも震災で直接命を落とすことはなくても、
    持病により間接的に亡くなられた方は多くいらっしゃったのだろうと
    今回の連載を読んで改めて思いました。

    ただ、もし当時、愛知で震災が起きていたらどうすればよかったのか
    未だに答えは見つかっていません。

    • 阿部邦子 より:

      ★なぜかどうしても コメントが送れなくなりました。
      今までは 必須記入は 名前だけで良かったはずなのに いつのまにか メールアドレスも?
      で、匿名希望様にどうしてもコメントしたくて もう 7回 コメントを書いているのに 送れません。 テスト なんてのは 偶然なのか 二回 送れたのに。
      持病を持っている私はどうすればいいの? そういったことで 心配なさっておられる方は 多いと思います。 ですからいずれ 連載に書こうとは思っていますが どうしてもコメントしたくて 何度も努力しています。

  62. 秋田由美 より:

    邦子さんへ
    今回の連載、何だか今までのものとちょっぴり違ったスパイスが入っていた気がしました!
    ちょっぴりほっとするような、思わず微笑んでしまう素敵な文章!
    いろんな角度からのいろんな文章、またまた次が楽しみです。本当に十八成浜の人たちってみなさんステキ!震災という決して幸せではないことがきっかけで出会えたみなさんとの出会いですが、私たちを幸せにしてくれています。人として、何が大切なのか・・・改めて考えるきっかけを与えてもらった気がするのです。(すみません、失礼な言い方かもしれませんが、うまく言えない・・・でもそうなんです)
    この間のサタプロの邦子さんの講演も素晴らしかった!被災者としての邦子さんの素直な想いが私の心に突き刺さりました。邦子さんの言葉には力があるな~と思いました。

    • 阿部邦子 より:

      由美さま
      いつも優しいまなざし、ありがとうございます。

      ・・・・・実は昨夜、コメントを書いたのですが、消えてしまいました。
      想像すると怖くないですか?たまに、「邦にメール書いたんだけど、送信・・・ってしたのになぜか、そのメール 消えちゃった」と言われ、「え~?」と言うことがあったのですが、それってどこに行くんでしょうね? 削除・・・ならいいんですけど、誰か知らない人の所に行ったり、もしかして、空中を浮遊してたりなんかして?
      言葉のお墓があって そこに行っちゃってるのかなあ。
      言葉・・・・・。お墓には行かせたくないです。ちゃんと相手の方のもとに届く言葉を発したいし、受け止めたいです。

      連載をお読みいただき、コメントをいただくと、 一緒に連載を書いてくださっているような気持ちになります。 執筆ってたいていは真夜中だし、孤独な作業なのですが、読んでくださってる というまなざしを感じられると、 とても温かな柔らかなさわやかな ナニカ に包まれているような気がして、 「これ、書くの辛いな」と思えていたことも、書けます。

      そして、講演にもいらしてくださって、ありがとうございます。 お席の中央に華ちゃんのお顔を 発見!!!したときは、「お~!!」でした。 私は、演台で話すとき、みなさんのお顔を見ながら、 お一人お一人に語りかけるつもりで話すのですが、ややもすると 華ちゃんのほうに視線が行っていました。
      愛知ボランティアセンターで、その講演の時のことを、 まあ 愛知ボラセンの活動報告ではないのですが、卒業式や体調や所用でおいでいただけなかった方へ、ということで、その時の模様を、ブログに載せてくださるとのこと、 おいでくださった方からそちらに感想などいただけたら 嬉しいです。
      作家として、がん患者として、もう何十回も講演はしてきましたが、まさか自分が、被災者として演台に上がるなど、想像もしてなかった、その初めての講演ですので、 どうか、今後の励みをいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

  63. 渡辺友紀  より:

    「がれきに咲いた花」,被災者症候群を読ませていただきました。
    邦子さんの言葉を読む前には,私自身,少し気持ちを落ち着かせてから読むようにしています。
    そうしないと,ちゃんと読めないので・・・
    書いてくださって,ありがとうございます。
    簡単なものじゃないですね。ほんとうにほんとうに。
    被害に遭われた方々の気持ちは,やっぱり,被害に遭われた方にしかわからないなあって自分の無力感を感じています。でも,同じ日本に住むものとして,気持ちに寄り添いたいっていう気持ちはあるんです。
    邦子さんは,被災者全員がそうだとはおっしゃっていませんが,きっと,同じような気持ちの方はたくさんいるのではないかなあって思っています。
    どれだけの月日が必要なんでしょうか。もう、1年たちます。でも、あのときから、時がとまったままの方もまだまだいらっしゃるんでしょうね・・・
    何もできなくて,ほんとうにごめんなさい。
    2月18日の講演には行かせてもらいます。
    邦子さんに会うと、私は元気になります。

    • 阿部邦子 より:

      友紀さま
      コメントをありがとうございます。
      被災者症候群 実は一番書きにくい章でした。
      でも、テレビでも体験談でも 触れている人は 私の知っている限りではないんです。 これを書かなきゃ連載を書き続ける意味が半減する そう思っての決断でした。
      私は元気に見えるらしく 大きな病気をしても 「邦は絶対にこんなことじゃ負けない」と思われます。今回の震災でも 沢山の方が私の生死をとても心配してくれましたが、同時に 「邦は生きてる!生きてさえいればどんな場所ででも 精いっぱい輝いてくれている」 そう思っていたと 言ってくれました。
      …私だって辛いのに。私だって頭を抱えてうずくまりたいのに。私だって心の中は喪失感で占領されているのに。
      それでもやっぱり私は ちょっとは元気でいられてるのかも。ちょっとは頭をあげて歩き出そうと思えてるのかも。
      だったら どんなに書きにくくても 今の思いを書き続ける使命がある。
      今日は 2月11日。 震災後 丸11カ月が過ぎた日。 でもこの11カ月は とてもとても 長い時間と思えます。そして同時に 心の回復には、 まだ 短い時間です。
      何もできていないと思うのは やめてね。 気にかけてくださっただけで とても心がぬくもります。
      愛ボラの方々には、 「私には何ができるだろう」 と 思うことが ・・・実現できるかどうかはその次に考えるとして・・・とても大事と 教えていただきました。
      多くの人が 「邦子さんは私のお姉さん」と言ってくださるけど 本当に本当に 実年齢など 関係ない、 私にとっては皆さんがお姉さんであり お兄さんです。 久田ボスは そう、 私たちみんなの 長兄です。 いつも 多くのことを 教えてくれます。 (久世さんは 末弟~?)
      今度の講演、 聞いて下さるすべての方に 精いっぱいの心をこめて 話させていただきます。
      今 感動で 眼がうるんでいます。 優しさを ありがとう。 温もりを ありがとう。

  64. 秋田由美 より:

    華子の母です!
    今回もまたお世話になりました。いつも私たちを温かく迎え入れてくださり、
    本当にありがとうございます。
    演奏を聞いて涙が出るとおっしゃる方、全く泣けない、震災以降一度も涙がでないとおっしゃる方、いろいろな方、そして邦子さんの連載を読ませていただき、それぞれに震災の体験が違うんだな、と改めて感じました。
    どの方にとっても、私たちの想像をはるかに越えた体験であることに変わりはないのですが、ひと言では語れないという事。いや、とても想像することなんてできません。想像できると言ったら失礼ですよね。
    邦子さんとの出会い、恭一さんとの出会い、十八成浜の方々との出会いで本当に多くのことを学ばせていただいてます。とても皮肉な出会いかもしれませんが、今となっては私にとって、かけがえのない出会いです。こんな書き方しかできなくてごめんなさい。
    でも、本当なのです。学んだことのひとつは、「自分の思いをことばにすることの大切さ」です。
    事実だけではなく、その人の目を通してその事実を綴ること。邦子さんのことば、文章はいつも邦子さんの目を通して心を通って発せられているから伝わってくるのかな~と。
    大したことはできないのだけれど、それでも何だか気になってしまうのです。
    想いを寄せることしかできないのだけれど、勝手に思いを寄せさせていただこうと思っています。

    だから、この連載もとても楽しみにしています!そして、2/18の講演もすっごく楽しみです!
    気軽にお話を伺ういつもの憩の家での邦子さんとは違った”邦子さん”に出会えるかしら?!(笑)

    • 阿部邦子 より:

      由美さま
      こちらこそ いつも優しい笑顔をありがとうございます。
      被災地には あまりに多くの被災パターンがあり、 そして人間は 個々 感性が違う。
      だから私は とてもとても 「被災者代表として」など こっれっぽっちも言う気はないし 言うことなどできません。
      中にはいますけど・・・『私は被災者です。被災者と言うのは』と大衆に告げておられる方が。大事なものは実家にあって 家族のだれもがなんともなくて という人が。その自信はどこから来てるんだろうと 感心しています。
      ただ 十八成の救いは お子さんが亡くなっていないこと。 亡くなっておられたら 優輝が可愛い、華ちゃんがすてき・・・とは 言えませんもの。  言えて嬉しいです。

      18日は とにかく 何も 用意はしません。
      被災を語るとき、津波前の写真、津波到来後の写真、がれきの写真、がれきが片付いた写真  それらを用意する講師も多いでしょう。 レジメを用意するのはまあ 一般的でしょう。
      それらがあれば 話をまとめやすいし、 視野からも訴えることができるでしょう。
      でも私は敢えて 何も用意しないことに決めました。
      決して手抜きということではありません。 実は大変なプレッシャーです。
      でも ちんまりとまとめたものを訴える気にはどうしてもなれないんです。
      演台に上がった時 その時に一番訴えたいことを 話したいと思います。
      頭が真っ白になるかもしれないし、 脈絡のない話になるかもしれない。
      ただ、土曜日の朝夕に話したり、連載に書いたことを話したら、それこそが一番訴えたかったのだと受け止めていただきたく よろしくお願いします。
      時折 とても気落ちしたり 非常に落ち着かなくなる時があります。 私でさえそうなんだもん 仮設で独り暮らしをしている方は 愛ボラが来てくれてなかったら どうなっていたろうと 空恐ろしくなります。
      心に添うことしかできない とおっしゃいましたが それこそが私が一番望んでいることです。
      おいでになられて 一つきっと 何かを得ていただけたら 被災者冥利  ・・・??? です。
      とにかく 笑顔がほしい ぬくもりがほしい  それって 家族のためにも大事なことですよね。
      そして 職場で。学校で。地域で。 ・・・・・どうぞ 笑顔で。

      • 秋田由美 より:

        邦子さま

        笑顔って大切ですね。
        邦子さんのおっしゃる「顔晴れる」ような笑顔。
        ブータン国王の笑顔を思い出してしまいした。そして、愛知ボラセンに関わる人たちはみんな素敵な笑顔です。
        家族が、仲間が、地域のみんなが、そして十八成のみんなが笑顔になれますように・・・。
        また大切なことを教えていただきました!邦子さん、ありがとうございます!
        先日、大先輩の先生から「こどもたちが大丈夫って思えるように大きな心を持つことが大切」と教えてもらいました。こどもたちだけじゃなく、私たち大人もそうですよね。
        18日は、邦子さんがプレッシャーに押しつぶされないように、おこがましくも、陰ながら”大丈夫オーラ?!”送らせていただきますね。あ、こんなことで負けるような邦子さんじゃないですね・・・(笑)
        とにかく、生の声をひとりでも多くの人たちに聴いて欲しいので声をかけまくっています!

        • 阿部邦子 より:

          由美さま
          ありがとうございます。
          今 久世事務局長から連絡があって NHKラジオで 毎日 私の講演のことを 流してくれるそうです。  武者ぶるい
          聴衆が10人でも 300人でも 私は精いっぱい話すだけ  ですけど、 やはり 一人でも多くの方に 被災地の現状 被災者の思い  それを伝えたいので、 由美さんの 「周りの人に声を掛けまくっています」とのお言葉に  深くこうべを垂れて感謝しています。
          このところ どうしてか 心身ともに不調だったので  冬眠したくなっていたけど~~
          私の分 久世さんががんばってくれてるんで 私もぐだぐだしてないで シャンと頭をあげなきゃね  頭をあげて 背筋を伸ばして 微笑んで 演台に上がれるよう  邦子 ファイト

  65. いわさまみ より:

    邦子様、2日前から東京都民になりました。そして、ここ東京から邦子さんの連載を読ませていただきました。数日前から、4年以内に首都直下型の地震が70%以上の確率で起こりうるとの報道を耳にし、テレビで震災の画像とともに見聞きす事何度も。そのたびに、ここ東京で今、自分が被災したらどうなるんだろう?何が出来るのだろう?その前に生きているのか?など、様々な思いが頭を過ります。冷静で居られるのだろうか?愛猫を守れるのだろうか?この連載を読ませていただく目線も少し変わった気がします。名古屋なら、頼れる人びとが居る安心感や慣れ親しんだ町なので、どう動けばいいかイメージが出来ていた。でもここは、まだ、右も左もわからない土地。ハザードマップを一番に手に取りましたが、どこがどこだか??

    今回の連載だけじゃなく、1から再度読み返してみます。普段から備えるのは物だけじゃダメですもんね。心の準備もしておかなきゃ。取り越し苦労で疲れない程度に。

    次回の連載も楽しみにしております。ありがとうございます。

    • 阿部邦子 より:

      まみさま
      都民になられましたか!
      東京ってパワーがありますよね。 地方民には『苦手』と言う人も多いですが、私は、出版社や講演に行くたびに、『負けないぞ』と思ったものでした。
      閑話休題
      経験は力 だと思います。 こちらで亡くなられた方の情報では 何かを取りに家に戻った という人が多いです。 そういう経験を知ることこそが、次災害のとき 自分を守る糧になると思います。  私の場合は夫の咄嗟の判断に依ることが大きかったです。
      とにかく慌てないこと。 そして 災害を 過小評価しないこと。
      ただ 人口が多すぎると 逃げるにしても 車は無理かと思われます。 地下鉄も無理。 となると 自分の足で となるので、 時間を作って 家の周りや職場の周りを歩いて調べておくべきです。
      こちらは 地震被害よりも 何といっても津波被害でしたので、 逃げる時間はあったし、自然が多いので、高台も周りに結構ありました。 東京では 津波が来たらとんでもないことになるでしょうね。 そして地震も 突然のことだし 高いビルの上も怖いし 火事も怖いし。
      神戸の経験が お役に立つのではないでしょうか。
      今は どこかに行くたびに 『ねえ、今津波が来たら どこに逃げられる?』と 夫と話すようになりました。「う~~ん、ここで津波が来たら 高いところはないし 波をさえぎるものもまるでなくなっているから まず 終わりだな」と夫。 そう言いつつ 「あ、あのスーパーの駐車場の二階だ」と思えるところは 案外あるものです。
      やはり そう思えるところが自分の周りには何か所あるか それを常日頃から考えておくことが 一番大切と思えます。
      警察隊や自衛隊、医師団は、今度のことでかなり経験を積みましたから 水や食料、常備薬、通帳、着替えなどのことは、二の次にすべきです。とにかく安全と思えるところに逃げる。  愛猫ちゃんのことに関しては、 聞いた話ですが、箪笥の引出しの中にもぐりこんで大丈夫だったとの話が。 まあ これは 水被害において、であって、火事の場合はごめんなさい、情報が入りましたらお知らせします。
      被災地では 『人の命はそれぞれ』と もう そう思うしかないよねと。言葉を変えれば 自分の命は自分で守れ ということなのかなあ。…家族を失った人は そう思わなきゃ 自分を追い詰めるのだろうなあと。 本当に 被災地って 想像していた以上に 辛いところです。
      ほかの地域に こんなバカな出来事がないようにと 心の底から祈っています。 こんな思いをするのはもう 私たちで終わりにしてほしい

      • いわさまみ より:

        邦子様 ありがとうございます。
        本日早速、所要のついでに、通った事のない道、場所を選んで歩いてみました。日々の積み重ねが大切ですよね。何も起こらない事が一番望ましいのですが、起こったときの最悪も考えて生きる。邦子さんや被災された方々の言葉や経験を教えにして。

        今年は平年より寒く、雪も多い模様です。仮設での生活はご苦労も多いかと思います。そんな時は愛ボラに何でもおっしゃってくださいね。きっとバラエティに富んだメンバーが魔法のように色々な技で解決してくれるはず??です!ちょっと離れた場所に居てもここの皆が居る事が私の支えになっています。もうすぐ、うちの表札 愛知ボランティアセンター関東支部 が届くと聞いています。形になるまでには時間がかかるかもしれませんが、お役にたてるようにアンテナはって都民生活を楽しみます。

        何かお手伝い出来る事があれば関東支部にもご用命お待ちしております。

        • 阿部邦子 より:

          まみさま
          転ばぬ先の杖  災いは忘れたころにやってくる 言い伝えられている言葉は 深いですよね。 宮城県沖大地震が来ると言われて久しく、でも危機感はそうはなかったように思えます。意識はしてても、他人事のような。
          その原因は 例えば チリ津波のときの経験が 語りつながれてなかったということも 大きいと思います。 映像を残し、写真を残し、語れる人は語り継ぎ、書ける人は書き続け、訴え続けていく。 ですが それをみんなが受け止め、考え続けなければダメなんです。 数年後 「え~、今更何で 東日本大震災の特集なんてやるの~~」  それこそが 風化なんだと思います。 
          今日 テレビで 被災地に出向いてくれたボランティアのことを、やっていました。 昨年 5~6月は 7万人。 そして昨年暮れには、 7千人だそうです。
          やはり、がれき撤去こそが(だけが)ボランティア そう思っている風潮があるのです。
          でも、がれきは私たちにとっては 決して ただのゴミ ではありません。 生きてきた証。生活してきたものの 亡骸なのです。
          それがなくなったということは  これから新たに 積み重ねていかなければならない その積み重ねていくことが、被災者にとっては とても切実で重いことなんです。
          それを、愛知ボランティアは理解してくれました。 その時々の、私たちのニーズに添ってくれようと、してくれている。 先日21日のくぐなり食堂に、ご自分も仮設に入りながらも ボランティアをなさっておられる女性を、一級建築士の後藤ご夫妻が連れてきてくれました。 私は食堂の全体を見ていて、個人的に話す機会はなかったのですが、その方が お弁当を召し上がりながら、「こういうのって、被災者とボランティアの理想の形ですよね」と仰ってくれた言葉はまっすぐに、こちらの心に届きました。 しかし、そうあるためには、 愛ボラと私たちの間に、半年以上かけて築いた信頼が 絆がある。 その絆はどうやって結べたのか、 そこまで知ってくれればと思いました。 そこまで話せる時間がなかったのは 今となっては残念です。
          愛知ボランティアセンター関東支部ですか! 愛ボラのすごいところはそこですよね! 愛知を離れても 切れるなんて考えていない。  
          私も 仮設住宅を出る時が来て 「もう、くぐなり食堂は閉店」 というときが来ても、 愛ボラと 『切れた』とは思わずに済むように、 これからもっともっともっと 愛ボラの皆さんとの絆を 太く太く太く して、 『愛知ボランティアセンター 宮城支部』の看板を 久田ボスから 賜れたら嬉しいです。 いや、 そうあれるように努めますので これからも よろしくお願いします   年に一度でも 『支部長集会』 ぜひ やりましょう  えい・えい・おー

  66. 渡辺友紀  より:

    お久しぶりです。
    京都で小学校の教師してます。渡辺です。
    久しぶりに、コメントさせていただき、緊張しています。
    どこまで、邦子さんの思いが、私にわかっているのか、正直自信がありません。
    でも、本当に感謝しています。
    3・11以来の、心の内をこうやって言葉にしてくださること。
    また、この記事を、多くの人、できれば、私のように実際に地震の被害に遭っていない人に読んでもらいたいと思いました。
    邦子さんだからこそ、伝わるものがあると思いました。
    悲惨な状況の中、畑にできたひび割れを、美しいと感じてしまう邦子さん。
    言葉足らずで申し訳ないですが、すごいな、素敵だなって思いました。
    邦子さんの、この連載、学校でも紹介させてください。
    実際に被害に遭われた方の思いを、伝えたいです。
    写真だけでは伝わらないことが、伝わってきます。
    春芸文集から出ている、子どもたちが書いた作文を読みました。
    子どもの、つたない言葉からも、たくさんの思いが伝わりました。
    でも、やっぱり、邦子さんのようなプロの方の文章はとても読みやすく、わかります。
    あと、邦子さんは有名人なんだと、改めてわかりました。東松島にいる、中学校の体育の先生に聞いたところ、「阿部邦子さん、知ってるよ。向こうは(邦子さん)は、自分のこと知らないと思うけど。」って言ってました。会うといつも、とっても気さくに話してくださるから。
    また、十八成浜へ行きます!
    邦子さんが、震災直後からのことをこうやって綴ってくださること、それを、みんながみられるようにと、
    アップしてくださる愛知ボラセンさん。
    とても感謝しています。

    • 阿部邦子 より:

      友紀さま
      コメントをありがとうございます。
      今夜はとても静かで いろんな思いが この小さな?胸に湧いてきて ちょっと重く感じていました。 そんな時 愛ボラのホームページを何気なく開いたら わあ! 一気に元気になれました。
      この連載で、とても嬉しいことが多々あります。例えば・・・ これ ご本人にはお断りしていませんが 大丈夫と信じられるんで・・・・・21日、ボランティアで来て下さった さわやかで初々しい大学生が 恭一氏を通して『邦子さんと話したい』と。  
      時間をとって、お会いしました。  『恭一・邦子のお城』にて。
      とにかく狭く、何より 収納場所がないので、原稿や 読みたい本などなどを こたつの周りに積んでいるんで、座るところを何とか作ってお話ししました。 詳しい内容は割愛しますが、連載の、ある記事を読んでくれて、どうしても、もっといろいろ知りたくなってと。
      私はそういう人に 心底感謝です。 知りたいことを きちんと知ろうとする。 けっこう、中途半端に知った気分になってしまう人、多いんですよね。 たいていのことは 「まあ・・・、それもあり、かな、はは・は・・・」 と言えるんですけど、 私は、 がん闘病患者関連と 被災者関連のことは、 できるだけ 自分の目と耳と心で、 きちんと知ろうと努めてほしいと思います。 わざわざ会いに来て下さることは異例としても、被災者の書いたものを読むとか、こういうコメントを利用するとか。
      でないと、傷つく人が多いんです。
      ですから思いきって、『被災者症候群』も書こうと 決意しました。 被災者の全員が、 ではないだろうけど、多くの人に共通する、こういう思いを知ってほしい。 話さなければ伝わらないことって 多いですよね。 だから誰かが言わなければならない。 それをやろうと思ったのです。 
      ちょっと怖かったですけどね。 短絡的に読まれてしまったら 書いたことがすべて マイナスになってしまいますから。 上・中・下 にしましたので、 下 までお読みになられてから また コメントをいただけたら 本当に嬉しいし 被災者とは?を知りたい方には 少しは学んでいただけると思います。
      がれきがなくなってきた今、行政は 復興・復興とだけ 言い始めています。 お店ができれば、 復興? 家も仕事もなくなった人も多いのが被災地ですから、『お店を開けるだけ、幸せだよ』 と しらけている人も確実に存在しています。 私もそう感じるときがある。
      今の気持ち・・・・・被災者特有の気持ちから卒業できて初めて 私はその時こそ 自分の復興と思っています。
      これからもどうぞ 新しい風をこの地に下さい。 笑顔をください。 そして 今の私には 連載へのコメントが 一番のパワーです。
      新聞社の社長が 出版 と言ってくれてますので、 その時はよろしく ❤
      2月18日 名古屋に 講演に参りますので その時もよろしく ❤
      そういうことを考えていると 自分が 仮設住宅に住んでいること そして 数年後どうすればいいんだろう そういうことさえ 忘れられます。
      人間 どんなことでもいい 好きなこと やりたいことを持っていれば それが自分を 救ってくれるということなのかもしれません。

      • 渡辺友紀  より:

        邦子さん、すぐにお返事ありがとうございます。
        遠く離れていますが、つながってるんだなあって、うれしくなってしまいました!
        また、ここに書かせてもらいます。
        いつも、読んでいます。
        なんだか、心細くなったとき、なぜだか、邦子さんや恭一さんを思い出します。
        一緒に活動した仲間のことも。

        2月の講演には、私も参加しようと思っています。
        また、会えることを楽しみにしています!!

        • 阿部邦子 より:

          友紀さま
          寝る前に 愛ボラのホームページを開く癖がついています。被災者とボランティアという感じではなくなっています。その境は私の中では消えています。 ですが ありがとう という気持ちはしっかりと心にあります。 おいでになれなくても いつか行きたい と思ってくれる方にありがとう。 名古屋で愛ボラの活動を支えてくださっている方にありがとう。ボランティアに行く と言ったとき 理解してくださっているご家族の方にありがとう。 そもそも 愛ボラを立ち上げてくださった山田涼子さん&久田ボスにありがとう。私が「こらこら」とダメ出しをしても 懲りずに笑顔でいてくれる久世さんにありがとう。実際にいらして下さる皆さんにありがとう。  今 十八成ではがれきはなくなり 恭一氏が住民の意見を聞いて していただく仕事をまとめています。 リピーターの方からは 『もはやがれき撤去班ではなく、チーム恭一と命名すべき』と嬉しいことを言っていただいています。 ですがそのうち その仕事もなくなる日が来るでしょう。 そうなれば 十八成を基点にしつつも もっと違う地域へも目を向けるべき時が来るかもしれません。 それを私は寂しいと思っていました。  でも 寂しがる必要はないんですよね。結びあえた絆を信じてさえいれば たとえ今までのような形ではなくても 互いの胸には残りあえるということですものね。  週に一度が月に一度となり 半年に一度 年に一度となる日が きっとくる。  その時は 『十八成のその後ツアー』ということで、講演でもなんでもしますよ。 質疑応答でも。 
          よく、最初に会ったときと今とでは 邦子さんの表情が明らかに違ってる  と言われますけど え~~ 単に年取ったねえ ってことじゃないの~~(苦笑)
          2月18日 実は冒険をしようと思っています。 今まで 作家として そして 癌患者として 何十回と講演をしてきましたが、 その日はなんと メモもレジメもなく ぶっつけ本番でやる覚悟です。決して手抜きということではなく その時の本心を語りつくそうと。
          頭が真っ白になる懸念はありますが、まあ そうなるかどうかまで 楽しみに♪♪

  67. 秋田由美 より:

    華子の母です!
    いつも温かく受け入れてくださってありがとうございます。
    邦子さんの連載、一気に読ませていただきました。やっと・・・
    あの日のこと、その後の壮絶な日々のことを、今綴っていらっしゃることに深い意味があるように感じました。
    3・11のあの震災からもう随分日が過ぎたと思っている人も現実多くいると思うからです。
    でも、決して忘れてはならない。
    そして、私には知らないことが山ほどあるということをあらためて痛感しました。
    ただ漠然とマスメディアを通して受け取る情報ではなく、顔の見える人から得る情報には訴える力があります。
    幸せにも邦子さんと出会えたので、私は邦子さんが発信してくださることを伝えていく義務があるように思いました。
    情報社会のこの世の中、闇雲に情報を得て自分勝手に解釈するのではなく、自分で情報源を選択してそれを正確に伝えることも大切かなと・・・。
    あ、それから童話も今度読んでみようと思います!

    • 阿部邦子 より:

      由美さま
      とても静かな夜で あまり静かだと 私はもう死んでいて、ここは海の底?と ふと 思うときがあります。  別に 縁起が悪いとか そういうことではなく  そう思えたときって 童話を書きたくなります。
      仮設住宅に移って、何だか知らないけど まだまだ 相変わらず忙しいから なおのこと 静かな夜は 自分の世界に入りやすいのかもしれません。
      華ちゃんの演奏には、それに通じるものがあります。 お子さんだから、こその 透明感 かもしれませんが、  なんか 華ちゃん  = 小さな子  =  素敵な演奏
      私にはそうは思えなくて。  年齢ではないよなあ  秋田華子  だからだよなあ。
      小さな子だから、 だったら 華ちゃんが高校生になったら? 感動できないって?
      そうではないと思いませんか
      私はそもそも 年齢では相手を見ることができないんです。
      三才の子にも、 ごめんなさいは言えますし。
      年下の男性でも、 『お兄ちゃんみたい~』とか。
      だから 童話が書けるのかもしれません。
      いつか 被災の童話を書く時が来るかもしれません。
      戦争童話 蛍の墓 のように。
      でも困ったことに私は、悲しい終わり方って どうしてもできない。
      どんな時でも 『救い』を描きたいんです。
      たとえテーマが『死』でも、 邦子さんの作品には 不思議と 重さも暗さもないですね  それが 一番多い 私への評価です。
      被災の童話を書けたとき。 それが私の 真の復興 なのかも しれません。
      私が書くことに  つまりは 時々自分だけの世界に入る私を理解し、 見守ってくれている恭一氏に この場を借りて ありがとう。 …本人は絶対にこれ 読みませんけどね。

  68. 二山悦子 より:

    先日、「うみべの小さなおきゃくさま」を読ませていただきました。

    きっと十八成で邦子さんに出会っていなかったらこの本に出会うことはなかったと思いますが、邦子さんに会って、どんな童話を書かれるのか読んでみたいと思い、探して読ませていただきました。

    子どもがいるのでこれまでに多くの絵本や子供向けの本を読んできましたが、この本は初めて読むタイプのお話でした。読んでいて思わず微笑んでしまうようなお話で、何だか心がほっとしました。個人的には、カワハギの(ような)子どもの話とタコの(ような)子どもたちの話が好きです。

    先週末に十八成を訪れたものの、嵐のため穏やかな海は見られませんでしたが、以前に見た穏やかな海なら、本当にカメ(?)の女の子がふらっと歩いていてもおかしくない場所だと感じました。

    また、現在は残念ながら本の中のイラストのような家が立ち並ぶ海岸線は見られませんが、今回、憩いの家にかけてある昔の十八成浜の写真を見たときに、イラストのイメージと重なりました。

    他の童話(特に新聞の連載記事の中で書かれていた受賞作「長い爪の嫌いなジョイ」)も読んでみたいですが、今のところ見つけられていません。。。

    愛知ボラセンのおかげで、邦子さんにもこの本にも出会えて、本当に良かったです。自分にとってとても大きくプラスになったと思います。

    今は震災の記録を残すのが最優先だと思いますが、勝手ながらいつの日かまた邦子さんの新作童話を読ませていただきたいと1ファン(俄ファンですが)としては思います。

    • 阿部邦子 より:

      悦子さま
      うみべ・・・を読んでくださったとのこと ありがとうございます
      以前は その本を胸に抱えて たくさんの子供たちが 旧牡鹿町を 訪ねてくれました。
      小説やエッセイも けっこう手掛けていますが 基本 やっぱり私は 童話作家なんだなあと 思うときがあります。
      新聞に初めて連載したのも 『おれは海の子』という 児童文学でした。 
      ご存知でしょうか  『王様シリーズ』で有名な 寺村輝夫氏。 ウチに遊びに来てくださって 「この海は生きているなあ 邦は 海を書いていけるなあ』と言ってくださり 板前として一流の腕を持つ夫も 「板前は 同じ玉ねぎの材料を使って その玉ねぎの持ち味を失わず いかに多くの料理が作れるかどうかが 勝負なんだよ」 と言ってくれて 私は 海 という 最高の材料に恵まれている さあ どんな料理を作ろうか と わくわくしていました。
      海が突然 怒り そういう顔を見てしまって 今はまだ 茫然としている状態ですが きっとまた 海を 調理してやろうと おかげさまで 気持ちが一歩 踏み出せました。
      まずは 新聞社から 『この連載を書けるのは 阿部邦子だけ』と言われて 引き受けた連載を 書き終えることを第一に とにかく歩き続けます。
      また 海がほほ笑み 海沿いに色が戻り 子供の笑い声のある町にしたいと 思っています。  その時はぜひ お子さんと一緒に いらしてくださいね

      • 二山悦子 より:

        コメントありがとうござました。

        『王様シリーズ』!『あいうえおうさま』は子どもはもちろん、私自身も子どものころに読んだ絵本です。少し前に子どもが読んでいるのを見て、懐かしくなって改めてまた読みました。

        「うみべの小さなおきゃくさま」も私が大人になってからではありますが親子で読むことになりました。二年生の娘はカニの女の子が気に入ったようで、イラストにあった片手に櫛を持ったポーズを真似しています。

        親も子どもも一緒になって楽しんで読めるというのは童話ならではの良さですね。

        いつか、是非子どもと一緒に十八成を訪れて十八成の生きている海を見せたいと思います。次に十八成に帰る際には、バスから外を見てちゃんと道順を覚えておきます(笑)

        • 阿部邦子 より:

          ありがとうございます
          残念ながら 寺村先生は なくなってしまいましたが 作家仲間が いまだに 『先生 邦ちゃんのこと すっごく面白がって すっごく可愛がっていたよね」って 言ってくrてます
          それと うみべ・・・も いまだに 『昔読んで大好きで 大人になってまた どうしても読みたくなって 家中探しまわって 見つけた時は泣いてしまいました」 って お手紙を 頂きます  国会図書館に招待されて 大事に保管されているのを見たときは 嬉しかったです
          本当に 童話は ロングランが 多いですね  星の王子様 のように  子供のころに読んだ感想と 大人になってからの感想が まるっきり違う ってこともありますし
          奥が深いです
          少しずつ けど確実に 歩き続けます  ありがとうございました

  69. 久留宮 健司 より:

    お晩です。邦子さん。先日もお世話になりました。
    くぐなり食堂のお魚はじめ、今回もおいしかったと言ってもらえてこちらも嬉しくなりました。たまねぎ切るとき涙目になりながら、したことが、嬉し涙になりました。
    はじめ、十八成浜へ自分が行くことになったときは、少しでも力になりたいと言う気持ちの元、行ってましたが、最近は、逆に行ってる自分も何かと励まされていることに気づき、何か逆になっちゃったかの様な錯覚に陥ります。
    愛知ボラセン自体が、大きな家族みたいなもの、それに十八成浜の皆さんも、家族のように接してくれる。本当にまた十八成に帰省したくなる自分がいます。

    また、生きたボランティアを実感したという感じです。

    今度来年に講演するって言っていましたが、ぜひ行ってみたいと思っています。
    邦子さんの言葉には、重みがあります。今回は、天候不順のため、外作業はありませんでしたが、今回のスピーチにも、障害はある、その障害を自分でどのように考えて行動するのか。。何気ない一言。。
    いろんな思い、考えが交錯しました。

    また、早ければクリスマスに十八成に帰れればと思っています。
    あと、連載記事、楽しみにしています。

    • 阿部邦子 より:

      久留宮健司さま
      コメントをありがとうございます。 そうですか。玉ねぎを切るとき 涙目でしたか。 程よい塩加減が おいしいとは思いましたが  あれ?
      先週の『ヒジキ』のときは 「おー!この地域で ヒジキを出すって 勇気あるなあ」と思いました。なぜってここでは、各家で磯からヒジキをとって来て それを煮て乾かして、各家々の味付けで食べる、 ってところなんで。もし、それを言っていたら、すごいプレッシャーで、別メニューになっていたかも ですね! 
      食べるとき、なんかドキドキで、周りをそっと 見ていました。そうしたら ヒジキ煮のつわものの方々が カンショクシテくれたので、 すごくうれしくなりました。
      そして今回はお魚の煮つけ! 調理器具が違って、火加減もご自宅のものとは違うでしょうから、そういった中での魚の煮つけって 三十年以上 『民宿のお姉さん』をしてきた私には、人一倍、その難しさがわかります。 きっちりと火が通って、煮汁もしみ込んでいて、そしてふっくらと煮えていて、 おいしかったです!
      実は私、特に殿方には家庭料理に慣れ親しんでほしいとずうっと思ってきていました。
      我が父親は、スーパーマンのような人でした。
      14歳で父親を殉職にて亡くし、5人の弟・妹の父親役として、旧国鉄に勤務しながらも、スキー・ゴルフ・ボーリング・自転車・バイク・水泳・乗馬・野球・水泳 他  スポーツ万能で、卓球は監督の資格まで持ち、日曜大工はお手の物で、物置など、鼻歌交じりで建てるほど。バイクだって分解して修理しちゃう。 
      ただ、 お料理だけには縁がなかったのです。 ですから 母親が脳腫瘍で左手足に麻痺が出てからは、二人で外食中心の日々となり、母親が旅立ってらは、食べる意欲さえ、失って、八か月後に、母の後を追いました。
      もし父が、料理の楽しさを知っていたら、もっと元気でいられたと、悔やまれてなりません。
      いざというときのために、自分のために、男性諸君、包丁を握りましょう!
      ところで 久留宮さんって 漠然と 胡桃屋さん だと思っていました。 素敵なお名前ですね。 あ 御本人も お名前に負けじと 素敵ですよ!
      連載 お読みくださって ありがとうございます。
      地元の新聞には 6回かな 児童文学と小説を連載しているので、 私の自慢は 字数ぴったりに 書きあげること! 新聞社の総局長が 『邦子さん、ちょっとぐらい 多くても なんとでもできますから」って 呆れて?いや感心して! 言ってくれるのですけど これは譲れません。
      文章もですけど実は 同じぐらいに大変なのが、文章に適合する写真を選ぶこと。 けど文も画もって、まさに くにこ・わーるど を 徹底してくださっているので 作家冥利につきます。
      クリスマス しばらく 童心に返っていないので サンタクロース姿での出現 楽しみにしています (笑)

  70. 石川 より:

    「ただ 理解はほしいのです。
    言葉じゃなくていい 黙ってうなずいてくれるだけでいい。」

    はい。
    でも、目の前にいないと、黙っていては伝わらないので・・・こうしてまた書いています。

    理解したい。だから、また、いろいろと綴ってくださいね。
    コメントを書かなくても、この気持ちは変わりませんから。

    • 阿部邦子 より:

      あはははは!確かに。
      目の前にいてくださるお方にしか 『言葉はいらない ただ 頷いてくれるだけでいい』は 通じませんね。
      でもなんか 石川さんは そういったこと…こちらの申し上げたいこと・・・を すべて受け止めてくださった上で、お分かりの上で おっしゃってくださっている気がします。
      この頃 …・・・きっとこれは 連載に書きますが・・・ 避難所生活って 入院生活に通じるものがあると 気づきました。 どういうことかは 連載にて。 お楽しみに~~♪♪

  71. いわさまみ より:

    邦子さんの連載いつも楽しみに読ませて頂いております。最後の十八成に帰れたのはまだ、暑い頃だったでしょうか?随分と時間が経ってしまったように思います。私も4年前に初期の子宮頸がんがわかり、始めは、無知で随分とショックを受けましたが、色々知っていくうちになーんだ風邪ひいたぐらいなもんか、人生のネタが増えてラッキーって思えるようになりました。癌のお蔭で、色んな事がわかり、ついでに、別の病気も発覚!お蔭で自分の時間が持てて、愛知ボラセンや邦子さんや恭一さんや皆さんと出会う事ができました。だから、今の病気にも感謝!十八成に帰りたくてしょうがないのですが、今は名古屋で出来る事と、母の世話を楽しんでやっていきます。でも、2月と3月にはお会いできますもんね!ボラバスが出発しなくなっても必ずまた十八成に押掛けます。その際は、よろしくお願いいたします!!(こんなコメントしか出来なくてすみませんm(__)m)

    • まみさま 阿部邦子 より:

      コメントありがとうございます。
      そうでしたか。子宮けいがんでしたか。
      私は 子宮けいがん、乳がん、乳がん・・・と、まことにもって忙しいです。他にも、子宮外妊娠、敗血症などなどで、8回 全身麻酔を経験しています。えっへん!・・・威張ってどうする!
      久田ボスもおっしゃっていましたが、大きな災害や大変な目にあったときに、何て言えばいいんだろう、…グン!と成長できるタイプの人って 確かに存在するらしいです。私の主治医も、「震災前は、落ち込んでいた方が、震災後、なぜか前向きになられることって、結構多い」と言ってらした。
      同じ体験をしても、 もうだめ と思う人がいる傍ら こんなんで負けたくない と思える人もいる。
      人間って 深いですね
      とにかく!どんなことでも!体験はきっと自分のためになります。 そう思えるにはどうすれば?と、常に考える久世・・・じゃなかった、『癖』をつけておくのも 大事なのかもしれませんね。
      今は震災後 もしかして一番  精神的に追い詰められています。 避難所生活のときは、その日を過ごすだけで精いっぱいでしたので、 今ほどには 「これからどうすればいいんだろう?」まで思うだけの余裕はありませんでしたから。 他の人はわかりませんが 私に限って言えば、 今 一番 切羽詰まったような気持ちです。
      ですからもしかして 今こそが ボランティアさんの存在が、在りようが、問われるときなのかもしれません。
      こうして コメントを書いて下さると 実際にはなかなかおいでになれなくても 私にとっては 『お帰り」と 両手を広げて お迎えできた気持ちになれています。
      ありがとう! 2月・3月 どうか お声をかけてください!  見かけより 寂しがり屋の 阿部邦子でした~~。 ・・・注 私より 恭一氏のほうが 寂しがりやかも??

      • いわさまみ より:

        邦子さんからのコメント、何度も読み返してしまいました。だって、すごーく嬉しくて。
        以前、十八成に帰った際、恭一さんとは、たばこ仲間させてもらいましたよ。シャイで可愛い素敵な旦那様ですね!!
        こちらに来られた際は必ず声をかけさせていただきます。大きな愛をありがとうございます!

        • 阿部邦子 より:

          ・・・なんか メル友みたいで 楽しいです。 恭一氏とは 『モク友』ですか! 今はどこでも 肩身が狭いようなので これからもどうかよろしくです。  なんでもいい 『通じる部分がある』って、とても大切だなあと思います。 私は 麻雀もパチンコも 時たましますが そういうことをするというだけで 人格まで否定する視点は 確実に存在します。 私はお酒を飲みませんが 暑い日にビールのCМを見ると 「お~、お酒を飲めなくて残念だなあ」と思います。 実は!!そういう考え方のできる人こそ、 どんなことがあっても立ち直れるそうです!!

  72. 石川様 阿部邦子 より:

    こんばんわ (宮城県では 「お晩です」って言います)
    コメントを 本当にありがとうございます。
    やはりまだまだ 『ボランティア』 イコール 『がれき撤去』 と思っている方が 愛知ボラセン・・・ではわかりませんが ボランティアの方には多いようです。
    今回愛知ボラセンの方々と話す機会があって 「・・・あ。そうかも」と思えたことがありました。 あくまでも 「そういうこともあるかも」であって 決して 多くの方にあてはまることではありません。
    なぜ がれき撤去に人気があるのか。  ・・・ボランティアに参加なさる方の中には 現実が重くなっておられる方も多いです。 将来が見えない。人間関係がうまくいかない。なんらかの理由で自信を失った。などなど。
    そういう視点から言えば がれき撤去は 仕事のはかどり方が目に見えるので手ごたえが感じられる・・・と同じ比重で 『人に接する必要がない』  これも人気のある理由ではないか?・・・と 数人の方々と 「・・・そうかも、ね?」と 頷きあったのでした。
    被災 8か月が過ぎてなお、 夢中で撤去しなければならないほどのがれきに囲まれていたら 私たちは 絶望に囲まれていると一緒なんです。
    「え~?なんか思っていたのと違う~~もっと大変なことになっていると思った~なんか気が抜ける~~」と 実は 映像でこちらの状態を見たという方がいらしての 第一声です。 私は何も言えずに、 本当に何も言えずに その人の前から離れました。
    がれきがなくなったら そこは復興した  そう思っておられる方が やはりおられるんですね。 復興って何?仮設に入ったら復興??
    違う  と私は思います。 実は今 『十八成のこれから』という話し合いが行われているのですが、 みんなで意見を出し合って よりよい方向に ・・・と言われながら 実は  行政の言う、『地区のみんながまとまって 高台移転に』 の方向に持っていこうとされている、つまり私たちには 選択肢がないし、それも 考える時間の余裕も与えられていない・・・それが実情なんです。 微々たる義捐金を与えられ でもそのお金で 新たに土地を購入して家を建てるか、 ままごとのような仮設住宅と似た作りの 市営住宅に住むか。
    それも あと何年か何十年か 住み続ける 『終の棲家』なんです。
    そんな簡単に決めたくない。そして。いくつもの選択肢の中から自分で「こうしたい」と決めたい。
    そういう私たちには 『忘れられる』のが一番寂しく 一番怖い。 なぜ こういう目に合わなくちゃいけないの? …その返事がほしいんです。 で、愛ボラの方々がいらしてくれるたびに 私は 「この体験を 何かの役に立ててほしい」と 改めて思えています。 そして そう思うことで 自分は生きていて良かったんだよ、ね? そう思うこともできるのです。
    何度も言っていますが、 避難所にいたときには 『次は仮設に入れる』という もうひとつのステップがありました。
    でも 仮設に移ってしまったら もう あとはないのです。
    私は自分を 「かわいそう」 とは思っていません。 私は 大変な目にはあったけど 決してかわいそうな人ではない。 同情はいらない。
    ただ 理解はほしいのです。
    言葉じゃなくていい 黙ってうなずいてくれるだけでいい。
    石川さん これから私(たち) どうすればいいんだろう? これから私(たち) どうなるんだろう?
    …がれきはなくても まだまだ 応援は必要なんです。 応援ってなに? みなさんがお顔を見せてくださること。
    恭一氏が挨拶の中で 『ボランティアに来よう、と思ってくれただけで、 みなさんはもう ボランティアの90パーセントを達成してくれています』 との言葉は、 まさに そのことを言っているのだと 受け止めていただけたら 嬉しいです。  波にさらわれていく 家や自動車の映像を見て 泣いて下さる方は多いけど 私たちは 家と一緒に 心も流されている。 その 心を そして 未来を 照らして下さるのは みなさんの 「ただいま」という言葉。 そして笑顔。
    ・・・あ。重くは感じないでくださいね。 そして なかなか来られないからって 負には感じないでくださいね。 一度でもいらしてくれたら あとは 周りの方々に 私たちの真の思い そして 実情を伝えてくだされば嬉しいです。
    まあ 私は 強くはないけど どよっとしてるのってが 苦手なんで そして 自分に負けたくないんで まあ これからも 自分らしく歩き続けます。 連載 応援して下さい ❤

  73. 石川 より:

    邦子さん、こんばんは。
    第30回の感想をブログに書いた、石川です。お返事ありがとうございました。さらにお返事書きましたので、よろしければチェックしてくださいね。

    連載はもちろんのこと、邦子さんのコメントも、拝見するのを楽しみにしています。

    私が十八成浜に帰った時は、もう瓦礫もほぼ片づけられていて、穏やかな時間が流れていました。でも、連載を読んでいるときは、邦子さんの目線からの情景がイメージされ、本当に壮絶な体験をされた、生の思いが伝わってきます。時には、涙なくしては読めないことも・・・。
    11月6日の記事の中に「谷川小学校」の名前が出てきて、先日訪れた場所だからこそ、ぐんと身近に感じることができました。
    愛知県は、東海地震がもういつ起きてもおかしくないと言われて久しいこともあり、本当に他人事ではありません。「またどこかを災害が襲ったときに、今、私たちが体験していることを、少しでも、役立ててほしい」「万が一 被災に遭遇した時に 自分ならどうするか と考えられるように」との思い、とてもありがたく、しっかりと受け止めています。

    そして、現地ではなかなかゆっくりお話しすることはできなかったけれど、コメントに綴られた率直な思いからも、邦子さんのことや、地元の方々の本当の気持ちを、もっとよく知ることができる気がします。

    それから・・・「被災者だけが可哀想とか大変ということはない」「被災者ではなくても、被災者以上に辛い気持を持っておられる方も多いということを忘れずに」とのコメントがあり、とても印象的でした。正直なところ、マスコミなどが、東日本大震災の「被災地」「被災者」のことばかり特別扱いする風潮に、それまで私の中でわだかまっていた思いだったのです。でも、当事者である邦子さんが、このように書いていらっしゃったので、とても意義深い事だと思い、わだかまりが解けたような気がして、愛ボラに参加しようと思いました。

    邦子さんとなら、本音で語り合えるような気がして、私も結構思ったことを率直に書いてしまいますが、不愉快だったら言ってくださいね。

    寒さが厳しくなってきますが、お体にお気をつけて。
    時間を見つけて、また帰りますね。

  74. 雄太さま 阿部邦子 より:

    お晩です。十八成は今雨です。明日は晴れる…予定ですが、なにせ 『究極の雨男』・・・らしい?久田ボスがおいでになるので。 久世さんは『晴れ男ですぅ』と言っていますが、久田ボスには負けるかも??
    雄太さんの 「一緒にがんばりましょう」というお言葉に もしかして 被災後初めて!! 素直に「うん」と 頷けました。
    頑張れって言葉 実は大の苦手なんですけどね。 

    被災 8か月がたち、 この頃 被災地以外の人たちとの温度差を 寂しく感じ始めています。
    私(たち)は 被災地以外の・・・・つまり 被災にあわなかった人たちには ちょっと 誤解を招く言葉かもしれないけど 『私たちに遠慮しないで、今までのように生活してね』って思っているのに やっぱり遠慮しちゃうみたいで。
    みんな 「邦子さんに会って 被災者へのイメージが変わった」っておっしゃる。
    友人や叔父叔母たちも 『邦は 生きてさえいれば、きっとどんな環境の中でも 輝いていてくれてる、そう信じられた』 って言ってくれた。
    けどね・・・ちょっと 言っちゃおうかな。 傷つきやすくなったとは思う。 そして、それに関わることだと思うんだけど、 ボランティアに来てくれる人たちだって 傷つく人たちなんだ ってことに 気持ちがいかないときがあるかもしれない。
    やっぱりまだまだ 心身ともに 余裕はないんですね。 私でさえそうなんだもん、 被災者の多くはまだまだ 息をしているだけで精いっぱい ・・・なんです。
    コメントを書いていただけると こういうことも言わしていただける機会をいただけるので すっごく嬉しいです。 ほんとにほんとにほんとに 嬉しい。
    ボランティアにいらしてくださった方と 個々 おしゃべり・・・は 不可能なんで それと じっくり話せないと真の思いを伝えあうことができないんで 地団太を踏みたいほどに じれったくて。
    みなさんが がれきを一つ一つ拾ってくれて きれいな土地にしてくださったように 私(たち)と 皆さんも 早急な結論を出そうとはせずに 疑問に感じたことなどはその都度話し合って 一歩一歩 少しずつ わかりあっていこうね。
    雄太さん 阿部邦子 がんばります!!…初めて言った~~!!

  75. 吉川雄太 より:

    先日、現地ボランティアに参加させて頂きました。
    私は、自分が参加することで、十八成と愛知に、何か届けたり、伝えることができたらという思いでした。
    失礼ながら、マイナスなイメージばかり想像をしておりました。
    しかし参加すると、そんなことも忘れ、ただ一日楽しかった。ということだけ残りました。帰りのバスの中で、なぜ楽しかったと思えたか考えてみると、現地の皆さんの温かさ、メンバーの思いの共有が生んだ、ボランティアという境界線を越えた出会いだったのかな?と感じました。
    私は大学時代から、福祉やボランティアという言葉がなくなるくらい、皆が意識できる世の中になれば良いのに、、、と思ってます。今回参加させて頂き、その思いは一層強くなりました。
    自分にできる事、伝えられることを、これからも考えて行動してまいりたいです。

    1日だけでしたが、恭一さんと邦子さんの言葉で、自分の考えや世界が広がった気がします。
    とても多くのことを、学ぶことげできました。ありがとうございます。
    また時間あるとき、できるだけ皆さんに会いに行きますので、その時はよろしくお願いします。

    一日でも早い復興の為に、一緒にがんばりましょう!!

  76. くるみや さま あべくにこ より:

    いきなり寒くなりました。
    名古屋はいかがでしょうか。
    若いころ 結構旅行はしましたが 名古屋は行っていません。
    宮城県に入っている 名古屋のイメージ。
    結婚式が豪華絢爛。
    金の鯱鉾を見ると 運気が上昇する。
    皆さんの 宮城へのイメージは どんなふうだったのでしょうか。
    震災後 初めて宮城…石巻にいらした方も多いでしょうね。
    がれきの山は 辛い景色でした。
    今 がれきはなくなりましたが 『色』もなくなっています。
    土色。  今までは 雑草でも緑がありましたが 冬は 木々の緑が残るだけ。
    寂しい季節になりそうです。
    仮設住宅に入ると 『あとがない』んです。 仮設から出なきゃならないとき どうすればいいんだろう?
    やはり 復興にはまだまだ遠いです。
    「もう、大丈夫だから。 今度来るときは 観光で来てね」と言いたい。
    でも私たちはみんな いつ 「応募してくれる人がいなくなったから 中止になります」 と 言われるだろうと ちょっと寂しい思いになっています。
    これから夏に、 温かく明るい時期に向かうのなら もうちょっと 気分も違うのでしょうけど。
    久留宮さんのおっしゃり通り 少なくとももう 十八成と愛ボラは 「ボランティアってなに?」 は 卒業しているのかもしれませんね。
    被災者と 支援者 ではなく もう 対等の 互いに得るものがある関係。
    原稿は 楽しんで書いています。  私は 『水鳥』になりたいので そう 言っておくね。
    思いがけない多くの人たちから 「愛読してます」 と言っていただき、 なんて言うのかな ・・・「ちゃんと生きなきゃ」と 改めて思っています。

  77. 久留宮 より:

    邦子さん、こんばんは。いつも連載拝見させてもらっています。
    先日はお話しする機会があり、とても有意義な時間過ごす事ができました。
    いままで、書き込みを中々、勇気出せずにいました。

    ボランティアとは、本来何か?どこまでのライン、要望してもいいものか。。
    一言漏らした、この言葉。遠慮深い私にとっても、早かれ遅かれ感じること。

    十八成に来た、皆さんは、何を感じたのか。いい意味でも考えてしまうこと。

    少なかれ私は、気にしないでくださいと言いたい。

    もう、邦子さんはじめ、恭一さん、後藤区長さん、皆さん家族同然なものだから。
    皆、誠心誠意できることを模索しながら活動しています。参加者と邦子さん達との
    コミュニケーションの機会ができる人、できない人ができてしまうのは現状であります。

    何も瓦礫撤去だけがボランティアだけではない。
    お話聞くこと、すること、それだけでも、立派なボランティア。
    参加者もこのサイトのコメントツールをうまく活用することにより。ボランティアの境界線
    を無くなっていければと思っています。

    私自身5月より訪問、活動を通じて、皆様から多くのことを学びました。
    ボランティアで、愛を届けるつもりでいた自分が、逆に今は私たちが学んでると思ってもいます。

    邦子さんの、今まで苦労されたのにもかかわらず、苦しみを乗り越え、
    今こうして執筆活動までされてるパワーは、皆をも元気にさせて貰っていますから。。。

  78. 阿部邦子より tamaki  さま より:

    コメントを ありがとうございます。
    私って 箱のような仮設住宅のことさえ 『私のお城』 と言いたくなるタイプなんで、 被災者の代弁者として 被災者の思いを伝えることができるだろうか との思いも ちょっぴりあります。
    ですが、新聞社から依頼をされたとき、『阿部邦子の感性を最優先で』と言っていただき、写真も私が取り続けた来たものを使用 つまり 完全『阿部邦子・ワールド』ということで、私の思いをまっすぐに伝えていけばいいのだと 思えました。
    私の 書くとき、話すときのスタンスは 押しつけではなく 『一緒に考えよう』が 基本です。この連載も、 万が一 被災に遭遇した時に 自分ならどうするか と考えられるように  その思いが一番です。
    そういう考え方は 震災と限らず 何かのときに きっと自分なためになると 私には信じられます。
    ですから例えば ボランティアに行こう そう思った時 私には何ができるだろう そう思った時が第一歩だと思います。
    ボランティアはがれき撤去  がれき撤去は確かに とても大切で嬉しいことですが、 そうと決めつけず、 どんな役割に携わろうと その役割の中で 私ならどうするだろう 私には何ができるだろう  そう思うことから始めれば、 きっと その中で 輝くことができると思います。
    輝いてほしいです。 生きている限りは 輝いてください。
    輝くというのは 目立つとか そういうことではなく 自分に自信を持つことだと思います。
    自信を持つためには 決めつけてはなりません。
    たまきさんにお会いできる日が楽しみです。 今回はどんな役割でおいでになるのかな。
    せっかくですから おいでになるたび いろんな役割をしてほしい と同時に くぐなり食堂には 環さんがいなきゃだめだよ そうなってもほしいし。
    私たちは まだまるっきり先が見えず、 どんな明るくしていても、時には胸が締め付けられるような不安を抱えています。
    そんな時 愛ボラの方々の明るさと優しさに触れられて ほっと息がつけます。
    連載は 半年の予定ですが もうちょっと長くなるかも。書きたいことが多いんですもん
    前にも言いましたが 出版記念パーティ 愛知でできたら嬉しいな。
    『仮装パーティ』とか。
    ・・・私に会いたくて 愛ボラに応募しました とおっしゃって下さる方もおいでですけど 一人ひとり 皆さんを 『私のお城』にご招待して お話しできたら 私も楽しいですけどね。
    気軽に声をかけてくださいね。
    たまきさん 笑顔 楽しみにしております

  79. 近藤環(こんどうたまき) より:

    邦子さん、こんばんは。ここにコメントさせていただくのははじめてですが、連載いつも読ませていただいています。先月の運動会の日に恭一さんと邦子さんのお城におじゃまさせていただいた近藤環(こんどうたまき)です。
    邦子さんが書かれる文章から溢れるその「思い」のまっすぐさと強さにいろいろな感情が溢れてしまい、「読んでます!」ということを毎回伝えたいと思いつつも、なかなかうまく言葉がまとまらず今になってしまいました。
    愛知ボラセンに参加させていただき、そして邦子さんにお会いして、行動すること、そして言葉にすること、思いを伝えることの大切さを学びました。私自身はまだまだこれからですが^^;)
    この連載を読ませていただいたあとはいつもしばらくぼーっとしてしまいます。そして早く邦子さんに会いたくなります。
    今週末、十八成浜に帰ります!

  80. 阿部邦子より 二山さま より:

    お読みいただき ありがとうございます。
    新聞社から連載の話があった時、逡巡しました。
    できればすべて 忘れてしまいたいことだったからです。
    でも、二山さんがおっしゃる通り、記憶が薄れないうちに。自分の中で風化する前に。

    新聞記事で読みましたが、自分と人とを比べて、「あの人よりは私のほうがまし」 そういう考え方が一番、 鬱になりやすいそうです。
    みなさん、私を 明るい、元気 と言ってくださいますが、もしかして、そういう思考癖がないことが、自分を救っているのかもしれません。
    三度の癌を体験し、さすがに告知のときはかなりのショックを受けますが、すぐに、
    「なっちゃったんだもん、しょうがない」、そして、同病者と自分を比べて、私のほうが軽いとか重いとか、『比べたってしょうがないっしょ』 比べて一喜一憂しても、自分の病が軽くなるわけではない、その暇があったら、大好きな読書をして、主治医の注意してくれることを守って、まずは食事をおいしいと思えるぐらいは前向きに。
    その思考が、この災害でも自然に私を、元気で明るい方向へと、導いてくれたのだと思います。
    ボランティアの方々も、せめて そういう考え方がある ということだけでも ご自分のものにして 名古屋にお戻り頂けたらと思います。
    本心から、 『ボランティアに行こうと思ってくれて、被災の地にお越しいただいただけで、その目的には ほとんど 達している』 と思っています。
    二山さんも、実際にこの地にいらしてくださったからこそ、私の連載に感じるものが おいでになれない方よりも 心にまっすぐに届いたのだと思います。
    やはり、実際にその地に行って、私たちと同じ空気に触れてこそ、 真に理解できることって多いと思います。
    でも、ボランティアって、この地で活動して、帰ったらおしまい、ではないと思います。
    ご自分か感じられたことを 周りの人たちに お一人でも多くに伝えてくれるのも、 ボランティアさんの大きな役割だと思います。
    来たくても来られない人は多いのですから、その方たちに、 私たち被災者の代弁者として、被災者の現状、思い、これからのこと ・・・を 伝え続けてほしいと思います。
    この連載、『出版します』と、新聞社の社長が言ってくれました。
    枚数的に、たぶん 他の企画と 抱き合わせになると思いますが、 そういう本ができたら、私は被災者より 被災地以外の方にお読みいただき、ご家族やご友人と、 『自分だったらこういうとき、 どうしてたろう?』という話し合いに 使っていただければ 幸甚です。  自分だったら? その考え方こそが、いざというとき自分を救います。

    もう何人もの方々に、夕方の出発式の後、「実は 噂の邦子さんにお会いしたいってこともあって 応募しました。 不純な動機のようで、誰にも言えませんが」と言われました。
    ちょっと照れ臭く、ちょっと責任を感じましたが、言わせていただけば、決して不純ではないと思います。( だから 書かせていただきました。 )
    「何だかわからないけど 被災者なのに やたら明るく元気な人がいる」 ・・・ってな 噂でしょうか。 でもそこで 『なぜ明るくて元気なのか、私がこの目で見て来よう』 と思ってくださったのなら、その方々は、きっと 何かを得てくれたと 思います。
    どうかお気軽に お声をかけてください。

    『阿部邦子の がれきに咲いた花』 これからもよろしくお願いします。
    タイトルに、新聞社が 『阿部邦子の』ってつけてくれたのを、嬉しく思っています。
    命を削って書いてる ・・・って言うと かっこいいけど いいえ 楽しんで書いています。
    でなかったら とても書き続けられませんから。

  81. 二山 より:

    あの日、被災地から離れた場所にいた私がテレビを通して見られる状況は、空からの遠目の映像のみで、実際に地上にいる方々の表情、言葉を知ることはできませんでした。

    数日後から、様々な映像が次々とテレビに流されましたが、それでも被災された方の被災直後の心情までわかる映像はあまりありませんでした。しかし、邦子さんの文章を読んでいると、当時の十八成の情景と邦子さんの心情が目に浮かびます。

    今回の連載を読ませていただいて、文章を書くという仕事は、映像では残すことのできない真実を未来へ残すことができる素敵なお仕事だと改めて感じました。

    当時の記憶を呼び起こして書くというのは邦子さんにとって辛い作業だとわかっていても、勝手ながら、邦子さんの記憶が鮮明なうちに少しでも多くの記憶を文章に残していただきたいと願います。もちろん、そんな簡単に薄めることのできる記憶ではないとは思いますが。。。

    これからの連載、そしてまた(いつになるかわかりませんが)十八成に帰って直接お話が聞けるのを楽しみにしています。

  82. 阿部邦子より 福嶋さんへ より:

    福嶋さんは こまめに愛ボラHPをチェックしておられ、ご自分の思いを書いてくださっているので、なんか 毎週、いいえ毎日お会いしているような錯覚。感じることはあっても、書きたいことはあっても、伝えたいことはあっても、文章に起こすことって変に緊張しちゃって・・・とおっしゃる方も多くて、「ただ、応援してます、今度お話したいです、読んでます、だけで嬉しいんだけどなあ」と何度も多くの方に言いました。福嶋さんは、書くのが苦にならない?それとも、伝えたい気持ちがとても強い?今回のメールを拝読して、何事にも精いっぱい取りくんでおられる福嶋さんのお姿が、目に浮かびました。がれき撤去と言い、くぐなり食堂と言い、優輝と遊ぶ時と言い、すべてに全力、すべてをいとおしんで取り込んでおられる、そんな気がしていました。震災前も、私はいろんなことと戦ってきました。けど、いろんなことと戦って…と言いながら、実は 自分と戦っていたんですね。同じことでも自分の思い一つで、感じ方はまるっきり違ってきます。震災にあって、この半年間、私は意識して、自分と戦い続けてきました。それらの日々を、装飾やごまかしなしで、書き綴っていきます。被災者ではなくても、被災者以上に辛い気持を持っておられる方も多いということを忘れずに。

  83. 福嶋 より:

    「がれきに咲いた花」を読んでいて、不思議な感覚になります。
    なぜか文章の中に、常に恭一さんの存在を感じてしまいます。
    気のせいなのかな?

    最初に十八成浜を訪れたのは、
    愛知ボラセンが憩いの家の前の瓦礫の山を、
    初めて撤去した6月の下旬のことですが、
    途中で恭一さんの畑の瓦礫を片付けに何人かと一緒に行き、
    休憩中に恭一さんと二人で話す機会があり、
    今後の十八成浜の復興についての思いをお聞きし、
    そのときに「人生だって後ろに下がっていちゃダメなんだ、
    前に進まなければ」ということをおっしゃいました。
    その時から、ずっとこの言葉を、自分にとって、
    もっとも大切な言葉にしています。
    何かあると、必ず思い出しています。

    この連載を読んで、邦子さんの作家としての始まりが、
    鎮魂の想いからなので、そのお言葉にも魂がこもっているんでしょうね。
    十八成浜に行くたびに邦子さんの言葉は心に響きます。

    自分が警察官になる目的で大学の法学部に進学したのも、
    途中で旅行会社に就職する事を決めたのもある別れがきっかけでした。

    そしてもともと子供は好きでしたが、
    それが強くなったのも同じ理由からです。

    だからというわけではないですが、邦子さんの作家として始まりが、
    自分がその都度、進む方向を選択してきたものと似ているようで、
    なんだか心に響いてきました。

    これからも連載を読ませていただきます。

  84. 阿部邦子より 真琴さんへ より:

    ★読んでくださってありがとうございます。何度も言っていますが、童話や小説やエッセイと違い、この連載に限っては、傷をえぐるような感じで、「読んでいますよ」その言葉だけが、私に書き続ける意欲を与えてくれます。ありがとう。
    多くのボランティアの方と話す機会があり、その中で、とても素敵な女性が、笑顔で、「夫が亡くなったんです」とおっしゃったとき、深くこうべを垂れることしかできませんでした。
    私は、私を始め被災者は、大変な状態にはあるけれど、決してかわいそうな人間ではない、そう思っています。
    でもまあ 三度の癌をはじめ、いっぱい入院経験があって(自慢しているわけではありませんが) 同じ病気にかかっても いろんな受け止め方、感じ方があることを知っています。舐めるように同情してほしい人もいましたし、自分だけがかわいそうと思いこんでいる人もいましたから、私の感じ方を押しつける気はまるっきりありませんが。
    でも、その方の笑顔とその言葉を受け止めたとき、被災者だけが可哀想とか大変ということはないと、改めて強く、思いました。
    誰もが、人生という航海のなかで、嵐にあったり、座礁したり、それぞれが大変な思いを体験なさっておられる。要は、その体験を、いかに自分のために昇華できるか。できないか。 自分の人生を、昨日より今日、 今日より明日と、上昇するためには、体験を噛みしめて、昇華するしかないと、私は改めて思っています。
    真琴さんが、とてもショックな体験をなさった、なのに、自分よりもっと大変な思いをしている人たちがいると駆けつけてくださった、きっと昇華してくださると、とても嬉しく思います。
    被災者として、今後、どう生きられるか 実はまだ私にもわかってはいませんが、自分に負けたくない それだけは常に思っています。
    そんな私を みんな 強い と言いますけど、 本当に強かったら、負けたくない!と 自分に言い聞かせる必要はないんじゃないかな。
    私は大木よりも 柳になりたい。 しなやかさを持つ柳に。
    私は連載を書きながら 真琴さんは連載を読んでくれながら きっときっと しなやかに生きられるには? の 回答が見つかるといいですね。
    新聞社の社長が 出版する と断言してくれました。
    ぜひ 愛知で 出版記念パーティを!!
    その時にはきっときっときっと 心からの満面の笑顔でお会いできますように。

  85. 三宅真琴 より:

    こんばんは!
    邦子さん、連載記事読ませて頂きました。 先日、ボランティアで最後に集合写真撮った時に、優輝と邦子さんの間に居たまことです!
    辛い出来事はしまっておきたいものですが、震災の事が克明書かれていて、邦子さんの素も知る事が出来、また震災時の気持ち葛藤を記事を通してですが感じる事が出来る、とてもよい記事を読ませて頂きありがとうございます!

    自分も震災の一ヶ月前に、とてもショックな出来事がありました。でも、邦子さんの記事を読んでいると、励みになります。いつも笑顔でいようと思います!
    出来る時に何かする、行動してみるという気持ちで、今後ともボランティアでもお邪魔致しますね!
    連載記事、楽しみにしていますよ!

  86. 阿部邦子より 友紀ちゃまへ より:

    コメントをありがとうございます。Sでいらしてくれて「子供たちに被災のことを知ってほしくてとにかく来てみようと思いました。どうすれば子供たちに知ってもらえるでしょう」と、とても真剣に聞いてくださったお顔、忘れません。子供たちに知っていただけることが、風化させない ということじゃないかと、とても嬉しく、頼もしく思えました。『がれきに咲いた花』、地元では切り抜いて、子供たちに見せると言ってくれる人が増えています。子供って、どんな環境になろうと、親が暗くならず、子供に笑顔を見せるだけで安心できます。でも、大人になった時、『がれきに咲いた花』を見せることによって、ああ、あの時、お父さんは、お母さんは、大変なこと、辛かったことと、精いっぱい戦ってくれていたんだ、それを、僕には、私には、見せようとはしなかったのだと、その時改めて、両親の愛情を感じてくれると思えます。そして、自分は愛されているんだ、それこそが、子供が自分に自信を持てる大きなきっかけにもなると思うのです。そういうことにも役立ててもらえたら、著者として、そんな嬉しいことはありません。友紀さん、被災者の思い、現地のことを世に問いたいと思ってくださったなら、この連載を、周りの方に読んでいたければと思います。現地で精いっぱい歩き続けている人たちのこと、そして、生きたボランティアとは何か 被災者として嬉しかったこと、傷ついたことなどを、真摯に、あからさまに書いていこうと思っています。本心は、もう思い出したくないことを、記憶から掘り起こしていくというのは、はたで思う以上に きついことなのですが。これからも読んでやってください。そして、これは甘えかも知れませんが、一行でも、読んでるよだけでも、時にはコメントよろしくです。 童話や小説とは違い、この連載に限って言えば、ああ、読んでくださっておられる方がいる・・・それだけが、書き続けられるパワーとなるような気がしますので。    またお会いしたいです。

  87. 渡辺友紀 わたなべゆうき より:

    くにこさんの連載,読みました。震災当初のこと,また思い出して書いていらっしゃるんですね。私の知っている邦子さんは,明るくて笑顔で。きっと私の知らない邦子さんのことが,記事を通して知ることができるんだなって思いました。邦子さんの笑顔の裏にある思いが,伝わってきます。これからも楽しみにしています。(なんていうのは,違うかもしれませんが・・・)もっともっと,邦子さんのことを知りたいと思いました。

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