十八成ボランティアが築いてきたこと、その背景にあるもの

2年たっても初めて被災地ボランティアをしたいと思う人は少なくないのです
愛知ボラセンの被災地ボランティア活動「くぐなり食堂」、参加者殺到です(大げさですが…)。3月は4回実施。月4回実施は2012年9月以来半年ぶりのことです。しかも十八成に帰っていない9日(土)は名古屋で犠牲者追悼・被災者応援「エール2nd」(のべ参加者4,000人)を開催していました。

4月は2回実施(13日、27日)の予定で参加者を募っていました。ところが、3月中旬に2回とも大型バス1台分の参加者の応募があり、早々に締め切りました。そこで、4月20日も追加設定をしましたが、4月上旬に締め切りました。ちなみに4月20日、愛知ボラセンは創業340年の一部上場企業の新入社員の皆さんを久世が引率して、三重県紀宝町浅里地区での田植えボランティアにも行きます。

今年1月には20人を割っていたこともありましたが、2月になって大学が春休みになり、さらに「エール2nd」の取り組みの効果もあり、参加希望者が増えています。特徴は初めて参加する人が多いことです。最近では7~8割の方が初参加です。そして、その方々もリピーターとして、また十八成に帰られています。

2年たっても何かしなければと思っている人、何かしたいと思っている人はたくさんいらっしゃるのです。参加費は12,000円。仙台までの高速バスでも片道8,000円と比較すれば、高い金額ではありませんが、12,000円は庶民には決して安い金額ではありません。それでも被災地に行かなければと思う方は少なくないのです。

被災地ボラセンの縮小で、多くのボランティアは活動場所を失ってしまいました
被災地ではボランティアが激減していると報道されています。愛知ボラセンへの参加状況を考えると、ボランティアが激減しているというよりも、ボランティアの受け入れができていないために、ボランティアをしたくてもできない状況なのではないかと思います。社会福祉協議会(社協)を中心とした被災各市町村のボランティアセンターは活動を大きく縮小し、ボランティアを殆ど受け入れていません。被災自治体のボランティアセンターを頼りに活動していた人たちや団体の多くは、自分たちの活動場所を失ってしまいました。また、新たにボランティアをしてみようと思う人たちも行き先がないという状況だと思います。

一過性のボランティア活動ではむしろ被災者を傷つけてしまうこともあります
社協が中心となった被災自治体のボランティアセンターの活動としては、活動縮小はやむをえないことであると思います。一方、社協中心の活動だけでは長期間化する大勢の被災者へのきめ細かな対応は困難です。そのためには民間のボランティア団体、グループ、個人がそれぞれに工夫をした活動をすることが求められているのではないでしょうか。その際、民間のボランティアが留意すべきことがいくつかあります。その一つに活動の継続性があげられると思います。

3月9日~10日に名古屋に招待した震災でお父さんを亡くしたある高校生はこう語っています。「ボランティアがたくさん来てありがたいな、助かるなと思った。でも震災1年をすぎると報道も減り、ボランティアも減った。“絆”って口先だけだったんだ。東京の人間にはどうせ他人事なんだと思い、人間が信じられなくなった」と。

一過性の活動、1回や2回の活動は思いがあれば誰でもできます。1回でも何もしないよりはいいかもしれません。ですが、いかなる理由があっても、それではむしろ被災者を傷つけ、人間不信に陥らせてしまうこともあります。

被災者、被災地域とのしっかりした関係を築くことが大切と考えています
長期的な活動をするためには、ボランティア団体やグループは自らの具体的な長期活動方針を持つことが必要です。愛知ボラセンは2011年3月17日の発足当初から、長期的な応援活動を続けるにはどうすればいいのかということを、今この瞬間に被災者に対して何をしなければならないのかということと、同じくらい重要なことと考えていました。今必要なことを、将来へどうつなげていくのかということです。2030年まで続けると宣言している「震災孤児遺児応援ワンコインサポーターズ」活動は、お父さんお母さんを亡くした子どもたちを応援するとともに、愛知ボラセンの活動を2030年まで続けると宣言しているということを意味しています。

そして、被災者と深い関係を築き、さらにその上に立って被災地域(仮設住宅自治会や行政区)と、集団対集団のしっかりした関係を築き、それに立脚した活動をきちんと築くことが必要であると考えています。

あるNPO法人のブログで、震災から2年を迎え、被災者と顔見知りの関係から、親友の関係を築いていきたいということを代表が書いていらっしゃるのを読みました。正直、驚きました。そのNPO法人は宿泊もできる現地事務所を構え、数人の現地常駐の専従スタッフを置き、60回以上もボランティアバスを派遣していました。地元にも専従スタッフが大勢います。愛知ボラセンなど比べものにならない災害ボランティアの実績をもっているNPO法人です。

「顔見知りの関係から」という考えそのものが、愛知ボラセンのスタッフはもとより、十八成に何度も帰っていらっしゃるボランティアさんにはありえないものだと思います。これまでの活動の中で、十八成の方々と「親友」という関係ではない深い人間関係を私も、スタッフも、何度も十八成に帰っていらっしゃる多くのボランティアさんたちも築いていると思います。3月24日のブログ「追悼 岩崎陽二郎さん」で大学生の里中さんの手記をご紹介しました。顔見知りとか親友とかいうくくりは、岩崎さんと里中さんの間にはなんの意味もありません。そこには深い信頼関係や人間関係があるからこその、里中さんの手記だと思います。

仮設住宅から「孤独死」を出さないお手伝いをと考えて始めた「くぐなり食堂」
阪神大震災では1,000人を越える方々が仮設住宅や復興住宅で「孤独死」されました。愛知ボラセンは、瓦礫撤去の後、仮設住宅から「孤独死」を出さないお手伝いが必要であると考えました。ではそのためにどんな方法がいいのか考えました。しかも現地駐在スタッフはいない中で、です。仮設住宅の談話室でのお茶っこはすぐに思い浮かびました。準備も楽です。経費もそれほどかかりません。しかし、お茶っこでは参加される方はそれほど多くはないだろうと考えました。それでは「孤独死」を出さないお手伝いとしての意味は乏しいと考えました。

そこで、2000年9月11日に発生した東海豪雨での「炊き出し活動」の経験を活かそうと考えました。東海豪雨に際しては、愛知県西枇杷島町で私(久田)は高校生とボランティア活動をしました。その時、2週間たっても避難所の体育館で冷たいおにぎり程度の食事しか被災者に提供されていないことに気づきました(十八成の避難所だった憩いの家でも温かいものが行政から提供されていたわけではなく、憩いの家で皆さんが温かいものを作っていらっしゃいました)。そこで、阪神大震災以来関係のあった関西在住の災害ボランティアと、愛知県の僧侶と私の3人が共同代表となって、「負けせんぞ水害にしび」という団体を立ち上げ、毎日、避難所へ副菜1品を届ける炊き出しを始めました。そこには高校生だった久世、武内、石田(現愛知ボラセンスタッフ)も参加していました。毎日副菜1品を届ける活動は避難所が解消された後の、翌年の3月まで続きました。また、私は月2回発行の西枇杷島町全世帯(約8,000戸)にポスティングする地域新聞(B4二ページ)を10月から2月まで編集、発行しました。

その経験から「(失敗した)炊き出しではなく、お弁当を」、「少しでも温かくおいしいもの」、「お母さんも一人暮らしの人も週に1回くらい楽できることを」、「食材は地元の東洋館さんから」と考えて、「くぐなり食堂」を企画しました。対象は十八成に高齢者が多いこともあり、地域全体をと考え、ニュースを発行することも考えました。これも全戸配布の新聞を発行していた経験に基づいてのことです。これならお茶っこよりも多くの方々に声をかけることができると考えました。炊き出しの失敗から始まった十八成と愛知ボラセンの関係ですが、失敗した炊き出しの経験からのくぐなり食堂です。

そして、2011年8月に故後藤前区長さんに老人憩いの家の厨房施設などをお借りできないかと相談しました。後藤正信さんは快諾してくださいました。2011年9月から「くぐなり食堂」が始まり、ニュースを全戸に配布することも始まりました。

2年たって、くぐなり食堂はもう不要なのでは? いえ、本当に必要なのはこれからです
被災地ではあっても、被災地の高台に住み、家は流されませんでしたが、ひびが入ったりして改築されたり、お仕事も大きな影響はなかったり(業務内容は影響しているとは思いますが)、ご家族もご無事だった方は大勢いらっしゃいます。被災地に住む複数のそうした方々から以下のようなことを私は聞いたことがあります。

被災地の住民はすでに食べるのに困っていないからくぐなり食堂は必要ない。牡鹿半島の浜は元来住民間の横のつながりがある。十八成は年金暮らしの人が多いから大丈夫。遠方からボランティアに来てもらって、支援を受けるような段階ではない。孤児遺児は相当の金額の援助金を貰っていて、愛知ボラセンの応援金はたいしたものではない。愛知ボラセンの活動は被災者ボラではなく高齢者の介護ボランティアのようなものではないか、などなど。

どれもまったくの間違いではないだろうとは思います。ですが、私には納得できるものではありません。私たちは十八成の皆さんが食べるものに困っているから、お弁当を提供しているわけではないことはすでに述べたとおりです。仮設住宅の談話室などでの集まりはそれほど多くないと聞いています。避難所ではプライバシーはありませんが、孤立することは稀です。一方、仮設住宅ではプライバシーは守られますが、孤立する可能性は高くなります。そのためには、談話室などでいろいろな催しが必要です。復興住宅では談話室もなくなるケースも多く、さらに集まりにくい状況が生まれます。ここに孤独死が生まれる危険性が潜んでいます。談話室での集まりを多くする工夫が必要です。

阪神大震災では仮設住宅にふれあいセンターが作られました。ふれあいセンターの建設費は一か所あたり約822万円(県と復興基金で二分の一ずつ負担)で、年間200万円の運営費は県・市・復興基金の三者が負担しました。運営は仮設住宅住民代表・地元住民・ボランティア等からなる「運営協議会」に任されました。(出典:一般財団法人 ダイバーシティ研究所HP) 石巻市の仮設住宅談話室に公費による運営費はないことは皆さんご存知でしょう。もともとの横のつながりは大都会の神戸に比べれば強いものはあると思いますが、それでも皆さんが集まるいろいろな工夫が、孤独死を防ぐためには必要だと分かっていただけるのではないでしょうか。

阪神大震災では、2年目以降に孤独死が増加しています。2年たった今、くぐなり食堂の必要はなくなったのではなく、むしろこれから本格的に必要であると考えられます。

経済的に比較的恵まれていることと、自宅を津波で流されたり家族を失ったりする喪失感や深い悲しみ、絶望感、住居の先がなかなか見えてこないといった精神的な不安はまったく別のことだと思います。

距離が遠いか近いかはそれほど意味がありません。名古屋から毎週のように訪れる人間からすれば、寝ている間の13時間の距離はたいしたものではありません。名古屋までの760km。たしかに離れています。ですが、カタールに比べれば近いものです。距離の遠いか近いかなどは、ある意味で主観のようなものです。

孤児遺児応援活動は金額の多寡ではありません。仮に1億円もらっても心の傷が癒えるはずもありません。

被災者ボラと介護ボラを区別する大きな意味はありません。

大震災は人間関係も破壊しているのでは 関係の回復のお手伝いも必要と思います
元気そうに見える被災者でも、お気持ちはいろいろだと思います。大人でも子どもでも、みかけの元気さや陽気さだけを見ていては誤ることがあると思っています。私自身、高校時代に教室では道化を演じていましたが、心の中は真っ暗な状態でした。太宰治の「人間失格」の主人公・葉蔵は自分と同じようだと思っていました。

人はちがって当然と思います。絶望的な状況での明るさは、さらに深い絶望感の現れということもあると、私は思っています。また、悲嘆からの回復(グリーフ・ケア)の道のりは人によっていろいろに違います。

避難所で他人同士が長期間生活する中で、良い面を見ることもあったでしょうが、嫌な面も見ることもあったのではないかと思います。大震災発生直後は肩寄せ助け合われましたが、2年たった今はどうでしょう。

被災者であっても、被災地に住んでいても、一人一人、一軒一軒、被災状況が異なります。物質的なことや経済的なことを比較して考えがちになってしまうこともしかたがないかと思います。被災によって精神的な余裕が乏しくなっている方も多いと思います。すると、ご自身とは異なるグリーフ・ケアをしている人を、場合によっては許せなく思うこともあると思います。そして、他者への寛容性が低くなり、他者への想像力を働かせる余裕が少なくなってくると、他者を断罪しがちになります。宮城県では2012年度の家庭内暴力の件数が、2011年度比33%増の1856件に達し、2012年度に福島県で警察に届けられた家庭内暴力の被害件数は、過去最高の840件に上り、前年比64%増加したという警察の統計データもあります。

被災直後は「災害ユートピア」といわれるような住民同士の美しい助けあい状況がありました。しかし、今は他者を断罪しがちになり、場合によっては人間関係を破壊してしまうような状況になってしまうこともあるのではないでしょうか。

大震災は家を破壊し、人を奪っただけではありません。人間関係も破壊しているのではないかと思います。十八成の皆さんの関係が破壊されていると思っているわけではありません。あくまでも一般論です。ですが、「孤独死を出さないお手伝い」のためには仮設の皆さんや地域の皆さん同士の人間関係を深めることをお手伝いすることに、重要なポイントがあるのではないかと考えています。

十八成で、深い信頼関係を築きつつあると思っています
悲嘆回復(グリーフ・ケア)には悲嘆を語ることも大切なことです。ですが、被災者それぞれに被災状況が違うこともあり、お互いに被害の話はしにくくなっているのではないでしょうか。よそ者のボランティアだから、人間関係がないから、逆に語ることができることもあるはずと思います。ボランティアは毎週替わります。ですから何度でも同じようなお話をしてくださってもかまいません。私たちは十八成の皆さんからお話を伺うことが楽しいのです。それは世間でいう「傾聴ボランティア」的な側面をも持っていると考えています。「傾聴ボランティア」と大それたことはいいませんが…。

十八成仮設はもともと十八成の皆さんだけの仮設ですから、孤立している方はほとんどいらっしゃらないこともあります。ですから、深刻な事態は今のところ発生していません。ですが、週に1回のくぐなり食堂も、そのことに少しは貢献していると思っています。この世の中に例外のようなユートピアは存在していないと思いますから。

私たちはこうした関係を十八成の皆さんと築いてきていると思っています。ですから、愛知で自信をもって十八成ボランティアを人に勧めています。そして、それを期待し、信頼して、毎週新しいボランティアさんが参加していると思っています。

くぐなり食堂の経験は、東海・東南海・南海三連動大地震で活かします
正直に言えば、十八成だけの応援活動でいいのかという思いはあります。ですが、今の愛知ボラセンの力量ではこれが精一杯です。もし、私が住む東海地方で、予想される南海トラフ巨大地震が起きたら…。私たちは被災者か、被災者に最も近いボランティアになります。

愛知ボラセンは、全国の皆さんに、私たちと同じように新品衣類を中心とした応援物資を集めてくださいと呼びかけます。その際、愛知ボラセンのホームページからラベルをダウンロードし、その地域で、その地域の人々が集まり、全国一律の分類に仕分けてもらいます。そして、愛知ボラセンの拠点・真宗大谷派名古屋別院(東別院)に応援物資を持ってきてもらいます。緊急支援物資は、被災地の真宗大谷派などのお寺に持っていき、地域のお寺を拠点として応援物資を配布します。応援する地域と被災地域を結びます。その後は瓦礫撤去から始まり、私たちと同じような○○食堂を実施し、仮設住宅からの孤独死を出さないお手伝いを、東海地方各地で展開したいと考えています。いってみれば、くぐなり食堂は直営店、○○食堂はフランチャイズ店といったところでしょうか。愛知ボラセンの培ったノウハウと、応援したいと思っているそれぞれの地域の皆さんの力を合わせると、想像できないような応援活動が展開されることになると考えています。

どこかに応援物資を備蓄し続けることはいろいろな意味で無理があると思います。そうではなく、日本中の各家庭が緊急時の応援物資の備蓄場所と考え、それを即時に集め、仕分け分類し、運搬する体制を築けばいいのではないかと考えています。

愛知ボラセンの十八成での活動は、まだまだ至らぬ点が多々あることは承知しています。これからも改善を続け、皆さんとともよりよい活動を創っていきたいと考えています。改善の種である忌憚のないご意見、ご要望をお待ちしています。    

2013年3月31日 「エール2nd」総括会議 
 愛知ボランティアセンター代表:久田光政

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